Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

[草稿] ヴィジュアル系のルーツを探る

ロックの歴史を振り返ってみました。ロックに詳しい方が読まれましたら、是非ご批判、ご指摘いただけると嬉しいです!! 論文にするか本にするかは分かりませんが、「いつか」のために書いてみました。一応、ヴィジュアル系史です。


ヴィジュアル系は、広い意味で、無数にある「ロック」の一部に含まれる。「ロックとは何か」という大きな問題はさておき、まずは、ヴィジュアル系のルーツとなるロックの歴史を辿ってみたい。

80年代~90年代
 ヴィジュアル系は、広く80年代~90年代に確立されていった。私は、厳密な意味で、1993年に「ヴィジュアル系」が確立されたと考えているが、一般的には80年代後半に登場したX JAPAN(当時はX)と共にヴィジュアル系が誕生した、と考えられている。この点については、第二章以降で詳しく論じていくことにする。
 X JAPANが台頭をあらわした80年代、日本では、既に無数のバンドがロックシーンに存在しており、X JAPAN以外にもヴィジュアル系誕生のきっかけを作ったバンドがたくさんいた。直接ヴィジュアル系に含めることはできないにせよ、44MAGNUM(1977頃~)、EARTHSHAKER(1978~)、AUTO-MOD(1980~)、BOOWY(1981~)、UP-BEAT(1981~)、ラウドネス(1981~)、SABER TIGER(1981~)、GASTUNK(1983~)、AION(1983~)、DEAD END(1984~)、DER ZIBET(1984)、BUCK-TICK(1986~)、COLOR(1986~)、Grass Vallay(1986)、ガーゴイル(1987~)など、いわゆるヴィジュアル系バンドの原型/布石となるバンドが多数存在し、そうしたシーンの中で、X JAPANも生まれてきた。ゆえに、一概にX JAPANをヴィジュアル系の創始者と呼ぶことには無理があるように思われる。しかも、その多くが、欧米のロックミュージシャンやそれ以前の日本のロックミュージシャン(例えば、ラウドネスの高崎が在籍したLAZY(1973~)、岡野ハジメやポッピー神山が在籍したPINK(1983~)など)の影響を受けており、さらに遡れば、ムッシュかまやつが在籍したザ・スパイダーズなどの影響もある。欧米を見ると、80年代のロックシーンでは、スラッシュメタルを代表するメタリカ(1981~)、スレイヤー(1982~)、メガデス(1982~)、アンスラックス(1982~)、デスメタルの元祖ナパーム・デス(Napalm Death, 1982)、そして、グランジを代表するニルヴァーナ(1987~)、アリスインチェインズ(1987~)、そして、次章で詳しく述べるニューロマンティック系バンドなど、個性的なロックサウンドが多数創造された時代でもあった。
 80年代の音楽シーンは、へヴィーメタル、スラッシュメタル、パンク、ポジティブパンク、エレクトリック・ボディー・ビートなど、様々な音楽が乱発していた。というよりも、音楽が一気に多様化される方向へと向かっていった。ロックという定義そのものが成り立たないほどに色々なサウンドが登場したのだ。その中で、ロックシーンにおいて一際目立っていたのが、ヘヴィーメタル~先鋭的なスラッシュメタルとニューロマンティック~ポジティブパンクという二つの音楽スタイルだった。特にヘヴィーメタル/スラッシュメタルは80年代前半に大ブレイクすることになる。モトリークルー、アイアンメイデン、ラット、ポイズン、ホワイトスネイクなど、ワイルドでギラギラメイクのバンドが次々にヒットしていくのであった。
 これらのバンドは、70年代の音楽を踏襲するかたちで生まれたので、80年代のロックシーンを理解するためには、70年代のロックをまず知っておかなければならない。

70年代
 70年代はヴィジュアル系サウンドの基盤となるサウンドが生まれた時代である。それは、1970年にオジーオズボーン率いるブラックサバスが結成されることに象徴される。ブラックサバスとジューダス・プリーストはヘヴィーメタルの元祖とも言われており、ハードでスピーディーでダークなサウンドの生みの親でもある。70年代に登場したヘヴィーメタルは、80年代にパンクブームと入れ代わる形で注目されるに至る。
 70年代といえば、イギリスのレッドツェッペリン(Led Zepperin)を代表とする「ハードロック」の全盛期であった。彼らなしに80年代ロックは存在し得なかった。レッドツェッペリンのルーツは、60年代のロックと黒人ブルースであった。彼らは、ロックとブルースを激しくドラマティックにし、音楽そのもののレベルを一気に高めることに成功した。ただし、ヴィジュアル系の系譜にツェッペリンを含めることには無理があるように思う。サウンド的にもスタイル的にも、ヴィジュアル系の痕跡を見ることはできない。キング・クリムゾンのギターワークは、ヴィジュアル系のみならず、後のギタリスト全般に影響を与えた。XのPATAがピンクフロイド好きだったことは有名だ。レインボー(Rainbow, 1974~)はディープパープルのギタリスト、リッチーブラックモアが作ったバンドで、ヴィジュアル系バンドマンらの間でも時折話題になっている。レインボーのマイナーコードを使った切ないメロディーは、ヴィジュアル系のみならず、現代のロックの痕跡として生き続けているようにも思える。ボン・ジョビはこの時代のロックの発展形と捉えていいだろう。また、ヴィジュアル系黎明期に大活躍したLADIES ROOMもこの70年代のハードロックの影響を強く受けた音を奏でている。ハードロック~ヘヴィーメタルのルーツは、80年代の日本のロックシーンを語る上では欠かすことのできないものである。
 70年代前半は、演奏技術を極限まで突き詰めようとしたプログレッシブロックがメインストリームとなっていく時代でもあった。レッドツェッペリン以降、複雑で難解なイエス(Yes, 1969~)やルネッサンスが台頭してきた。彼らの演奏技術は卓越していた(そうしたプログレッシブの流れの反動として登場したのが、70年代後半にブレイクするパンクロックである)。 このプログレッシブロックの影響は、技巧派ヴィジュアル系バンドのSHAM SHADEに見ることができるだろう。また、ジェフベックの存在も無視することはできない。70年代前半はギターの進化・ギタリストの発達をも促した時代でもあった。
 そんな70年代前半のプログレ・ブームに反旗を翻し、全く別の音楽形態を打ち立てたのがセックスピストルズやザ・クラッシュだった。とりわけ、70年代から80年代にかけて絶大な人気を博したクラッシュの存在は無視できない (一応パンクにカテゴライズされるが、クラッシュの音楽の多様性はヴィジュアル系ルーツにかなり大きな影響を与えているように思う)
 70年代はいわゆるブルースロックが解体し、新たな要素がロックにどんどん取り入れられた時代でもあった。 また同時期に、グラムロックの萌芽も芽生えた。その中の一人、デビッドボウイはヴィジュアル系の神様とも言われている。また、同音異種のポリスやクイーンなどの存在も無視できない。

60年代
 70年代はまさにレッドツェッペリンで幕を開けたのだが、もちろん70年代に突如として彼らが生まれたわけではない。70年代の流れを作った立役者に、60年代のブルースロックの代表格、クリーム(Cream)がいる。クリームはエリッククラプトンが在籍していた。クラプトンの信奉者はヴィジュアル系の中にも結構いるし、ヴィジュアル系アーチストの憧れとなったギタリストらは強い影響をクラプトンから受けていた。そんなクリームは、ジャズとブルースの要素が強くて、サウンド的にはとてもV系の系譜には入れられそうもない。ただ、70年代のハードロックの礎を作ったバンドだけに、無視することはできないだろう。クリームはヴィジュアル系のルーツのルーツのルーツくらいの地位にいるのだろう。だが、それはロック全体の歴史にかかわるものであり、狭義のV系に含めることは難しい。60年代に、黒人音楽を白人たちが取り入れて改良したものをブルースロックという。ブルースロックが70年代以降のロックのルーツとされている。
 また、1968年に結成されたディープパープル(Deep Purple, 1968~)の存在も無視できない。ハードロックやヘヴィーメタルのルーツともされており、ディープパープル抜きに(間接的ではあるが)ヴィジュアル系を語ることはできない。ディープパープルのサウンドは、クラシックの要素を取り入れたクラシカルロックと言われている。60年代のロック全盛期の影響を受けつつ、黒人音楽のテイストを引き下げ、先鋭的なサウンドを作ることに成功した。ジャンヌダルクのサウンドはディープパープルに通じるものがある。しかし、ディープパープルに近いハードロック的なサウンドを目指すバンドはヴィジュアル系というカテゴリーから離れていく傾向が強い(後期ラクリマクリスティーなど)が、クラシカルという要素は、ヴィジュアル系を語る上で無視できないところである。
 蛇足になるかもしれないが、ロック創世記の60年代の代表格の一グループにローリングストーンズがいる。ローリングストーンズもやはり黒人ブルースを取り入れ、自分たちなりに解釈しなおしたものだった。同様に、60年代はビートルズの時代でもあった。ビートルズのデビューは1962年。1970年に解散している。また、ジミ・ヘンドリックスのギターワークは、ヴィジュアル系バンドのみならず、現代のあらゆるギタリストの青写真となっている。ハードなサウンドを売りとするバンドとしては、MC5(1965頃~)、ブルーチアーらがいた。60年代後半は、70年代以降にブレイクするプログレッシブの黎明期であり、演奏技術に長けたアーチストが多数出てきた。ザ・ドアーズ(The Doors, 1965~)は、ヴィジュアル系の言語的側面に少なからず影響を与えているようにも見える。
 他方、パンクの歴史もやはり60年代に遡る。60年代後半、アメリカで生まれたガレージロックからパンクの歴史が始まった。パンクの要素もヴィジュアル系のルーツに欠かせない。既に挙げた70年代のパンクシーン、例えばニューヨークドールズやセックスピストルズはV系ミュージシャンに強い影響を与えた。ニューヨークドールズのパフォーマンスやルックスは現在のヴィジュアル系に通じるものがあるし、セックスピストルズの曲はX JAPAN率いるエクスタシーレコードのイベントで毎回演奏されていた。

つづく♪

コメント一覧

kei
ももここさん

するどいご指摘ありがとうございます!!

まさにそのとおりだと思っています。

上の記事でも書きましたが、The Cureを含め、ニューウェイブ、ニューロマンティック系バンドは、別記事(別章)にして、詳しく述べてみたいんです。やっぱりV系の原点はどう考えてもニューウェイブ/ニューロマンティックに行き着くので!

是非、またThe Cureをはじめ、色々と教えていただけたら、と思います。今年は「V系の原点」について本当に論文を書く予定ですので(どこで発表するかは決めてませんが・・・汗) とりあえずX Japanに原点を置くことだけは批判したいな、と。もちろんXは大好きですけど、、、)
ももここ
えっと
V系の流れを書いてらっしゃいますが、、、
肝心のThe Cure が見当たりません。。。。
すべてはそこから始まってるとしか考えられないのですが、、
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