遂に、念願だったAmbergにやってきました。Ambergは、「赤ちゃんポスト」を語る上で欠かすことのできない町です。
1999年に、ここAmbergの小さな一団体が「ある活動」を始めたことが契機となって、2000年にハンブルクのSterniParkが赤ちゃんポストを設置するに至りました。
その1999年に開始されたプロジェクトこそ、その後ドイツ全土に広がり、赤ちゃんポストの広まりを生み、そして(まさに今!)法改正へと向かうプロジェクトでした。そのプロジェクトの名前は、「Moses Projekt(モーゼプロジェクト)」と言いました。その名の通り、捨て子を象徴するモーゼに例えた新たな母子救済プロジェクトでした。
そのプロジェクトを行ったのは、「DONUM VITAE」というフェアアイン(ドイツ伝統のNPO団体のような公益民間団体)でした。この団体は、2001年に作られた新しい団体で、そもそもは「カトリック女性福祉協会(SkF)」の職員たちが中心となって作られた団体だそうです。現在、ドイツ全土にあり、様々な(公的支援ではゆきとどかない)社会支援を行っています。思想的には、「妊婦とその胎児にとって最悪の解決方法が中絶です」、という立場に立ちます。キリスト教の思想もありますが、それと同時に、ドイツ基本法の「生命保護」の理念に基づいているそうです。
http://www.donumvitae.org/208
http://www.donumvitae.org/media/raw/PM_Voderholzer_und_die_schlechteste_Loesung_Juni_2013.pdf
そのDONUM VITAE@Ambergで長年代表を務めてきているのが、マリア・ガイス=ヴィットマンさんです。この女性こそ、後の赤ちゃんポストや匿名出産、内密出産へとつながる「新しい匿名の母子支援」のパイオニアなのです。この女性については、拙書でも既に取り上げています。(2000年のドイツ有力雑誌SPIEGELで、「ある勇敢な女性」という長い記事が掲載されました)
2000年にハンブルクで「赤ちゃんポスト」がドイツで初めて設置されました。そのきっかけを与えたのが、彼女の「匿名相談」、「匿名出産」(の同伴)というアイデアでした。事実、(確認しましたが)1999年に彼女がこのプロジェクトを開始した後に、ハンブルクからモイヅィッヒさんたちがこのAmbergに訪れ、視察をしたそうです。つまり、赤ちゃんポストを作ったStenirParkのモイヅィッヒさんたちは、このヴィットマンさんの取り組みから、「匿名支援」を学び、その可能性を確信し、匿名で赤ちゃんを預けられる箱=Babyklappeを創造したのです。(ただし、ヴィットマンさんは、後に詳しく書きますが、赤ちゃんポストに対しては否定的です)
そんなヴィットマンさんと実際にお会いし、対話することができる日が来るとは、夢にも思ってもみませんでした(夢は見ていましたが…)。
Amberg駅の中心とは反対側のエリアに、DONUM VITAEはあります。聖マリエン病院アンベルクの救急搬送口(Notaufnahme)の手前のシェンクル通り(Schenklstrasse)を入って、50mくらい行ったところにありました。とても綺麗でかわいらしい建物でした。
ヴィットマンさんは、現在79歳。今も、このDONUM VITAEで働いています。「現役」です。
今回は、このヴィットマンさんともう一人、ヒルデ・フォルストさんという妊婦相談を長年行っている社会教育士の方、お二人にお話を聴くことができました。なんと、1時半から始めたインタビューが終わったのが4時半! 3時間にも及ぶインタビューとなりました。
結論から言えば、ヴィットマンさんは、とてつもなく愛情深い方であり、またとても力強い方でした。福祉、教育、行政、政治と渡り歩いてきた方で、見た目的には「優しそうなおばあちゃん」ですが、その存在の力強さには、圧倒される感じさえしました(が、また同時に、どこまでも深い愛情の持ち主であり、僕のような異邦人に対しても、とても丁寧に優しく接してくれました)。
ヴィットマンさんは、1934年3月に、Ambergの北東部の小さなNeustadt ander Waldnaabという町で産まれました。チェコとの国境近くにあります。その後、高等専門学校(Fachschule)で社会教育を学び、社会教育士(Sozial Pädagogin)として働き始めます。1959年には、ミュンヘンのカリタス会に加入し、1960年からAmbergの「カトリック女性社会福祉協会(SkF)」で、社会教育士として相談業務を行います。その間に、ヴィットマンさんは、Missio Canonicaという小中学校の「宗教」の授業を行う教員資格を取得し、1965年から結婚するまで、レーゲンスブルクの小中学校で、「宗教」の授業の専門教員として教育活動を行いました。その後、1971年に結婚し、1973年に長女を出産します。その子育ての間にもさまざまな取り組みをしていましたが、その後、アンベルク市の地方公務員として社会復帰するようになり、さらにバイエルン州の議員になる道を選びました。1987年には、AmbergのSkFの常任理事となり、1991年から2006年までの間、理事長として活躍しました。まさにこの理事長だった時期に、彼女の名はドイツ全土に広まったわけです。また、2000年11月からは、DONUM VITAEミュンヘンの州理事に任命されました。このように、ヴィットマンさんは、福祉、教育、行政、政治と広く活躍してきた方であり、79歳の今なお、そのために尽力している方なのです。
そんな彼女に、僕がこれまで知りえなかったこと、知りたかったことをいくつもぶつけさせてもらいました。
まず、「どうして匿名支援なるものを思いついたのか。どこからそのアイデアを得たのか」、ということです。ヴィットマンさんは、言いました。「これまで私たちは、SkFで、妊娠葛藤相談を行っていました。しかし、20世紀末にローマ法王より、キリスト教団体は「中絶の是非」を決める妊娠葛藤相談をするべきではない、と言われ、この葛藤相談から手を引かなければならなくなりました。しかし、変わらず児童遺棄や児童殺害は起こるわけです。ちょうどその頃、Ambergで、児童遺棄事件が起こり、「なぜ相談に来てくれなかったのか」、と本気で悩みました。そして、その相談に来れない理由に、「実名を明かしたくない」という心理があることに気づき、「ならば、匿名で支援を行おう」、となったのです。私たちは、赤ちゃんポストを提案したわけではありません。匿名で相談できるよう、考えたのです。そして、その結果、匿名相談、匿名出産、妊婦相談等を行うことを決めたのです。それが、このアイデアを思いついた背景です」、と。
なお、これまでで、匿名で支援を行ってきたのは、この14年でのべ70人ほどだと言います。このDONUM VITAEでは、こうした緊急下の女性の支援のみならず、死産・流産してしまった母親へのケア(星になった赤ちゃんプロジェクト)や、妊婦になるための支援や妊娠期間中の支援を行うプロジェクト(サラ・プロジェクト)なども行っています。ゆえに、70ケースは相談件数としてはそれほど多くはないですが、この小さな町だけでこれだけの母親を支援してきたというのもまた真実なのです。これが、本当の意味での「子育て支援」なのではないでしょうか(あるいは、「子育て支援」に先立つ「妊婦・母子支援」の本質なのではないでしょうか。
また、この匿名支援を行うモーゼ・プロジェクトは、ヴィットマンさんだけの力で為し得たわけではなく、CSUのハンス・ワーグナーさん(政治家)との協働によって生まれたものでした。ヴィットマンさんは、その当時、政治界にも通じており、ワーグナーさんは共に協力し合う政治的なパートナーだったそうです。このワーグナーさんとの協働で生まれたのが、「匿名出産」等でした。匿名出産には、どうしても医者や政治家の力が必要なのです。まず、匿名出産を可能にするためには、「医師の理解」が欠かせません。日本でも「赤ちゃんポスト」を巡って蓮田先生が医師生命をかけて取り組みました。そういう医師を見つけるためには、やはり「政治的な力」が必要です。ヴィットマンさんも地方の議員を務めていましたし、政治にも精通していました。ゆえに、実現できたのが、このプロジェクトだった、ということです。
それと、どうしても質問したかったのは、シュテルニパルクのことです。シュテルニパルクは、ドイツで初めて赤ちゃんポストを設置した民間の教育団体です。ヴィットマンさんは、匿名での支援の可能性を拓きましたが、赤ちゃんポストという発想は初めから念頭に置いていませんでした。なので、Ambergには一度も赤ちゃんポストは設置されていません(この点で間違った見解が日独双方に見られます)。
「シュテルニパルクは、教育団体で、私たちのように妊娠葛藤相談をしているわけではありませんでした。ただ、気持ちは共通していました。モイヅィッヒさんたちは私たちのこの施設を訪問しました。そして、お話をしました。そして、赤ちゃんポストができました。私たちは、初めから、赤ちゃんポストについては懐疑的でした。その理由は、緊急下の女性の場合、医療機関外のどこかで独りで孤独に、そして隠れて出産しますが、それを赤ちゃんポストは阻止できません。赤ちゃんポストを利用する前の支援が必要なのです。 医療機関以外の場所で出産することはとても危険なことですし、母子の生命にかかわります。なので、赤ちゃんポストを肯定することは、独りで隠れて出産することを認めることになるのです。それはできません」
今回のインタビューで、一番印象に残ったのが、この言葉でした。ヴィットマンさんは、ドイツの「赤ちゃんポスト論」で必ず取り上げられる人物ですが、彼女自身は、赤ちゃんポストとは関係がない、それどころか、その赤ちゃんポストに対してかなり批判的だったのです。
これで、なんとなくの構図が見えてきました。大きく見れば、ハンブルクVSバイエルン、ということです。SterniParkとDONUM VITAEは、共に世紀の変わり目の時期に、「新たな母子救済プロジェクト」を立ち上げた団体ですが、その方法論が違いました。考え方は似ています。緊急下の女性を救うためには、「匿名性」が欠かせない。けれど、その方法、支援の仕方では、かなり違っていました。
なお、現在のドイツでは、このDONUM VITAEの考え方が強く反映された「内密出産法」が可決され、来年5月から施行されます。これにより、赤ちゃんポストの存在自体がどうなるのか、まだ未知数です。
が、しかし、赤ちゃんポストを禁止する方向には向かっていません。ヴィットマンさんも、実はそのことにも気づいていました。
「内密出産法が可決されたことは喜ばしいことです。が、しかし、問題点もあります。匿名出産では、妊婦の実名は明かされません。けれど、内密出産の場合、妊婦の実名はわたしたちによって把握されます。ゆえに、そのことを恐れて、妊婦が相談に来なくなる、という可能性があるのです。内密出産では、妊婦は私たち相談員には実名を明かさなければなりません。もちろんそれを外に漏らすことは決してありませんが、「漏れるかもしれない」という不安は、妊婦に残ると思われます。ゆえに、14年続けてきたこの取り組み自体がダメになってしまう不安もあるのです」
匿名だからこその支援が、「期限付き」の内密支援に変わることで、問題がずれる可能性が出てきているのです。本来、「匿名を守りたい女性」の支援を行うはずだったのですが、その「匿名性」が「内密」に変わることで、支援すべき緊急下の女性への支援が行き届かなくなる、という可能性が出てくるのです。ヴィットマンさんが気にしているのは、まさにそのことでした。ゆえに、赤ちゃんポストについては批判的ですが、「赤ちゃんポストを廃止せよ」、とは一言も言っていませんでした。
また、「匿名支援」、ないしは「匿名出産」(ないしは「内密出産」)の方法についても詳しく聴くことができましたが、ここでは割愛します(論文等で発表させてもらいます)。ただ一つ、「思いつき」で支援しているわけではない、ということだけは間違いないです。
それから、こうした支援がドイツ全土で行われていますが、そのモチベーション、その動力はどこからきているのか、ということも教えてもらいました。それは、(今後の僕の大きな課題となりますが)ユダヤ人を根絶しようとしたドイツ人ならではの背景ゆえ、ということでした。拙著でも、最後に「アウシュヴィッツ以後の教育」を挙げていますが、これが、ヴィットマンの思想ともつながりました。ただ、ヴィットマンさん曰く、「ドイツ人に、アウシュヴィッツのことをそのままストレートに話すのは、まだタブーな面があります。アウシュヴィッツやホロコーストの話は、まだ私たちドイツ人には厳しすぎるのです。それよりも、どんな命をも守ろう、とする「生命保護」の主張をしっかり続けることが、二度と同じ過去を繰り返さないための唯一の方法なのです」。
彼女は、「生命保護」の話を、ドイツ基本法になぞらえて、僕に語ってくれました。「私たちは、キリスト教の精神と基本法の精神に基づいて行動しています。どちらも私たちにとっては大切なものなのです」、と。また、この二つの要素が、彼女たちの原動力になっているということも確認しました。
(日本もドイツ同様、第二次世界大戦に敗北し、また同様に多くの民間人の犠牲を出しました。ドイツではその反省から徹底した「生命保護」の実践を行っている一方で、日本では、「生命保護」どころか、赤ちゃんポストも匿名出産も内密出産もほとんど話題になりません。また、そうした相談援助の可能性もほとんど広がっておらず、相変わらず「児童相談所まかせ」になっています。ところが、ヴィットマンさん曰く、「児童相談所の仕事と私たちの仕事は決定的に違います」、ということであり、それは全くもって日本にも通じることです。が、肝心の「母子支援」となると、本当に日本は絶望的に遅れています。「自虐史観」と言われそうですが、この点に限っていえば、ドイツと日本とでは比べ物になりません)
日本においても、極限状況に置かれた「生」をどう守るのか、というのは、そもそも実存主義や精神病理学等の大きな関心事になっていました。が、思想的には多く議論されてきましたが、実際に「一つの実存」を守るための「アクション」は、これまでほとんど組織だって行われてきませんでした。個々人が、ある種「研究的関心」から、個別事例を挙げることはありましたが、それを本気で、社会問題として取り上げようとはしてきませんでしたし、今なお、その動きはほとんどみられません。(唯一、その可能性を秘めているのが、「生命尊重センター」かもしれません)
最後に、いわゆる「緊急下の女性」について、ヴィットマンさんはどう思っているのかについて尋ねました。その前には、僕は、(大雑把に言えば)「緊急下の女性は、いわば思考停止の状態で、というよりそもそも思考能力の低い女性が多いのでは?」とぶつけてみました(意図的に)。すると、ヴィットマンさんは、こう言いました。
「彼女たちは、決して賢くないわけではないです。むしろ、たくさん悩み、たくさん考え、本を読み、葛藤し、苦しんでいるのです。誰よりも考えている人たちばかりです。知的に劣っているとは、全く思いません。むしろ、色々と考えている女性がほとんどです。緊急下の女性が知的に劣っているとみるのは、偏見であり、先入観です」
この話を聞いたとき、「そうなのか」、と思うのと同時に、ヴィットマンさんの彼女らに対する見方を教えてもらったように思いました。一番の支援者が、「知的に劣っている」と思っているとしたら、それは本当の意味での支援にはなりません。「彼女たちは、私たちのちょっとした支援があれば、自分で解決する力をもっています。私たちは決して何かを決めたりはしません。決めるのは、当の本人ですから」。自助努力・自己決定に寄り添う、それが、きっとヴィットマンさんの思想なのでしょう。というよりは、こちらの人々の思想なのでしょう。
今なお、赤ちゃんポストも匿名出産も、合法と非合法の間をさまよいながらも、存続し続けています。来年以降、「内密出産」にシフトしていきそうですが、それが成功するかどうかもまだ分かりません。ヴィットマンさんもそのことを懸念しています。
僕は、今後も赤ちゃんポストは存続するだろうと思っています。どれだけ支援システムが整おうとも、「相談できない女性」は常に一定数いると思うからです。匿名相談を受けるにしても、「電話」をしなければなりません。電話をすることすらできない女性もいると思います。また、内密出産では、母子の未来を救えません。特別養子縁組の道は拓かれますが、母子が共に生きていくことへのサポートにはならないと思われます。緊急下の女性のおよそ半数が、「出産後に赤ちゃんと一緒に生きていきたい」と思うそうです。けれど、内密出産では、「別れ」が前提となっているので、母子の明るい未来の創造にはならない、ということになります(事実、そういう指摘もありました)。
けれど、赤ちゃんポストにもまたそれなりの課題があることも間違いありません。やはり、トイレや自室で孤立無援のままで隠れて出産することは、認められませんし、その前に支援しなければならないと思います。最後にヴィットマンさんは言いました。
「内密出産法ができたことは喜ばしいことです。が、これで終わりではありません。これからもまだ私たちがしなければならないことはたくさんあります。私もまだ頑張ります。一緒に尽力しましょうね」
***
今回のインタビューで話した内容の一部をまとめると、このような内容でした。今後も引き続き、この問題について積極的に取り組んでいきたいと思います。僕としては、今後、このドイツの「生命保護の実践哲学(実存哲学)」をもっと深く学び、新たな実存哲学として、この問題を学術的にとらえなおしていきたいと(今)考えています。今後も、ヴィットマンさんと対話を続けたいと願っています。
そして、すべての人間が豊かに生きていけるための道をこれからも探求していきたいと思います。僕のスローガンは、「きっと誰もが楽しく生きられる・・・はず」ですからね。絶望した人間でも、それでも人生にイエスといえる、というその可能性を問い続けたいです。
こういう素敵な「門」もありました。城壁の町なんですね。
帰りは大雨。
ヴィットマンさんに駅まで車で送ってもらいました。ご高齢なのに、運転はワイルド(苦笑)。
ちょっと、怖かった…(汗)