海外が遠いです。
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この1年半、「海外」の道が断たれ続けています。オリンピックで海外の人たちは次々に日本にやってきていますが、当の日本人は海外に行くことも、また日本に帰国することも容易ではありません。
ずっと毎年欧州に行く生活を送っていた僕としては、とても悲しい日々が続いています。それこそ、今の若者たちの言葉で言えば、「モチベがない」に尽きます。
年に1~2回程度ですが、海外に行って、日常から離れて、色々学んできましたが、今やもう「日常」にがんじがらめになっていて、モチベーションもなくて、「こりゃ、どうしたものか…」、と。
正直、何か高い志をもって、研究に集中するという気力さえ消えかけています…😢
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でも、もっと心配なのが、今の若者たち。
コロナがなければ、今を生きる若者たちの多くが海外で、その国でしか経験できないことをして、帰国して、「日本」という国を見つめ直していたはず。
大海を知らない「井の中の蛙」が、その大海に出て、その世界の大きさや井の中の狭さに気づいて、慄いて、そして生き方を変える、ということができないんです。
僕自身もそうでした。ずっと日本国内で「生きづらさ」を感じて生きてきて、大海に出てはじめて「このまま生きていいんだ」って思えたんですから…。日本は特殊な「島国」で、「島国根性」がとても強い国です。異質な他者がいない(見えない)国なので、同属意識、みんな意識、同調圧力がとても強いです。「出る杭は必ず打たれる」という国です。
そんな日本人意識を相対化させてくれるのが、海外経験だったりします(もちろんそれだけではないですが…)。
この1年半、若者たちは「不要不急の外出の自粛」が半ば半強制的に強いられています。かけがえのない青春時代が、コロナのせいで台無しになっています。今もオンライン授業で自宅で孤独に勉強している学生も多いと聞きます。
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ただ、それでもできることはあります。
こんな時代だからこそ、平常時以上に勉強はできます。本も読めます。外国語の勉強もできます。YouTubeという強力なメディアがあるので、海外に行けなくても、外国語の勉強を楽しくすることができます。
人生は長いです。このコロナパンデミックも永遠に続くわけではありません。この苦痛でしかないマスク生活も永遠ではありません。いつかは「終わり」が来るんです。
その時のために、お金を貯めて、勉強をいっぱいして、語学を学んで、海外に行くその日のために準備をしておける、という意味では、この半強制的自粛生活にも意味があった、と言うことはできるんです。
もし今僕が学生だったら、ひたすら本を読んで、語学を勉強していると思います。1日2日で読める本じゃなくて、1年2年かけないと読めないような本(主に古典)を読んで、そして、ひたすら外国語の勉強をしていると思います。(まぁ、そういう生活をかつて送っていたわけです)
また、友達や先生とも色んな話は今でもできます。語り合う青春の日々、というのはやっぱりいいものです。学生時代の友人と朝まで議論したり、素敵だなと思う先生の研究室であれやこれやとお話をしたり…。そういう思い出って、何十年経っても色あせないんです。
ぶっちゃけ、恋愛経験よりもずっとずっと色あせない思い出になっています。40代半ばで思い出すのは、恋愛の記憶ではなく、友や師との語らいの記憶なんですね。あるいは、図書館で本を読んで色々感じた記憶や、仲間と旅をした時の記憶、師から教わった学問話や、「これからどう生きていくか」という人生論的な話。
コロナパンデミックは辛いものがあります。が、それでもできることはいっぱいあるんです。それをするかしないかは、みんな次第。
フランクルの言葉で、「それでも人生にイエスと言う(Trotzdem Ja zum Leben sagen)」という有名なフレーズがあります。どんな境遇にあっても、それがたとえ先のない収容所の境遇であっても、人生を肯定的に捉えることはできる、という彼の信念を表す言葉です。
遠くない未来、「私はコロナで学生時代何もできなかった」という言い訳?をする人が多く出てくると思います。でも、それはやっぱり言い訳なんです。そういう人は、コロナパンデミックがなくても、何もしなかったはずなんです。
そういう苦しい言い訳をしないためにも、今、ここから、いつまで続くか分からないコロナパンデミックの日々を大切に過ごしてほしいなぁと思います。
いつも学生たちに言っていることだけど、「人は裏切るけど、学問は裏切らない」、と。若い日に触れた学問は、すぐに役立つようなことは何もないけれど、人生においてず~っと生き続けるものなんです。
ここでいう「学問」というのは、「哲学」です。「知を愛すること」です。「真理とは何かを追求すること」です。哲学が学問の片隅に追いやられて久しいですが、だからこそ、今の時代に、どこにも行けない時代に、哲学を勉強してもらいたいなぁって思います。
細かい専門的な知識や技能を学ぶのも生きていく上では大事ですが、それだけではダメなんです。全体を俯瞰して見るための訓練というか努力が必要なんです。個別のものは全体の中で理解しなければならないし、その全体は個別のものを理解して初めて分かってくるんです。日本やアメリカを知っただけでは、世界を知ったことにはなりませんが、世界を知るためには、個々の国を知る必要があります。
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学生時代に海外に行けなくても、この先、必ず行ける日は再び来ます。社会人になっても、頑張れば1週間くらいの休みは取れます。また、日本ではまだまだ難しいかもしれないけど、ある程度働いた後に、大学や大学院に進学したり学びなおしをしたりすることもできます。
繰り返しますが、人もお金も裏切ります。でも、学問はきっとあなたを裏切ることはないでしょう。人間がこれまでここまで発展してきたのは、やっぱり学問があったからだと思います。「人権」という言葉も、ふと自然に出てきたものではありません。多くの学者が「人権」について真剣に考え、探求してきたからこそ、今の社会で大事にされているんです。「平和」もそう。「正義」もそう。学問がそれを訴えてきたから、今も大事にされているんです。
一度きりの青春時代。思いっきり学問してほしいなぁって思います。
Dear next...