Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

「おひとりさま時代」をポジティブに生き抜こう!-コロナ禍の若者たちへ-

たいへんな時期が続いています。

もう、どうにもこうにもならない状態に…😿

みんなで会うことも、みんなで食事をすることも、

みんなで呑むことも、みんなで歌うことも、…

全部、ダメになっちゃいました…。

目にも見えない「新型コロナウィルス」のせいで…。

***

じゃ、そんな「コロナの時代」に、僕らはどう生きればいいのか。

ふと思い出すのが、「おひとりさま」という言葉でした。

僕もかつて「おひとりさま」について書いたことがありました

ひとりで旅行に行ったり、ひとりで食べにいったり、

ひとりでカラオケにいったり、ひとりで呑みにいったり…。

今、僕らにできることは「おひとりさまライフ」じゃないのかな??って。

もはや「誰かと」何かをすることができないなら、「ひとりで」何かをすればいい。

食べに行くのも、呑みに行くのも、カラオケに行くのも、旅に出るのも、

ぜ~~~んぶ、おひとりさまなら、なんとかできるんじゃないかな??って。

***

例年、この時期になると、卒業する学生たちと食べにでかけたりしてますが…

今年はもう何もかも絶望的で、、、

けど、「発想」を変えれば、「ひとりで食べに行く分には問題ないだろう」と。

人が密集する場所は避けつつ、行きたいところにひとりで行けばいい。

食べたいものがあるなら、ひとりで食べにいけばいい。

行きたい場所があるなら、ひとりでひっそりとそこに行けばいい。

もちろん「不要不急の外出」はできるだけ避けるべきだろうけど、「食べに行くこと」は、不要じゃないし、営業しているお店がある限り、食べに行くことは、そのお店の売り上げに貢献することにはなる。もちろん店内での会話はしないのが原則だけど…。

「旅をする」というのは、今はとても難しい。でも、(僕はともかく)若者たちにとって、「旅をすること」は、何にも代えがたい「学びの経験」になる。それを止めることは、教育者としてはできない。

一人で、静かに、旅をすることは、なんとかギリギリ許されるのではないか、と思う(当然、反論はあるだろうけど…)。でも、一人で、会話をせずとも、旅をして、見知らぬ町を歩いて、彷徨うことで、感染拡大にはならないだろうと思う(思いたい)。

旅先には、必ず誰かがいて、お店があって、文化や歴史があって、色んな出会いがある。「みんな」で旅行しなくても、不意の出会いや不意の経験に巡り合うこともある。もちろん、そこでお店を営む人がいて、そこで何かを食べれば、そのお店に(微力ながら)貢献することもできる。

***

問われているのは、「おひとりさま」になれるかどうか、だと思う。

ひとりで旅をするのは、とても寂しいし、孤独だし、不安だし、人恋しくなる。けど、それもまた、旅の醍醐味というか、旅の喜びというか…。

1998年、僕はひとりで初めての海外(ドイツ)に飛び出た。人生初の海外が、1年間の留学でした。初めてドイツの地に降り立った日は、あまりの孤独と寂しさと不安で、泣いた(@レーマー広場)。

その頃に作った曲があります。

(この歌っている声は、僕がまだ20代中盤だった頃の声です(n*´ω`*n)。かわいい…苦笑)

この曲を聴くと、あの当時を鮮やかに思い出す。

「悲しいほど 切ないほど 人はやさしくなれるから 今は独り 異国の果て いつか笑える日が来ると信じて」…

ひとりになって、おひとりさまになって、どこかをあてどなく流離(さすら)うのも、今だからこそできることなんじゃないかなって思う。

こんな時期だからこそ、「おひとりさまライフ」をもっともっと拡充させていくという「可能性」があってもいいのではないか、と。

***

極論を言えば、生まれてくる時もひとりだし、死ぬときも結局はひとりなんですよね。

「みんな」っていうのは、ある種、「共同幻想」みたいなもんで、みんなでいると、自分自身がひとりで存在していることを忘れられるんですよね。

でも、それって、結局は一時的に「ひとりであること」から現実逃避しているだけで、そのみんなと別れれば、また「ひとりの時間」がやってくる。

結局、ひとりでしかないんだ。自分という存在は、じぶんでしかないし、いくら「他人」のことを考えたところで、その他人のことなんて、全く分からないまま、知らないまま、別れていくんだろうと思う。

今回の一連のコロナ禍は、本当に僕らを苦しめているけど、でも、いつか「コロナがあったからこそ、気づけたことがあった」と思う日が来てほしいと願う。

そのためには、ただ指をくわえて、スマホやらPCやらをぼけーっと眺めているだけじゃなくて、何か具体的に動いていってほしいと思う。若い子たちにとっては、2020年も2021年も、大切な「青春の時代」だから…。

繰り返しになるけど、ひとりで動く分には、ひとりで流離う分には、誰も気に留めないだろう(と思う)。もちろんマスクをつけて、人との接触を避けて、飛沫感染を防いで、2mくらいちゃんとディスタンスを取って…。

寂しいとは思うけど、外の世界には、「人間」だけじゃなくて、いろんなものがある。自然だってあるし、動物だっているし、文化だってあるし、歴史だってある。

2013年、旅をして、高知県で空海に会ってきました

人との接触を避けつつ、でも、その人間が残した文化や歴史に触れる。そういう経験まで、コロナウィルスは奪うことはないだろうし、そんなことを許したくない。

目に見えないウィルスだけに、どこでどう感染するか分からない。けれど、これまでの知見から、「人との接触」「飛沫」「人との会食」、総じて「濃厚接触」が、パンデミックの原因だと言われている。

海を見たり、川を見たり、山を見たり、岩を見たり、…

それで、コロナに感染することはないだろう。海を見ていて感染したなら、もう、どうにもならないし、防ぎようもない。海を見て感染したことを、後世に語り継げばいい。

どんな状況であっても、その人生にYESと言うことができる、というのが、フランクルの見解だった。僕もそう思う。何があっても、どんな状況になっても、どんな苦境に立たされても、それをどう生き抜くかまでは、誰も決められないし、誰も関与することはできない。たとえ死を目の前にした強制収容所の中に入れられたユダヤ人であったとしても…。

この今の状況を、悲観するか、楽観するか。それは、結局は自分次第。

どうせ、辛いこの状況を生きるなら、あっけらかんと楽しく生きた方がいい。

誰とも接触できないなら、ひとりでどこかに飛び出ればいい。

それを親などに止められるなら、自転車でどこかに飛び出ればいい。

僕は、学生時代、自転車で名古屋まで行った。名古屋まで自転車で、誰とも接触することなく、行ってきた。(本当は日本一周したかったんだけど…💦)

ホテルや旅館だって、今は困ってる。宿泊客がいなければ、ホテルも旅館も成り立たない。自転車でひとりで誰とも接触しないでたどり着いた客を無下にするホテルも旅館もないだろう。しかも、自転車であれば、誰かと行くことだって、不可能ではないだろうと思う(もちろんソーシャルディスタンスを取りつつ…)。

***

と、ながながと書いたけど、、、

「おひとりさま」であれば、まだまだ色んな事ができるんじゃないか?!って。

今のこの状況は、まさに「おひとりさま時代」と言っていいだろう。

このおひとりさま時代をどう生き抜くか。

これをもっとみんなで語っていけたらいいなぁって思いました。

僕もまた、近々、人との接触を避けつつ、どこかにふらっと旅出たいと思います。

(久々に自転車でどこか遠くまで行ってこようかなぁ…💦)

人生って、ホントに一度きり。

青春時代なんて、ほんのあっという間…。

僕ら中年にとっては、惰性・怠惰でしかないこの日常も、

若い人たちにとっては、かけがえのない一日の繰り返し。

コロナ感染予防を十分に配慮しながらも、色々とひとりでやってもらいたいなって思います。

大人たちも、ただ若者たちに「コロナに気をつけろ!」というだけでじゃなくて、その若者たちの世界が広がるよう、いろいろと手助けしてあげたいところです。

それが、コロナ禍の若者たちに対する大人の「責任」だと思うんですよね。

自戒の意味も込めて…。

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