哲学すること(Philosophieren)について書くことはとても難しい。哲学者が哲学について研究することではなく、純粋に単に哲学することは、どのようにして可能なのか。それについて端的に書かれた本って実はそう多くない。僕個人的には、哲学は誰もがやれること、だと思っている。だが、一部の哲学者たちのせいで、特権階級の知的な遊びになってしまっている、そう僕は思っている。
誰にでも分かるように、「哲学すること」について述べている文章はないかな~とずっと思っていたら、、、あった!(これなら分かりやすいかな!って思える文章)。
出典は不明です(汗)。某大学院の入試問題に使われていました。僕的にはかなりすっきりとしていて、具体的にどういうことをしたらいいかについてしっかり書いてある文章だと思う。いかがでしょう。たまには哲学してみては?!
哲学に向かう最善の方法は哲学的な問いを立てることである。世界はどのようにして作られたのか? 起こった出来事の背後にあるのは意志か、それとも意味か? 死後の生命は存在するのか? こうした問いの答えをわれわれはそもそも見いだすことなどできるのか? さらに言えば、いかにわれわれは生きるべきなのか?
人間はいつの時代にもこうした問いを立ててきた。人間とは誰か、あるいは、世界は何から成り立っているのかといったことを問わなかった文明など聞いたことがない。
根本的に、われわれはそんなに多くの様々な哲学的な問いを立てることはできない。われわれはすでに最も重要な問いの幾つかを挙げたが、そのわれわれが立てたあらゆる個々の問いについて、歴史は多くの様々な答えをわれわれに示してくれている。
したがって、哲学的な問いを立てるということは、その問いに答えることよりも簡単なのである。
われわれはいかに生きるべきであろうか(Wie sollten wir leben)、というのはホント考えたい問いである。
軽めに問えば、ボクらはどのように、いかに、いかように生きればいいのか。何に頼り、何を支えに、何に基づいて生きればいいのか。頼るものや支えになるものや基づくものは、あるのか、ないのか。ないと主張する人は何を根拠にないと言うのか。また、あるという人はその頼りになるものや支えになるものをどのような根拠でもってそれを信じているのか。
ボクらはどのように生きていけばいいのか。ただなんとなく生きることももちろんOKだろうし、それに対して誰も文句を言うことはできない。でも、自分の生きかたが明確になれば、もっと人生が楽しくなるだろうし、自分がどのように生きていくべきかを考えることそれ自体も、自分の人生をより豊かにするために大切な作業のようにも思える。
*世の中には忌々しい凶悪な事件が生じている。そうした事件を引き起こそうとする瞬間、「いったい私は何をしているのか?」と問うことができたら、その最悪な事態は起こらなくなるのでは? 銃の引き金を引く瞬間、「こうすることでいったい私の人生の何が変わるというのだろう?」と問うことができたら・・・ ナイフを手にした瞬間、「そうすることで私はどうなるのだろう」と問うことができたら・・・ 自らの生に手をかけようとしているときに、「私はいったい何をしているのか?」と問うことができたら・・・
みんなが哲学的に問うことができたら・・・