Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

総豊@蘇我 人柄と味について


かつてから一度僕の大好きな総豊と和屋のかけもち(連食)をしてみたかった。どちらも大好きなお店なので、連食したらどうなるんだろう?!と。。。

総豊と和屋が好きな理由は、(多分ラーメンリピーターなら同意見かと思うのだが)味が好みというだけでなく、店主のお人柄、というか人間性というか、そういうものに惹かれたからなのではないだろうか。

定番の「豚ガラ、鶏ガラ、人ガラ」をもちだすまでもなく、やはり味と人柄が(自分の感性に)合ったからこそ、そのお店に惹かれるんだと思う。

美味しいっていうだけなら、きっと同じようなレベルの同じような志向のお店は多々あるだろう。また、人柄のよい店主というのもやはりそれなりにたくさんあると思う。「そのお店」に通う理由は、そのどちらかではなく、そのいずれもなのではないか。

もちろん味も人柄も主観的なものだ。だから、一概にこれがいいお店なのだ!と胸を張って主張することはなかなかできない。すべての人の舌と心を満たすラーメンというのはそうそうあるものじゃない。また、その場的に驚きを与えることができたとしても、それが持続するかどうかは別の問題である。

「また食べたい」、「またあの店主さんに会いたい」、そういう気持ちが高まらない限り、何度も同じお店に行くことはないだろう。

教師も同じだ。人柄だけなら、いい先生はたくさんいる。人間的に素敵な先生というのもいくらでもいる。また、授業が上手い先生や授業に子どもたちをグッと引き寄せることの上手な先生もやはりたくさんいる。

けれど、人柄が優れていて、授業そのものの質も高い先生ってそうそういるもんじゃない。授業は上手いけど、指導は上手だけど、人柄に共鳴できない・・・という先生は少なからずいた。また、人間的には魅力があるけど、授業そのものは聴くに耐えないほどにつまらない、という先生もいた。

人柄、その人のパーソナリティーも大事だし、また、その人の腕、技術もやはり大事なのだ。どちらも兼ね備えた人が素晴らしい人なのだろうが、しかし、その判断はやはり主観的である。ある人にとっては、人柄も腕も素晴らしい人であっても、別の人にとってはそうでない場合が多々ある。

僕は欲張りだから、そのどちらも欲しいと素直に思う。でも、だからといって、すべての人に認めてもらえるような先生になることは到底不可能だ。結局、自分なりに苦心して、人柄を太らせ、自らの腕を無心に鍛えていくしかない。

僕が総豊や和屋を愛するのは、自分にとって人柄と味どちらも最高だからである。でも、他にもたくさん魅力的なラーメン屋さんはある。最後はやっぱり生活圏内にそのお店があるということが大切なのだろう。

いつでもどんなときでも気軽にふらりと立ち寄れる、そんなお店があると、人生は今よりちょっと充実したものになる・・・のかも・・・

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