悪口について、最近よく考える。悪口がこの世から消えつつある。あるいは、悪口が悪口じゃなくなっている! いつから悪口が悪口でなくなったのか・・・等々。
悪口には四つの次元がある。
①命令形の攻撃
(しね、きえろ、ちかよんな、あっちいけ、話かけんな…)、
②ネガティブな身体的特徴の攻撃
(デブ、ブス、はげ、短足、チビ、デカ、めがね…)、
③ラベリングの攻撃
(馬鹿、アホ、チンドンヤ、トンマ、ウジ虫、ピーマン、オマエノカーチャンデベソ… マニアックだと「兵六玉」なんかも・・・)、
④意味不明の必殺技
(オタンコナス、トンチンカン、あんぽんたん、ドテカボチャ、すっとこどこっこい、クルクルパー…)、
以上の四つだ。
*ウザイ、ムカツク、キモイ、キショイ等は(本質的に)悪口になっていないのでカット!
*①の命令形の悪口は、「いじめ」で用いられることが多いように思われる。
この中で見事に消えたのが、②の「ネガティブな身体的特徴を攻撃する悪口」だ。 これはたしかに言ってはいけない要因を含んでいる。言われた側は、それをコンプレックスにし、のちのちの人生に大きな影響を与える。「差別発言」とも直結するので、問題は大きい。(しかし、こうした身体的な悪口はその人の個性となっている、という点にも注意を払いたいところ)
僕は何かとネガティブな身体的特徴が多くてたいへんだった。実際に言われたことのある悪口を思い出してみよう。
ハゲ
デブ
おしりでかい
あたまでかい
汗っかき
短足(胴長短足)
壊れたラジオ
ハグキ男
唇あがり
三重あご
手長ザル
ドモリ
つばとばし などなど。
こうした悪口を言われて、僕も人並みに傷ついてきた。けれど、今思うと、これが僕だよなあって思うし、言われることで、人との違いに敏感になれたし、強くもなった。(多分、人よりも色々言われたと思う。なにせ欠点がたくさんあったので! 小学生時代はいつも泣いて、そしてケンカしていたのをよく覚えている。きっとからかいやすかったのだろう・・・)
こうした身体的な悪口は、常に「部分的な悪口」なので、その部分を治すこともできるし、別の部分で長所を伸ばすこともできる。僕の場合、身体的に負の部分が多いので、知的・精神的な部分で自分を成長させることができた、と思っている。
しかし、現代語の「ムカツク」とか「キモい」とか「ウザイ」とか言われると、部分じゃなくて全体的に否定された感じで、いやな感じがする。いやな言葉だ。しかも、どこがどうムカツクのか、どこがどうウザイのか分からないから、どうしようもない。
ウザイとからキモいとか言われるくらいなら、短足やデブの方がいいと思えちゃう。まだ救われる感がある。(ウザイ・キモイと身体的悪口、どっちが言われるとキツイんだろう?!)
けれど、ウザいやキモいといった悪口(というか全否定)を封じることは極めて困難である! これまでは、「人の身体にかかわる悪口はやめよう」、「差別はやめよう」という言い回しで、悪口を封じてきた。 だが、ムカツクやウザイやキモいは、相手のネガティブな身体的特性については一切触れていない! うざい⇒うざったい、キモい⇒きもちわるい、ムカツク⇒むかむかするというように、単に自分の気持ちを言っているに過ぎない。だから、封じようがないのだ。
身体的悪口を封じた結果、最終に極めてキツイ言葉が生み出された。部分を否定するのではなく、すべてを否定する言葉が。どうしようもないほどにやるせない言葉が。
ムカツク、キモい、ウザイ、そして、キエロ、シネ…
そして最後には、言葉を失い、キレるしかなくなる。ある保育士さんの話だと、シネ(小さい子はシメ)とか、キライとか、ウジャィとか、そういう悪口しか聞かないという。また別のベテラン保育士さんは、「最近、悪口を聴かなくなりました。悪口を言わないかわりに、キレるっていうか、暴れるっていうか、パニックになるっていうか、そういう感じの子が多くなりました」、と話してくれた。
子どもから悪口が消えているのだ!
・・・悪口が抹殺された結果、僕らに残されたのは・・・
PS.
今日、となりの研究室の先生(戦前生まれ)に、たくさんの悪口を教えてもらいました! 昭和初期の悪口は実にさまざまでした。中にはここで書けないのもありました。かつての悪口(日本語)はやはり豊富だったのです!
ルンペン、こじき、ぼんくら、のろま、ノータリン(脳足りん)、くそったれ、デベソ、大馬鹿三太郎、デレスケ、ねしょんべん小僧、チビ、ハゲ、ジャリッパゲ、けち、しみったれ、オカチメンコなどなど。すごいなぁ。。
あとビックリしたんだけど、「オマエノカーチャンデベソ」に代わるお父さんバージョンがあったのだ!(ただし現在では非常に問題発言になるので非公開) さらには、「泣き虫 毛虫 はさんですてろ」っていうのもあった。