Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

恋愛交差点25-「愛すること」についての5つの基本概念について-基本編-

およそ1年ぶりの不定期連載『恋愛交差点』です。

今回は、恋愛交差点第25話です。

前回の恋愛交差点24話はこちら

今回は、改めて「愛すること」について考える基礎の基礎について語りたいと思います。

本になるときの、はじまりの章みたいな感じです。

***

愛(love)は、色んなところで色んな人たちに向けて使われます。

多分、一番最初に浮かぶのは「好きな人への愛(異性愛・同性愛・ポリアモリー含む)」だと思います。

恋愛をしている人もしていない人も、愛という言葉を聴くと、「好きな人」のことを思い浮かべると思います。昔であれば、「好きな異性」と書くところですが、今は性の多様化もあり、「好きな人」と書くのがベストかなと思います。

いや、最近では、関係者全員の合意に基づく複数恋愛(ポリアモリー)も広まりつつあるので、「好きな人たち」と書いてもいいのかもしれません。「好きな人は1人でなければならない」というのも、もはや過去の価値観であり、また「恋愛イデオロギー」になるんです。

ただ、対象が異性であろうと、単数/複数であろうと、「好きな人への愛」の「愛」自体は、同じもの(同じようなもの)を指しています。いわゆる「恋心」、「胸のトキメキ」、「気になる心」といった「愛が示す内実」に変わりはありません。

次に思い浮かぶのは、「友だちへの愛」か、「親への愛」か、あるいは「兄弟姉妹への愛」でしょうか。

まずは、友だちへの愛

みなさんにも「親しい友だち」がいると思います。「親友」とか「ベストフレンドとか「盟友」とか「朋友」とかとも言ったりします。そういう親しい間柄の友だちへの愛情というのも、きっと想像しやすいと思います。

親友ともなると、嫉妬したり、ヤキモチを焼いたり、妬んだりってことも起こるので、「好きな人への愛」とそんなに違わないところもあるとは思います。違うのは、性的交渉がないのと、あと、その親友に「カレシ」や「カノジョ」ができても、喜べるところくらいでしょうか。(いや、それとてちょっと微妙な話かもしれませんが、、、)

親友が別の友だちと仲良くしているのを見ると、猛烈に嫉妬するというのも、よくある話ですよね。

親友の他に、ライバル(好敵手)という存在もいたりします。「仲良くはないけど、常に意識している存在で、自分よりちょっと上のレベルにいる存在」みたいな。そういうライバルへの愛というのもあったりなかったり?!

次いで、親への愛情です。親の愛情は、それこそ昔は「義務」「道徳」みたいなものでしたが、今の時代では、「親を愛する人」もいれば、「親を憎む人」もいるし、また、「親にまったく関心をもたない人」もいる、というのがベストアンサーでしょう。

親を愛する気持ちというのは、純粋な愛情であることもありますが、むしろ「いなくなったら困る」という実用的な意味での要望でもありましょう。親を失った時の寂しさや悲しさは、その子の年齢が小さければ小さいほど、巨大なものになりますが、いつか乗り越えていけるものです(*親が自殺して亡くなった場合は、また話が大きく違ってきますが…)。

それに、親への感情というのは、どちらかというと「感謝」に近い感情ではないかな、と思います。感謝か、恐怖か、憎しみか。一般的には、愛憎が入り乱れるのが「普通」かもしれません。

あるいは、親への愛は、「尊敬」になることもありますね。親の姿を見て、「すごい」とか「ああなりたい」とか思う人も結構多くいたりします。が、世の中を知れば知るほど、親よりもすごい人や憧れる人って出てくるもので、親への尊敬というのは、消える運命にあったりもします。

また、親ではなく、兄弟姉妹への愛というのもありますね。

兄、弟、姉、妹、その間で生まれる愛というのもあります。古くから「兄弟愛」と言われているものです。

恋人でもなく、親でもなく、また友人とも違う兄弟姉妹への愛。この愛もまた、とても独特なものだと思われます。

親や兄弟姉妹への愛情は、血縁関係に基づく愛、と言ったりもします。血がつながっているから愛している、というように、血のつながり故の愛というのもたしかにあります。今の時代とあっては、それが重荷になったり、負担になったりもしますが、、、。

以上、僕らがすぐに思い浮かぶ「愛」の対象について考えてきました。

これらの愛については、それこそ古代ギリシャ時代(紀元前)から議論されてきました。

好きな人への愛、友だちへの愛、親への愛&兄弟姉妹への愛には、それぞれ「名前」が付いています。

➀好きな人への愛=エロス

➁友だちへの愛=フィリア

➂親への愛&兄弟姉妹への愛=ストルゲー

という名前です。

エロスの愛とはなんだ?! フィリアの愛とはなんなんだ?! ストルゲーっていったいどんな愛だ?!というのは、それこそ2000年以上前から延々と語られてきたんですね。

それ以外にも、愛の対象には色々なものがあると思います。

先生や師匠への愛、推しへの愛、バンドへの愛、作家への愛、歴史的人物への愛、アニメ(登場人物)への愛、犬や猫、動物への愛、鉄道への愛、ラーメンへの愛、学問への愛(フィロソフィー)、母国への愛、更には、人類愛なんていうのもあったりします。

ヲタク大国ニッポンであれば、もう無限に「〇〇への愛」というのは出てくるんじゃないかなと思います。

でも、日本だとどうしても出てこない愛があります。

一般的日本人ではなかなか出てこないけれど、海外に出るとまず最初に出てくる愛があります。

外国の人に「愛」の話をすると、真っ先に出てくるのが、

➃神さまへの愛=カリタス

であります。

このカリタスの愛が、この地球上で最も多く語られる「愛」のワード(概念)であります。

カリタスの愛は、日本語では「隣人愛」と呼ばれています。隣人愛は、日本ではほとんど話題になりませんが、世界的に見れば、隣人愛こそが最も長く深く考えられてきた愛になります。

好きな人でも、友だちでも、親でも、兄弟姉妹でもない「赤の他人」への愛がカリタスの愛です。

このカリタスの愛は、神さまからの愛「アガペー」とセットになっています。

アガペーの愛は、通常は「神さまからの愛」と考えられています。神さまは、自分が愛されることを一切欲さずに、一方的に無条件で与えてくれる愛のことで、最も大きく、最も偉大で、最も究極的な愛、と考えられています。

この最も大きくて、最も偉大で、最も究極的な愛に一番近いのが、「親の子への愛」とよく喩えられています。(これについては24話でお話しました)

このアガペーの愛は、主に「聖書」を土台とするユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信者たちの間で延々と語られ続けてきたものでした。なので、アジア人である僕ら日本人や近隣諸国(黄色人種)の人たちの間では、そんなに議論されてきたわけではないかなと思われます。

愛について学ぶとき、まずはこの5つの愛のカテゴリーを覚えておいてほしいと思います。

✅エロス(eros)
✅フィリア(philia)
✅ストルゲー(storge)
✅カリタス(caritas)
✅アガペー(agape)

この5つのワードをしっかり理解し、これらのワードを使えるようになることこそ、「愛することについて学ぶこと」であります。これらのワードそれぞれに対して、2000年以上の議論を積み重ねてきました。(この5つ以外にも、色んな「愛」を表す言葉はあります)

つまりは、

愛するとは何か。

愛するとはどういうことか。

これは、人間の歴史において最も古い「問い」であり、そして今なお問われて続けている「問い」であり、また、これからもずっと問い続けていくことになる「問い」であります。

2024年の今もなお、この世界では、たくさんの人が殺し合っています。戦争も消えてなくなるどころか、再び小さな紛争から国家間の戦争まで、次々に恐ろしい戦いが繰り広げられています。

ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ・レバノン・イラン、ミャンマーやアフガニスタンやシリアやリビアの内戦…。

アメリカやヨーロッパ、アジアでも、ますます「分断」が進み、(愛の反対である)憎しみの連鎖も広がっています。

もはや「愛」を語ることに何の意味もなさないくらいに…。

でも、まさに愛が無意味に感じられる今だからこそ、愛について問うことが大切になってくるのです。

昨日、テレビで、イランに攻撃されたイスラエルの小学校の女性の校長先生がこんなことを言っていました。

「私たちの学校は破壊されました。しかし、教育はやめません。子どもたちに、正しいことを教えていかなければなりません。敵国の子どもたちも正しいことを学ばなければなりません。私たちも敵国も、きちんと子どもたちに正しいことを教えていけば、きっといつか解決することはできると信じています」

みたいなことを。

まさに、その正しさの根拠となるのが、「愛」だと思います。

愛が失われていく時代だからこそ、愛が見えにくくなっている時代だからこそ、愛について僕ら一人一人がしっかり考えていかなければならないと思います。

愛について学ぶ人が増えれば増えるほど、この世界は愛のある世界になっていきます。

愛について学ぶ人が減れば減るほど、この世界は愛のない世界になっていきます。

こんな話をすると、「そんな小難しい話なんてしなくていい。愛は感じるものだ。うだうだとあれこれ語るもんじゃない。鬱陶しい」と言われることもあります。(かつての学生にそう言われたこともありました)

それに対して、僕は「愛ははたして「感じるもの」なのかどうか、考えない?」と問いかけます。

愛は感じるものなのか、そうでないのか。

もし愛が感じるものでないとするならば、愛は何をするものなのか。

(と問いかけても、だいたいは、「は? 何言ってんの? わけわからんわー」って思われて、終わるんですけどね…)

この問いに答えるためにも、まずは、これまでの膨大な「恋愛論」「愛の理論」を色々と見ていくことにしましょう。

そして、学んでいく中で、「恋愛すること」や「結婚すること」や「子育てすること」が恐ろしく難しく困難な営みだということが分かってきてくれたら、幸いです。

そして、逆に愛することを学ぶことで、恋愛や結婚や子育て(あるいは保育や教育)に自信や勇気や明るい未来を得ることができるとも、僕は強く思っています。

人間は、生きている限り、「お金」と「愛」のどちらも必要です。生きるのにお金が必要であるように、また人は(生物は)また、愛なしでは生きていけません。

そんな生きる上で最も大切な愛について、学んでみませんか?!

無論、学問として愛を考えるので、特定の価値観を押し付けることはいたしません✨

恋愛論の基本の書

愛の哲学の基本の書

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愛することを学ぶ上での最高のテキスト!

性愛についての代表的な本

エロスとアガペーについての本

コメント一覧

sehensucht
>あみん (hgn) さんへ
> エロスというのは、なんか一人歩きしちゃっている印象ですね。エロという言葉もここ... への返信

この話を学生たちにしたら、「エロい」というイメージがあったけど、「エロス」って違う意味なんですね、と驚かれました。

カリタスの愛は、学校現場では(この言葉は使わずとも)いろんなところで立ち現れているものかな?!とも思います!
あみん (hgn)
 エロスというのは、なんか一人歩きしちゃっている印象ですね。エロという言葉もここから来ているのでしょうか。
 カリタスというのは、ミッションスクールの校名で聞いたことがあります。

 きょうも勉強させていただきましたm(_ _)m
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