Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

ユダヤ人墓地フリードリヒホーフ@フランクフルト 

今回の訪独の目的の一つは、「ユダヤ」についての資料を集めることと、

ユダヤ人文化について、直に学んでくること。

「アウシュヴィッツ以後の教育」は、僕のこれからの研究課題になる。

赤ちゃんポストとアウシュヴィッツ以後の教育、

これが、シュテルニパルクのモイズィッヒさんの「柱」だった。

特に「アウシュヴィッツ以後の教育」は、90年代の彼の大きなテーマだった。

でも、分からない。

どうしてアウシュヴィッツ以後の教育を実践してきた彼が、赤ちゃんポストという発想に向かったのか。

90年代と言えば、日本では「心の教育」が強く叫ばれ、「ゆとり教育」に舵を向けていた。

それと同時に、「平和教育」が徐々に「形骸化」されていく時代でもあった。

そして、今、「歴史修正主義」の名のもとで、過去を歪曲しようとしている。

過去と向き合い続けるドイツと、過去を歪曲しようとする日本。

その背景に何があるのか。

アウシュヴィッツに代表される大量虐殺。

そして、うやむやにされる南京大虐殺。

また、被害として受けた広島・長崎に投下された原子爆弾(大量殺戮)。

一人の人間の命の価値が、根こそぎ失われた「過去」。

この「過去」と向き合うことと、

そして、このまさに今という時代に、人間としての尊厳を失われた人たち。

その「関連」に、どこまで切り込めるか。

***

フランクフルトは、昔からユダヤ人が多く集まる都市だった。

なので、博物館や歴史館など、多くの施設が集まっている。

ユダヤ人学校もある。

一つ、気になっていたのが、「フリードリヒ・ホーフ」というユダヤ人墓地だった。

それがこちら。

キリスト教系の墓地とは違う雰囲気がある。

当然だけど、キリスト教の墓地とは違う。

この墓地の中に入ることはできないけれど、

見ることはできた。

その墓地の塀に、不思議な「デザイン」が施されていた。

幾何学的なデザインを好むユダヤ人らしい「塀」だなぁ、と思った。

でも、

なんか不思議、、、

このデザインが、果てしなく、どこまでも続いている。

何だろう?

このデザインは、、、

よく見ると、何やら書いてあるのが分かる。

塀に打ち込まれた長方形の石をよく見ると、、、、

その一つひとつに、名前と生きた年と地名が彫られていた。

ん、、、

これは、、、

ヨセフ・クラインさん。

1896年~1943年、と書いてある。

地名は、アウシュヴィッツ。

そうか。

この石碑は、あの大虐殺で殺されたユダヤ人の名前を記したものだったんだ…

これだけの人間の命が、、、、

これは、衝撃的だった。

この小さな石碑がもう数えきれないくらいに並んでいる。

その一つ一つに、一人の人間の具体的な命、生活があったんだ。

それを奪ったのが、過去のあの戦争なんだ。

それが、フランクフルトの町中の墓地に刻み込まれている。

世界的に有名な「レーマー広場」から徒歩数分の場所にある。

ここを訪れる外国人もとても多いそうで。

日本に、こういう「過去の記憶を可視的に呼び起こす場所」ってどれだけあるのだろう?

これは、政治の問題というよりは、アートの問題だとも思う。

ヴィジュアル的・メディア的に、一気に、過去を呼び起こす場所。

「過去を忘れない」ためには、それなりの「空間」が必要だ。

靖国だけでは足りない。

もっと、目に見えるかたちで、過去と向き合える場所が必要なんだ。

でも、もう、時すでに遅し、かもしれない。

戦後、ずっと日本は過去と向き合わずにきてしまった。

ここに、今の僕らの問題があるように思った。

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