僕は、教育学(+社会福祉)が一応の専門なんだけど、無知をさらして言えば、ずっと社会教育学を誤解してきたかもしれない。(*ちなみに、社会学に基づく「教育社会学」はここでは問題にしていない)
というか、一面しか見てこなかった気がしてならない。
とりあえず、社会教育とは、、、
「「社会教育」とは、学校教育法 (昭和二十二年法律第二十六号)に基き、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む。)をいう。」
社会教育法の第二条。
この文章から、学校での教育活動を除いた教育であり、青少年+成人に対して行われる組織的な教育活動だ、ということが分かる。
この文章だけだと、学校外の青少年+成人の組織的な教育活動だということしか分からず、その中身や、どのような目的で行われるのかが分からない。イメージ的には、「公民館での活動」や「図書館」、「博物館」等が浮かぶ。けれど、それが「社会教育」なのか?!と問うと、違う気もする。
ちなみに筑波大学では、「生涯学習・社会教育学」とされていて、その英語は「Adult and Community Education」とされている。
http://www.human.tsukuba.ac.jp/dpeduc/human_e/lab/kiso.html
「成人とコミュニティーの教育」となっている。日本で使われる「社会教育」だと言われれば、そのようにも聞こえる。
けれど、よく分からない。
社会教育法第5条に、詳しくその内容が記されている。必要箇所のみ引用すると、、、
第五条 市(特別区を含む。以下同じ。)町村の教育委員会は、社会教育に関し、当該地方の必要に応じ、予算の範囲内において、次の事務を行う。
…
三 公民館の設置及び管理に関すること。
四 所管に属する図書館、博物館、青年の家その他の社会教育施設の設置及び管理に関すること。
五 所管に属する学校の行う社会教育のための講座の開設及びその奨励に関すること。
六 講座の開設及び討論会、講習会、講演会、展示会その他の集会の開催並びにこれらの奨励に関すること。
七 家庭教育に関する学習の機会を提供するための講座の開設及び集会の開催並びに家庭教育に関する情報の提供並びにこれらの奨励に関すること。
八 職業教育及び産業に関する科学技術指導のための集会の開催並びにその奨励に関すること。
九 生活の科学化の指導のための集会の開催及びその奨励に関すること。
十 情報化の進展に対応して情報の収集及び利用を円滑かつ適正に行うために必要な知識又は技能に関する学習の機会を提供するための講座の開設及び集会の開催並びにこれらの奨励に関すること。
十一 運動会、競技会その他体育指導のための集会の開催及びその奨励に関すること。
十二 音楽、演劇、美術その他芸術の発表会等の開催及びその奨励に関すること。
十三 主として学齢児童及び学齢生徒(それぞれ学校教育法第十八条 に規定する学齢児童及び学齢生徒をいう。)に対し、学校の授業の終了後又は休業日において学校、社会教育施設その他適切な施設を利用して行う学習その他の活動の機会を提供する事業の実施並びにその奨励に関すること。
十四 青少年に対しボランティア活動など社会奉仕体験活動、自然体験活動その他の体験活動の機会を提供する事業の実施及びその奨励に関すること。
十五 社会教育における学習の機会を利用して行つた学習の成果を活用して学校、社会教育施設その他地域において行う教育活動その他の活動の機会を提供する事業の実施及びその奨励に関すること。
十六 社会教育に関する情報の収集、整理及び提供に関すること。
十七 視聴覚教育、体育及びレクリエーションに必要な設備、器材及び資料の提供に関すること。
…
これを読むと、基本的に、図書館や博物館、青年の家等の運営と、教育的な集会の開催が、社会教育の中身となっている。この部分は、僕も了解している。(青年の家というと、学校で行った嫌な思い出しかない… 支援する場所というよりは訓練する場所というイメージ)。
けれど、ここに、僕がドイツで学んできた「青少年への支援」という言葉は書かれていない。この社会教育法の規定には、赤ちゃんポストや妊婦の匿名相談の必要性を示すようなことは書かれていない。というより、「支援」「サポート」「同伴」「相談」といったニュアンスが全く感じられない。むしろ、学校の外でも、ガンガン勉強しようぜ、させようぜ、という感じがしてならない。非常に「学校教育的」な匂いがする。
上の社会教育法においては、「社会教育主事」を教育委員会に設置することを義務付けている。この社会福祉主事の仕事は、社会教育活動を行うものに専門的技術的な指導を行うこと(らしい)。
が、この社会教育主事(地方公務員)が、どれだけ「社会教育」に貢献しているのか。いや、というより、社会教育主事の仕事は、上の業務に関わることである以上、学校外での学校の教育課程に関連する学習の助言や指導に留まるだろう。
ドイツで言われる「青少年支援」は、日本の法律では社会教育の内容として規定されていない。そもそも、日本での社会教育は、もっぱら「学習面」に特化されていて、「子どもへの支援」という観点はどうやらなさそうなのである。不登校児にしても、いじめにしても、少女の妊娠にしても、そういった社会的支援の必要な子どもへの援助については、考慮されていない。
他方、ドイツでは、若い社会教育士(Sozialpaedagoge)の免許をもつ人が至る所で働いている。養護施設、障害児(者)施設、母子支援施設、更生施設、キリスト教系民間福祉団体等である。僕は、これまでたくさんの施設で、何人もの社会教育士と出会い、話をしてきている。本当に彼らは、ドイツで活躍しているのだ。今回の夏のドイツでも、たくさんの社会教育士と話をすることができた。実にたくさんの社会教育士が現場で活躍している。
日本では、もっぱら「保育士」や「ソーシャルワーカー」がやっていることを、ドイツではこの社会教育士という専門家が行っている。SOS子どもの村にも、この社会教育士の若い女性が働いていた。シュテルニパルクも同様である。彼らは、皆、自分のことを、「ソーシャルワーカー」とは言わず、「社会教育士」と言う。
ドイツの社会教育の柱は、「青少年支援(Jugendhilfe)」にある。学校外の学習活動の開催やその奨励ではなく、「若者たちを支え、支援し、自律に向けてサポートすること」である。このことは、ドイツの法律、「児童、及び青少年支援法」(KJHG)に明記されている。
http://www.kindex.de/pro/index~mode~gesetze~value~kjhg.aspx
この法律の第13条は、以下の通り。
Jungen Menschen, die zum Ausgleich sozialer Benachteiligungen oder zur Überwindung individueller Beeinträchtigungen in erhöhtem Maße auf Unterstützung angewiesen sind, sollen im Rahmen der Jugendhilfe sozialpädagogische Hilfen angeboten werden, die ihre schulische und berufliche Ausbildung, Eingliederung in die Arbeitswelt und ihre soziale Integration fördern.
(社会的な不利益の是正のために、又、個々の障壁の克服のために支援が必要とされる若者たちには、青少年支援の枠内において、社会教育的な支援が提供されねばならない。その社会教育的支援とは、彼らの学校教育上の教育や職業教育、労働社会への移行、その社会的統合をサポートすることである)
日本の社会教育とかなりニュアンスが異なっていることが分かる。「社会教育的な支援」というニュアンスは、日本にはない(と思う)。
ドイツ語のsozialを、「社会」と訳すことに問題があるように僕は思う。ドイツ語のsozialは、「社会的」という意味のほかに、「社会福祉的な」「社会奉仕的な」というニュアンスがある。僕的には、Sozialpädagogikは、「社会福祉教育」と訳すべきではなかったか、と思う。
実は、僕が大学生の頃から関心をもっていた「福祉教育」という言葉を積極的に使っていた小川利夫さんが、そのことを既に示していた。ここにきて、福祉教育と赤ちゃんポストと社会教育が僕の中でつながることになった。小川さんの『教育福祉の基本問題』は、卒論を書く時に必死になって読んだ本(当時はよく分からないままとにかく読んだという感じ)。
このことは、ウーヴェ先生から教えてもらった大串先生の本の中で知った。大串先生曰く、「小川(利夫)は、社会教育を『社会問題』教育と性格づけた。すなわち、「『社会問題』教育としての社会教育」の課題として、貧困、差別からの解放、発達問題の克服(いじめ、障害者、老人などの問題)をあげていた。こうして、『社会問題』教育としての社会教育はドイツ社会教育と課題を共有することを意味した」、と。
日本の社会教育研究者も、貧困や差別からの解放を、社会教育の課題と考えていた。
赤ちゃんポストや匿名相談は、まさに、その貧困や差別からの解放という課題に応える一つのオルタナティブだった。緊急下の女性や、望まない妊娠に苦しむ妊婦たちの支援もまた、出産後の母子の貧困や、色々な差別や排除に打ち勝つための試みの一つである。こうした「社会問題」教育としての社会教育のベースが、現場の社会教育士に備わっているからこそ、あらゆる社会的な問題に対して真摯に取り組めるのだ、と分かってきた。
社会教育法では、「差別」も「貧困」も明記されていない。目に入るのは、「集会の開催」ばかり。
これでは、社会教育学の未来は暗い。上の貧困、差別からの解放、発達問題の克服等といった課題に取り組んでこそ、社会教育の本来の役割が果たせるのだと思う。(とはいえ、現状の教育社会学のように、社会学概念で教育問題を語ることで、この目的が果たせるとは思えない…)
もう少し徹底的に、日本の社会教育の言説を追って、考えなおしてみる必要があるな、と。
社会教育学って何なのか。
今後、僕が考えなければいけないテーマ。。。