僕と同い年のラーメン店主さんでおそらく最も有名なのが、渡辺樹庵さんだと思います。
渡辺樹庵さんは、ラーメンフリークから人気ラーメン店の店主さんになった人で、これまでになかった「濃厚魚介豚骨ラーメン」を新たに生み出した店主さんであります。そしてまた、「ラーメンコンサルタント」の肩書ももつ人で、更には「ラーメンYouTuber」でもあります。かつては「ラーメンブロガー」でもありましたね( ´艸`)。
そんな樹庵さんが2002年に創業したのが、
渡なべ
であります。
樹庵さんの名字をそのまま店名にした、都内を代表するラーメン屋さんです。
僕もちょうど創業した頃に食べに行き、感動したのを今でも覚えています。
その後、何度か行ったと思いますが、最後にここに来たのは2007年8月のことでした。
なので、実に17年ぶりの再訪となるんです!!😂
いや~、17年ぶりか、、、もうそんなに時が過ぎてしまっていたのか、、、と。
17年前となにも変わらないお店の外観…。
本当に17年間、このまんま、ずっと続けてきたんですね。
その間、たくさんのお弟子さんがここを巣立っていきましたね。
この高田馬場の渡なべには来てませんでしたが、樹庵さんのお弟子さんのお店には色々と行きました。
でも、やっぱり樹庵さんといえば、この「渡なべ」なんですよね。
17年ぶりに食べる渡なべのラーメン、いったいどんな感想を抱くのでしょう。
今の渡なべは、どんなラーメンを出しているのでしょう?!
その「今」に触れたくて、17年ぶりにやってきました。
券売機です。
今の渡なべのラインナップはこんな感じになっています。
らーめん(1100円)
となっています。
つけめんもらーめんと同じで1100円になっています。
渡なべもまた「ラーメン一杯1000円の壁」をあっさりとクリアしていました。
味玉ちゃーしゅーらーめん・つけめんだと、1550円となっています。
…
さ、17年ぶりに食べる渡なべのらーめん、、、
いきますよ~
ジャジャーン!!!!
こちらが、2002年創業、一時代を築いた「渡辺樹庵」の渾身の一杯、
らーめん
です!!
17年ぶりにご対面!となる渡なべのらーめん…。
なんか、心からじ~~~んと来てしまいました。
「これが、渡なべのらーめんか、実に美しい、、、💖」
と、まず思いました。
この17年の間、僕も僕でものすごい数のラーメンを食べてきました。国内を飛び越え、世界各地のラーメンの食べ歩きもしてきました。本当に色んなタイプのラーメンに出会ってきましたが、、、
それでもなお、「渡なべのらーめんは美しい…」と思えたんです。
ものすごく香ばしそうなこげ茶色のスープに、ネギとチャーシューが姿を見せています。
もちろん、この下には「渡なべスタイル」と僕が呼ぶ巨大で分厚いメンマが隠れているはず。
zoom up!
17年ぶりとなる渡なべのらーめん。
スープを一口飲むと、、、
「ぐおおお!!旨い!そして懐かしい!これはまさにあの時代の味わいそのものだ!」
って思いました。
鰹節と鯖節をベースにした魚介の旨みと豚骨ベースの白濁スープのコク。
魚介スープと豚骨スープが見事に合体し融合したまさにあの時代の味わいそのものでした。
渡なべの創業は2002年でまさに00年代の初頭ですが、それ以前から人気を博していた「Wスープ」の味が、その当時の味が僕の脳裏に浮かんできました。
最初にこのスープを飲んで思い浮かんだのが、「もちもちの木」でした。
もちもちの木のラーメンのように、熱々のスープで、そして魚介の旨みが迸る味わい。
そこに、コクと重みのある豚骨スープが加わった、まさに渡なべ生まれの「濃厚魚介豚骨スープ」。
この渡なべのらーめん以後、濃厚で重厚な豚骨スープに魚介の旨みを重ねたラーメンがどんどん作られていくようになるんですね。それ以前は、もっとライトでさらっとした動物×魚介のWスープのラーメンで、それ以後は、もっと濃厚でどろっとした豚骨×魚介の濃厚魚介豚骨ラーメンで。
渡なべは、今の時代の観点からすれば、まさにその「以前」と「以後」の中間の味わいだなって今回改めて思いました。
「以後」の濃厚魚介豚骨ラーメン・つけ麺は、松戸の「とみ田」をもって「完成」したと言えると思います。これ以上には濃厚にはできない、という意味で、とみ田こそが、濃厚魚介豚骨のムーブメントを完成させ、終わらせたと僕は思っています。渡なべに始まり、とみ田で終わった。それが、一連のムーブメントの始まりと終わりだなって。
その上で、今回思ったことは二つ。
一つは、渡なべのらーめんって、「濃厚魚介豚骨」というより「濃厚魚介骨粉豚骨」なんだな、ということです。改めて渡なべのらーめんを味わうと、とにかく魚介の威力というか、魚介のパンチがすごく出ていて、「魚介スープ」っていうのを強く感じました。そこに、骨粉(豚骨)が入り込み、ザラザラっとしたスープになっていて、魚介×豚骨(骨粉)こそが渡なべのスープの味の決め手だったんだ、と。
もう一つは、上にも書きましたが、「もちもちの木」のスープにすごく重なる味わいだった、ということです。もちもちの木そのものというより、90年代の終わりから00年代初期にかけて、こういう味が流行っていたんですよね。ちょっと方向性は違うけど、「くんたま」で有名な「竈」のラーメンにも通じる味だな、とも思いました。
このことから、渡なべのらーめんって、いい悪いは別にして、「あの時代の味」だったんだなって、2024年の今、食べて強く思いましたね。
あの当時は「すごく個性的な味だ」と驚いたものですが、今となっては、「同じような味わいだったんだな」って思えてくるんです。「こういうラーメン、そういえば他にもあったよな…」って。それがすごく面白いというか、興味深いというか。。。
ヴィジュアル系の例でいえば、例えば「Laputa」と「ROUAGE」という二つのバンドがいて、全然違うサウンドだと思っていたけど、今聴くと、すごく音が似ているなぁと感じる、みたいな。その当時は、「全然違う音」と思っていたのに、今聴くと、本当によく似ていて、、。
渡なべのらーめんも、当時食べていた人からすれば、「全く新しい味!」って知覚していたと思うのですが、今、このらーめんを食べると、その当時の他のラーメン屋さんを想起しちゃうんですね。思い出しちゃうんですね。
それが今回、すっごく面白い経験になったというか、驚いた点でありました。
麺はこんな感じです。
中太?中細?のストレート麺になっています。
渡なべの麺は、「自家製麺」になっているみたいです。
自家製麺ですが、そんなに個性剥き出し!っていう感じでもなかったかな?!
渡なべは、やっぱりスープに強いこだわりがあるので、麺はスープに寄り添う感じになっていたような…。
そして、渡なべのシンボルでありトレードマークである「極太メンマ」!!
17年ぶりに見た渡なべのメンマ、やっぱり巨大で分厚かったです。
チャーシューに負けない食べ応えのあるメンマで、ここでは、このメンマが「チャーシュー」の役割りを果たしているんだなぁって思いました。
写真では2切れ写っていますが、合計3切れ、入っていました。
極太メンマって他のお店でも出ることがあるけど、渡なべのメンマはそれでも「圧巻」の存在感でした。
17年経っても、やっぱり「すげ~~~!!」って思うメンマでした💖
タテじゃないと裂けないメンマで、なんか「裂けるチーズ」みたいな感じでした。このメンマ、いったいどこからどうやって調達しているのかなぁ~?!(巨大メンマを渡なべの厨房でカットしているのかな?!)
こちらが、渡なべのらーめんに入っている「チャーシュー」です!
ここでは、チャーシューがメンマ代わりになっているのかな?!(;´・ω・)
メンマの圧倒的存在感に対して、ここのチャーシューは地味というか、控えめな感じでした。
が、さすがは渡なべで、このチャーシューも、(見た目はなんか寂しい感じがしたけど)「おおお!」って思う絶品チャーシューでした。なんてことないけど、なんてことなくないチャーシューっていう感じかな。
二種のネギもとってもよいアクセントになっていました🎵
***
というわけで、、、
17年ぶりとなる高田馬場の名店「渡なべ」の実食レポでした。
いや~、17年ぶりの渡なべ、すっごく楽しかったです\(^o^)/
まさか、渡なべのラーメンを食べて、「もちもちの木」とか「竈」を思い出すとはなぁ~~…。でも、2002年当時の東京のトレンドのラーメンをたしかに感じましたね。
あと、ここまでザラザラっとした骨粉魚介ラーメンだったか!っていうのも、新鮮な驚きでしたね。で、煮干し感がほとんどないのもまたなんか新鮮でした。
…
22年、高田馬場のこの場所で、渡なべの味を出し続けてきたせいか、お客さんは、いい感じでポツポツと絶え間なくやってくる感じでした。変な時間帯に来たからかもしれないけど、そんな度を越えた行列はできていませんが、ずっと途切れれることなく、お客さんがやってくるのが印象的でした。お客さんは僕が見た限り、全員「男性」でした😊。
渡なべは、今、高田馬場の地で、ひっそりと、でも、多くの人に愛されて、存在していました。
中堅店から老舗店になっていくその過程にあるのかな?!って。
渡なべでは、スタッフが募集されていました。
渡なべで修業して独立する、っていうのは、とてもいい道だなぁって思います。
渡なべ出身で、活躍している店主さん、全国的にいますからね。
しかも、月給も30万円~ですって!!Σ(・□・;)
樹庵さんのTwitter(X)やインスタなど、、、
あと、YouTubeも紹介されています。
そうそう、この記事を書いた直後に、ちょうど渡なべのスープについての動画がupされたんです。
この動画の中で、「(渡なべでは)魚粉は使ってないんだけどさ」という樹庵さんの言葉がありました。
17年ぶりに渡なべのスープを飲んだ時に、最初「魚粉っぽいのがいっぱい器にくっついているなぁ」って思ったんです。魚介の味も相当強いので、魚粉と骨粉の両方が混ざり合ったスープなのかな?って思ったんです。でも、「使ってない」と樹庵さんご自身が言っているのだから、そうなのでしょう…。
魚粉を使わないで、あれだけの魚介の旨みとか香りとかを出せるっていうのも、やっぱり凄いことだよなぁって改めて思いました。本当に<魚介>✖<豚骨>のミクスチャー系ラーメンだったんだなぁって。
あと、本当にたまたまの偶然なんですけど、樹庵さんって「もちもちの木」が好きだったんですね。これも僕がこの記事を書いた後に知って、「うおおおおお!」って思いました(笑)。
2002年創業の「渡なべ」は、今も健在でした。
2002年っていうと、26~27歳くらいのときか。26~27歳で個人でラーメン店を出すって凄いよなぁ…。
その当時の僕は院生で、必死になって勉強していた頃だな…(;´∀`)
その頃から今に至るまで、ずっと一つのお店を守り続けているんだから、本当に凄いなって思います。あの当時は「空前のラーメンブーム」の頃で、そのブームの只中にありながら、2024年の今もこうして変わらずに営業しているのだから。
昔、remotoの池田貴族さんがバンドブームの最中に、「俺たちはホンモノだから、ブームが終わっても残ります」と強い口調で言ってたのを思い出します。
渡なべもまた、「ホンモノのお店」だったんだなって、今回改めて思いました。
どのジャンルでも、ブームというのは必ず終わるんです。ブームは所詮ブームです。その時に輝けても、ブームが終わったら、だいたいは消えてなくなってしまうんです。「それでも」、残るものは残るんですよね。
渡なべと同じ時代に輝いていたお店の多くは、もう存在していなかったり、また姿かたちを変えてほそぼそと生き残っていたりします。
渡なべは、2002年の当時のまま、いや、その時よりもはるかに輝いているようにも見えました。かつてのブーム的な輝きというよりは、ホンモノの輝きで。時分の花の美しさではなく、誠の花の美しさで。(ちょっと褒め過ぎかな?!)
これからも高田馬場の地で、地味に地道に輝きながら存在し続けてほしいなぁって思いました。
渡なべがある、ということが、かつてとんでもないラーメンブームがあったということの証明にもなりますからね👆
これからもずっと渡なべが渡なべのままで在り続けますように!✨
…
この番組の最後に「渡なべ」が出てきます!
こういう濃厚魚介豚骨ラーメンの原点が「渡なべ」になるんですよね~。
そんな「濃厚魚介豚骨」は調理本にもなっているんですね。