われわれは皆、究極の家族の理想像を知っている。教会や博物館で、あるいは写真集や新聞やポストカードのイラストなどで知るのだ。それが聖家族である。マリアとヨーゼフが、親しく喜びに溢れたまなざしで、幼子イエスを見つめる。イエスは、飼い葉桶の中やマリアの腕の中ですやすやと眠っている。実際に、われわれの多くが母乳を吸い込む画を見ている。周知の通り、ヨーゼフは実の父ではなく養父であり、また頻繁にヨーゼフ抜きでイエスと共にいるマリアの画がイラストされるにもかかわらず、奇妙なことに、この元型的な画は「機能している」のだ。
また、さらに「聖なる事情」で生まれた二番目の子どもを含めて考えると、それは、1950年~1960年代の家族の理想像と驚くほどに酷似している。このどちらかと言えば偶然的な類似から、次の影響の大きい二つの誤解が生じている。
1.今日なお19世紀の市民的家族を手本とする継承的な理想として理解している「私有化された夫君-小家族」は、直接的ないしは間接的に、神の欲する家族の秩序となって輝いている。このことから言えるのは、そうした家族から逸脱したあらゆる他の家族形態の場合、その時常に、罪の道を歩むような人生を歩むことになる、と考えられていた、ということだ。だが、啓蒙された自由に考える人間であるわれわれは、当然こうした戯言に惑わされることはない。いや、惑わされているか?
2.われわれの共通イメージの中に、キリストの誕生から今日に至るまで、家族形態の虚構の連続性がある。2000年にわたって多くの人間が、-ひょっとすると遠く異国の一組の「異人」に至るまで-母、父、そして見通せる程度の数の子どもで成り立つ家族形態の中に集められて暮らしているように。
西洋の歴史では、こうしたキリスト教の「原家族」という家族の理想像は、何度も繰り返し、様々なルネッサンスを経験している(ズィーダー、2007、S.13)。
自由と平等を要求した啓蒙とフランス革命という多くの人にとって危険な挑戦の後、ナザレ[キリストの育った地]のキリストの原家族は極めてポピュラーとなった。その主要人物は長い間プロトタイプとして残った。男性は勤勉に自分の仕事をし、女性は子どもと自分の夫の世話をし、黙って耐える。純真な子どもは、救済のあらゆる希望を自分に引き付ける。
今日もなお、多くの人々が、キリストの原家族を基本ひな形する私有化された核家族という家族像に支配されている。しかし、こうした家族の形態は、実際には神の「愛の秩序」とは関係なく、とりわけ経済的要因によって規定されるしゃかいの変化の過程の産物なのである。
古代から中世までの家族
AD1年からの1000年の間、ヨーロッパでは、夫婦とは別に、夫婦の締結のない生活共同体である内縁(Konkubinat)が、最も広く広まっていた家族形態であった。
家族社会学のノルベルト・シュナイダーも述べているように、ゲルマン人には、実際のところ、男性と女性の共同生活には三つの形式があった。それは、後見夫婦(Muntehe)、愛人夫婦(Friedelehe)、妾夫婦(Kebsehe)だ。後見夫婦の場合、新郎・新婦の親族たちの間で夫婦の契約が交わされる-当の新郎新婦のことは無視して。愛人夫婦と妾夫婦は、ほとんど公式化されず、解消することが簡単な生活共同体である。こうした夫婦は、concubinatus(内縁)という言い方で呼ばれることになる(例えば、性的な独占は一義的な基準ではなかった)。そしてこうした夫婦は13世紀に至るまでには、広く広まっていた。
「残念無念ながら」、愛人夫婦や妾夫婦は、聖職者や修道女や修道士らにも快く受け入れられた。だが、それに伴う財政的、金銭的、経済的な負担などもあり、高位聖職者(大司祭)にとっては、長年の不満だったのだ。それゆえ、彼らは聖職者の間の愛人夫婦と妾夫婦を禁止した。その後、この禁止は徐々に非聖職者たちにも適用されるようになった。今後性的に排他的な夫婦関係の締結を確実にするために、教会は13世紀に、夫婦の締結を行う権限を強く要求したのだった。このことも、かつては自明ではなかったのだ-その逆だ。かつての教会は、夫婦の締結や夫婦の離婚事情には全く何の影響も与えていなかった。
農民家庭から市民家庭、労働者家庭へ
中世から近代の時代にかけて、農民家庭は最も広くいきわたった家族形態であった。この家族形態の基盤は、簡単に変更可能な形態の後見夫婦だった。夫婦となる人間は、一種の「夫婦契約」を結ぶ。この夫婦の他、子どもたち、他の親族、使用人も農民家族の一員だった。農夫とその妻とその実の子どもから成る「系譜的家族」(genealogische Familie)に対する特定の呼び名は、近代に至るまで存在しなかった。「妻と子と共に」と言った記述で済ますしかなかった。
農民家族は、また「家全体の」家族と表記された。この家族形態に典型的だったのは、子どもや夫婦や女中や作男(召使い)などの死去や様々な理由による退去などによって、家族の構成員がころころと変動する、ということだった。こうしたケースでは、次の子を作ったり、新たな農婦を家に連れてきたり、別の使用人を加えたりした。さらに、この家族形態の特徴は、「家族の生活と労働世界が、互いに不可分に織り合わさった複合体を成していた」、ということだ。
この農民家族の例は、「家族の目に見える形態は常に、そのつどの時代を支配する経済的な関係や生産様式に結びついている」、ということをはっきりと示している。こうした密接な関連の中でしか、家族はきちんと理解することはできない。ちなみに、農民家族の現実は、「快適な田舎の家で、祖父母が暖炉のそばに腰を下ろし、孫たちに物語をしている」というような大家族のロマンティックで美化されたイメージとは全く違っていた。たいていの人は、今日のわれわれの祖父母ほど老いることはなかった。また子どもたちも、遅くとも3歳には農作業をこなさなければならなかった。
19世紀初頭の工業化の時代の資本主義的な生産様式の広がりと共に、またそれに関連する労働世界と家庭世界の分離と共に、まずもって教養があり裕福な市民階級(高級官僚、企業家、商売人)の中で、今日馴染みのある私有化された核家族の前身が登場した。この家族形態の特徴は、「女性と子どもは就業が免除されており、完全に新しい性の役割分担が伴っている」ということである。かくして男性たちは、日常的な経済競争の中で一人で他の男性たちと対峙しなければならなくなった。女性たちには、とりわけ[次の]二つの役割が認められた。
1.子どもの養育:農民家族においては、子どもの養育はまだとりわけ家にいる大人や兄姉に委ねられていたが、この場合、「子どもの養育」という概念は、こうした[家族の]関連においては、ほとんど婉曲的な言い回しである。すでに心理学的に言われている言い方である「モデル学習」、つまり、大人たちがすることを見て学ぶことは、しばしば諸感情の最も高いものであった。市民家族における子どもの養育は、さしあたってただ一人女性だけに委ねられていた。それゆえに、小さい子どもたちにとっては、社会的環境は当然どこかより心地よくて、すぐさま[子どもの]安全保護(甘え)に寄与するものであった。しかしながら、同時にまた母子関係の美化があらゆる長所と短所を生起させるのであった。今日もなお、心理療法家や教師や政治家たちは、「ぜんそくや統合失調症や拒食症といった様々な障害や病気は、過保護で抑圧的で愛情のない又は競争的な母親に起因する」という仮説をまやかしの如くに語っている。これは、これまで確かに学問的にきちんと裏付けできていない一仮説なのだ。
2.男性の情緒的ケア:資本主義的生産様式の登場と共に、男性たちの間で態度は、激化する競争や押し付け合いを通じて変わってしまった。それに伴い、女性たちは、競争で受けた男性の傷に包帯をする役割と責任をもつようになった。女性たちは、男性の厳しい労働世界の対極となって、この役割の下、信頼、保護、親密さ、信用、温かさを提供しなければならなくなった。この時代の家族は、聖的な保養施設のステータスへと高められたのだ。公的な生活の中での冷酷な計算や合理性の浸透が強まれば強まるほど、それだけいっそう夫婦における感情的生活、愛の生活、親密な生活がますます美化されるようになる。現在もなお、資本主義に傾倒する人たちは、「伝統的な核家族は保守されねばならない。必要ならば法的な規制によって守らなければならない。というのも、資本主義的な経済システムはそれ自体としては存在し得ず、家族による埋め合わせの効果がなければ、システムそれ自体が破壊してしまうからだ」、と議論しているのだ。
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