Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

シュニッツラーは僕を嫌うだろうな

シュニッツラーは、僕が大好きな思想家の一人。

彼の人間論に耳を傾けてみよう。

シュニッツラーの人間論(翻訳)

たいていの人間は、屋敷(Lebensvilla)の真ん中の階に住んでいる。その階の人間は、素敵なストーブやそれ以外の様々な心地よいものを用意して、快適に住居環境を整えている。

身震いするほど恐ろしい幽霊(Gespenster)のいる下の階の部屋に下りようとする人間はほとんどいないし、眩暈を引き起こすほど深いところや遠いところを眺めることのできる塔のてっぺんによじ登ろうとする人間もほとんどいない。

もちろん、好んで地下にいようとする人々もいるにはいる。そういう人にとっては、光や責任よりも、闇や恐怖の方が良いのである。

また、何度も建物のてっぺんに登っては、永遠にたどり着けそうにもないはるか遠方への眺めに屈してしまう人間もいる。

だが、最も悲しむべきは、地下と頂上の間をせわしなくかけ登ったり、かけ下りたりするような人間であり、「本来住まうところ」と規定された空間をホコリまみれにし、その空間を荒らすような人間である。


僕は、きっと彼から見れば、「最も悲しむべき人間」なんだと思う。右へ、左へ、上へ、下へ、前へ、後ろへ、せわしなく動き回っている。たいした成果も収められず、いつもせかせかと動き続けている。

足元はいつもグラグラ。大切な場所(仕事場や自宅の部屋)はいつも埃まみれ。大風呂敷を広げては、後で途方に暮れる。失敗ばっかりで、ちっとも失敗を次に生かせない。下に行けば、上にあこがれ、上に行けば、下に憧れる。

きっとシュニッツラーは僕みたいな人間を一番侮蔑したんだろうな・・・

ただ一つ、自信をもって言えることは、真ん中の階で安住したくないという気持ちは誰にも負けない!ってことかな。いいことか悪いことかは分からないが、いつでも「あたりまえ」を疑って、自分の意志で考えて生きている(気がする)。

もう少しゆとりをもって、あくせくしないで、手を広げないで、着実に生きていきたいと思うんだけど・・・ 

コメント一覧

kei
オジチャンさん

こんばんわ! 

「命をかけて選択して走り続けること」、そういう生き方って素敵だと思います。本当に。ただ、自分にはそういう生き方はできないな~っていうのが僕の結論ですかね。武田常夫にはなれないなって。。。かつては、そういう風に生きなきゃって思ったんですけど、今は僕のスタイルで行こうってふっきれました。

高みをめざす生き方も素敵。真ん中の階で幸せに暮らすのも素敵。地下の階に下りていって、闇の世界を生きるのもまた素敵。そして、僕的には、そういう色んな世界を旅して周る生き方もOK。ようは、自分が納得してその世界を生きているかどうか、のような気がするんですよね。30代の若造の考えかもしれませんが・・・ 

人生の半分を超えて、時間がない、と捉えるか、まだ半分ある、と捉えるか。この点ももっと考えたいところだと思いました。うちの父は、「まだ人生は三分の一ある」と言って、やりたいことやりすぎてますけれども・・(苦笑)
オジチャン
ありでしょう
私もそう思います。どんな道を選ぶのも、その人の魂の叫びが決めることとき案じます。ただ、人に与えられている時間には限りがあります。闇雲に走り続け動き回る生き方は、ロスも多く大変さをともないますね。私など、残り半分を超えているものには選択できない道だと感じます。最後までその道がつらぬけ、走り続け動き回ることが出来る生き方もそれは貴重だと思います。ようは、自分の命をかけて選択し走り続けることですね。コメントありがとうございました。
kei
オジチャンさん

こんばんわ。コメントありがとうございます!

この文章って、アフォリズムで、何を言わんとしているのか、ちょっとよく分からない文章ではあるんです。

ただ、真ん中の階で快適な環境の中で平和に暮らしていくことに対しては、やっぱり抵抗感があるんですよね。性分なのか。。。 

人には色んな生き方があると思うんですよね。いや、色んな生き方があって自然なんだと思います。無理に同一化することはファシズムにつながりますし。。僕はやっぱり、ちょこまか、あちこちをぶらつきながら生きていくのが性に合うんだと思います。オジチャンさんはいかがですか?? 「真ん中の部屋」にいるほうが性に合っていますか??

限定したり、単純化したりすることもすごく大切なことだと思います。でも、また同時に、限定しないで広く見たり、複雑化して考えることもまたありなのかな?!とも思うんですよね。

きっとシュニッツラーもオジチャンさんと同じように考えていると思います。でも、シュニッツラーの嫌う生き方がダメな生き方ではない、とも思うんです。。高いところにも立ちたいし、下の闇の地下にももぐってみたい。。。欲張りなんでしょうね。

でも、いけるところまで貪欲にあちこち走り回ってみたいなあっていう気持ちも結構強いんですよね。。これってダメなんでしょうかね?!?!
オジチャン
真ん中の部屋は・・・
まん中の部屋にいることが現状に安住することなのかは、一考の余地ありではないのでしょうか。自分の大切な世界を充実させることなのでもあるのではないかと私には感じます。紹介の思想家についての知識をまったく持たない上での暴論とは感じますが、貴兄の生活様式をかんがみて、貴兄の解釈を受け取った上での感想です。自分の大切な物を見つめること、限定すること、単純化することををお勧めします。雑駁な感想ですいません。
kei
ポン山君

よかったよかった♪

これからもよろしくです。気合入れてやりましょう!!

やっぱり、何事も楽しくやらないと続かないので、そのことだけは忘れないようにしたいです!!

じゃ、これからもよろしくです!!
ポン山
y君と名乗っていたものです。
HNはポン山です。

ドイツ語翻訳確認しました。
ありがとうございます。
また10月の授業でよろしくお願いします。
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