1989年11月に解散した伝説のジャパメタバンド『44MAGNUM』が遂に復活する。
2007年4月11日にHPで公開された。実に18年ぶりの復活ということになる。
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44MAGNUMは、1977年、Vo.のPaulによって結成された。実に30年前のことだ。その後、僕のギターアイドルの師匠であるJIMMYが加入。44はライブを重ね、どんどんファンを増やしていく。当時のインディーズとしては破格の人気を博した。そして、1983年12月にメジャーデビューを果たす。二年後、1985年には、全国ホールツアーを行うまでに至った。三枚目のアルバム「Actor」もリリース。また、つくば万博、EXPO PLAZAのイベントでラッツ&スター、レベッカと共演した。このあたりまでは破竹の勢いで活動していたようだ。だが、その翌年以降、活動はかなり低迷していく。1988年は「厄年」ともいえるほどだった。そして、1989年に解散。
だが、僕はこの44MAGNUMをリアルに体験していない。だって、44がデビューした歳って、8歳。とてもヘビーメタルを理解できる歳じゃない・・・ 僕が覚えているのは、聖飢魔Ⅱにはまった小六の時、メタルを知って、色々調べているうちにちらりと知ったくらいであった。当時の印象としては、「恐そう」だった(苦笑)。 その後、デランジェを通じて、44MAGNUMの存在を再び知ることになる。もちろんサウンドを聴いてみた。「SATISFACTION」が一番最初に聴いた曲だった(気がする)。うわ~ヘビメタだ!って感動したのを覚えている。みんなまっ金髪で超長髪。デランジェと全然違う~!って一人突っ込んでいた記憶がある。その当時、ロックを聴く友達はほとんどいなくて、一人、ロッキンfを読みながら、ロックの勉強をしていたのを思い出す。
で、結局タイムリーで44を聴くことはほとんどなかった。解散後、広瀬さんは、女性ボーカルの方と「Topaz」(90-94)というユニットを結成。こちらはかなり聴いた。元気でかっこいいボーカルの橋本みゆき氏は素敵だった。ただ、ロックというより、当時流行りのロックポップスって感じだった。テレビにもよく出演していた。だが、広瀬のニューバンド、SPEADのためか、94年に解散してしまった。
そんなこんなで18年。満を期して、しかもデランジェと同じくして、電撃的な復活を果たす。このことについて、広瀬さんは、自身のブログで次のように語っている。
お待たせしました。いよいよマグナムを再開できることになりそうです。IGNITION以降の永すぎた沈黙が、ここにきてやっと意味を成しました。病に正面から向き合い、精神的に打ち勝った親愛なるポールを、友人としてとても誇りにおもいます。皆の知るように彼の孤独な闘いあってこそ実現しました。
[・・・中略・・・] 新たなオフィスも立ち上がりました。44マグナム、ベルベットスパイダー、俺や各メンバーのソロ活動のオフィスでもある全く新しいプロダクション。従来のデンジャー・クルーの協力の他、俺にとって縁の深いスタッフも集まり、活動再開をするにはベストな環境ができました。(引用元)
ここに書いてあるように、ポール氏は、現在、若年性のパーキンソン病(⇒難病指定されている。神経変性疾患。江戸川乱歩や三浦綾子やヒトラーなどがこの病に臥していた。)と闘っている。。。「孤独な闘い」に打ち勝つべくして、復活を果たすと言っても過言ではないだろう。「福祉」を研究する一人の人間としても、応援したいし、見守りたいところだ。なお、Paulさんはロッキンf(2007.4.14発売号)にてこの病について語っている。また、『海がみたいの2006』においても、Paulさんの言葉が掲載されている。このサイトにあるように、Paulさんは、「『薬をいっぱい飲めば、その時だけは身体が動く。でも、ずっと飲み続けていると、何年か後には薬が全く効かなくなって、寝たきり』 医者からそういう話をされてすごくショックだった」、と語っている。つまり、治ることはない病、これから来るであろう事実、そういうものとの闘いを続けながらの復活なのである。
いったいどんなサウンドを聴かせてくれるのか。どんな音・声を届けてくれるのだろう。僕にとっては遠くて近い存在である44MAGNUM。デランジェのみならず、一郎、哲が憧れ、従事した44MAGNUMも、同じくらいに注目したい。
JIMMYさんのブログより画像引用(画像引用元はこちら)