Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

ラーメンの起源

僕の書棚に『起源のナゾ』という本がある。その本の中に、ラーメンの起源についての記事があったので、ご紹介。

タイトルは、「ラーメンは和製中国料理」。

 中国にはラーメンという料理はない。日本の中華料理店では「老麺」とか「柳麺」の字を用いているが、中国では、粉をこねてひきのばしてつくるそばそのものを「拉麺(ラーミェン)」とよんでいるので、これが起源ともいわれる。また、「打油麺」(あんかけそば)の打を省略してラーメンになったという説もある。
 ラーメンが東京にお目見えしたのは大正時代で、冬の夜、チャルメラを吹きながら屋台をひいて歩いた、当時のいわゆる支那そば屋がそのはじまりである。
(引用元 『起源のナゾ』、光文書院、1985年、p.35)

この文章は、ラーメン誕生の秘話をよく要約しているかなと思った。和製中国料理という表現は見事にラーメンの起源を表していると思う。そもそも「ラーメン」の表現は多様で、ラーメン、らーめん、拉麺、支那そば、中華そば、柳麺、らうめん、らー麺、老麺などと表記される。「ラーメン」が誕生したのはいつなのだろう?

フリークの間では既によく知られているが、日本で一番最初にラーメンを食べたのは、水戸黄門、つまり徳川家康の孫の徳川光圀だといわれている。このことを主張している論者の中に、1987年にラーメンの本を書いた小菅桂子さんがいる。

小菅によると、徳川光圀はうどん打ちが得意だったようだ。その根拠は「西山遺聞」という書だ。若き光圀は「瓢箪屋」といううどん屋さんのうどんにほれ込み、うどんにはまったようだ。

そんな光圀の側近には、中国から来た儒学者の李舜水がいた。舜水は光圀のご意見番というか先生だった。うどんフリークの光圀を見て、「この人に中国の麺料理を教えたい」と思ったのだろうか、中国のオウフェンという粉を使った平打ち麺を光圀に伝えたのだ。ダシは火腿(フォトゥイ)という中国式のハム(豚の腿肉)で取ったようだ。だが、舜水の伝えたラーメンの作り方などの資料は見つかっていないらしく、そこまでしかいえないのが今の現状のようだ。(ゆえに、光圀がいわゆる「ラーメン」を食べたのかどうかは不明、といったところか。光圀は李舜水の作った中国式の麺とスープを食べた、といったほうがいいのかもしれない)

では、最初の「ラーメン」は誰がどう作ったのか。

これも有名な話だが、ラーメンを始めて提供したお店は「来々軒@浅草」と言われている。創業は明治43年(1910年)。大正2年頃の写真が小菅の本の中で紹介されている。その写真を見ると、「支那蕎麦」という文字が書いてある。また、支那御料理 シウマイ、マンチウ、シナソバ、ワンタン、とも書いてある。シナソバ一杯六銭だ。

小菅さんによると、来々軒のベースは広東料理だったようだ。創業店主は尾崎貫一さん。1859年生まれで、江戸時代生まれの人だ。もともとの仕事上(横浜の税関吏)、横浜と関係が深い人で、よく南京街(チャイナタウン)に通っていたそうだ。南京街にいる中国人の多くが広東省出身で、尾崎さんは広東省の中国人を雇用し、広東料理専門の中国人シェフに料理を作らせた。だから、当然味も広東料理になる。(こうした事実の根拠は、貫一さんの手記にある。どこで入手できるのかな?)

だが、注意したいのは、この時点では、まだラーメンではなく、広東料理で、(日本蕎麦やうどんと区別するために)支那蕎麦という名前の中国麺料理だった、ということである。タンメンならば、もうこの時点で存在していたのだろう。

では、誰が広東料理の中にある中国の麺料理ではない日本のラーメンを作ったのか。これに関しては、小菅の本を読んでもよく分からない。たしかに多くの人が来々軒のシナソバを食べていることを裏付けるコメントを紹介しているが、シナソバの存在はあったとしても、中国料理ではないラーメン(醤油味の鶏がら・豚骨スープのラーメン+煮干など)が一体誰によって考案されたのか、については触れていない。

小菅は、来々軒三代目の尾崎一郎さん(大正六年生まれ)のインタビュー(?!)を掲載しており、その中で「醤油味のラーメン」の存在が語られている。けれど、三代目でさえも、一代目がいつ、いかにして醤油味のラーメンを考案したのかについては語っていない。貫一さんが東京醤油ラーメンを生み出したかどうかについては実は不明なのである。

*ちなみに奥山忠政氏によると、来々軒のシナソバは「あっさりとした醤油味のスープに細めの縮れ麺、トッピングはチャーシュー・ナルト・ネギといったものであった」(文化麺類学・ラーメン篇、pp46-47)。また、石神秀幸氏は、「豚骨が多めで鶏ガラの少ないスープでした」とし、「同時に、関東人好みの濃口醤油の味にすることで、獣臭を抑え蕎麦やうどんにも近づけて、また中華料理や肉食に慣れていない人でも食べられるように改良した」と書いている。が、出典や根拠は不明だし、尾崎氏が本当に実際に「改良」したのかどうかの根拠は示していない。

いずれにしても、いわゆる醤油味の和風のラーメンが開業当初から作られていたかどうかは、おそらくまだ断言できていないのだと思う!(こちらも参照!)

最初広東料理の一つだった支那蕎麦を提供していた来々軒の貫一さんが、醤油や煮干を入れて、いわゆる「ラーメン」にしたのか、それとも別の誰かが醤油味のラーメンを作り、それが広まって、来々軒でも出されるようになり、「元祖」とされたのか

中国で食べられていた麺料理ではない「ラーメン」はいつ、誰によって、どのような仕方で考案され、実際に売られたのか。ラーメンの起源を知る手がかりは大正時代~昭和初期にあると見てよさそうだ。

1859年 横浜港開業 中国人が大勢来日。
1890年 横浜 屋台開業許可が下りる。「南京ソバ」が広まる 
1899年 長崎 四海楼開業 「シナうどん」→「ちゃんぽん」
1910年 浅草 來々軒創業
1922年 札幌 竹家食堂(21~) 大久タツがシナそばを「ラーメン」と命名
1925年 札幌 竹家支店、薄野に「芳蘭」開業
1925年 喜多方 源来軒開業
1929年 旭川 芳蘭開業 南京街から荘景文が芳蘭へ。
1931年 札幌 ときわ開業、竹家と競う。
1937年 九州 南京千両開業


こういうラーメンはいつ作られたのか?
(写真は進来軒@天台のラーメン
*三代目の一郎さんに従事したのが進来軒の宮葉さんとのこと。

コメント一覧

kei
NoMeLiさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

ラーメンの由来は間違いなく中国大陸だと思います。ラーメンの起源についての書物はいっぱい発刊されています。

このブログでよければ、どうぞ参考にしてください!

また、台湾のラーメン事情についても、教えていただけると嬉しいです!
NoMeLI
私もラーメンが大好きです
こんにちは、私は台湾からのNoMeLIです。

最近、レポートをしている、テーマは日本の麺食について紹介します。

それで、keiさんのblogを見つけました。

ラーメンの由来が中国ですよね、でも、中国より日本のラーメンの方がおいしいだと思います。

この文章を参考していただけませんか?

ありがとうございます、ラーメンのことがもっと分かりになります。

(すみません、日本語が下手だと思う)
kei
とおりすがりさん

ご指摘ありがとうございます!! 確認いたしました。直しておきます。

こんなマニアックな記事をしっかりと読んでくださり、ありがとうございます(涙)

ラーメンの歴史にご関心がおありなのですか?
とおりすがり
失礼します
李舜水 ではなく 朱舜水 だと思います。
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