おじいちゃんのお葬式から一日が過ぎた。
この数日は本当にあわただしくて、大変だった。
今回の論文はまさに「おじいちゃんに捧ぐ」って感じの論文になったかな。
今回の論文の核心部分は、おじいちゃんから教わったことでもあるわけだし…
(僕の理解する「ケアリング」は間違ってない!って思えた)
この二日で、またおじいちゃんの新たな一面が分かった気がした。
やっぱうちのおじいちゃんは凄い人だった。
なんせ、東京帝大の時代の人間ですからね。。。
おじいちゃんの人生全体を知って、自分はまだまだだなぁって思った。
ちっちゃいなーってことだけは、嫌ってほど痛感した。
おじいちゃんが若き頃、国家の最前線にいたこともわかった。
そして、仕事だけじゃなくて、家庭を愛する人間だってことも分かった。
上の写真は、みんなで書いた寄せ書きです。
これも棺の中におさめました。
これは、うちのおじいちゃんが最も大切にしていたもの。
真ん中の新聞は、おじいちゃんにとって欠かすことのできない新聞。
右の十国峠は、おじいちゃんが愛した場所。おじいちゃんも旅人でした。
左の緑の本は、おじいちゃんが書いた本。難しい本でした。。。
帽子は、おじいちゃんがいつもかぶっていたもの。
帽子が好きなおじいちゃんでした。
僕も本を出せるようになって、改めて思います。
僕も、おじいちゃん同様に、言語の人なんだなーって。
僕は本当に言葉が大好きだし、だからこそこうしてBLOGも書いているわけで。
誰かに認められたいとか、もっと自分のことを分かってもらいたいとかって、
そういう気持ちよりも、ただただ、書きたいんですよね。
言葉が好きなんです。
うちの従兄弟全員が、言葉を大切にしている気がします。
というわけで、my cousinsです↓(無理あり、かな…汗)
顔が分からないように、画像はかなり明るめに設定しています。あしからず。
おじいちゃんのDNAは、僕ら孫世代が受け継いでいます。
おじいちゃんの一部分が、みんなに受け継がれていることが分かりました。
僕は、、、フリーク魂とか、探究心とか、言葉を愛するところとか、
愛嬌があるところとか、結構怒りやすいところとか、ビール好きとか、
あと、やっぱ、歴史好きだってこととか、ジャーナリズム精神とか、、、
絆のない社会だからこそ、血のつながりが希薄になる時代だからこそ、
あえて、僕は家族、血縁、親族というものにこだわりたいって思いました。
古いって怒られるかもしれないけど、やっぱ親族、親戚って悪くないと思う。
もちろんもめたり、憎しみ合ったりもするかもしれないけど、
僕自身、僕の従兄弟たちをもっともっと愛したいって思う。
無縁社会の今だからこそ、あえて家族の絆、親族の絆を叫びたいって思いました。
今度、うちで「いとこ会」をやろうって話も出ています。
こんな時代だからこそ、従兄弟関係を大切にするのもありかなって。。。
ぶっちゃけ、中途半端な友だちや知り合いよりも、従兄弟の方が安心できるわけだしね
PS
今回のことで、今一度、自分を再発見した気がした。
僕は、人一倍自己顕示欲が強いけど、でも、有名人にはなれないって分かった。
有名人にもビッグな人間にもなれないけど、死ぬまで探究する人間ではあり続けるとも分かった。
人一倍、好奇心も強いし、人一倍、学びたいっていう気持ちも強い。
人生において大切なのは、成功することじゃなくて、学び続けること。
それしかないって、本当に心底思えました。