今、多くの子どもたちが「学校に行けない」という状況になっている。
3月頃から5月までの間、子どもたちは学校に通えずに、自宅もしくは自宅付近で過ごさざるを得ない。
その理由は、「コロナ感染予防」となるのだが、この学校閉鎖ゆえに、子どもの命が奪われているという事態にはあまり目を向けていないように思われる。
この1か月ほど、ニュース記事をチェックしてきたが、今、小学生を中心に、コロナではなく、交通事故によって命を奪われるという事故が起こっている。
昨日の滋賀県のニュースだ。
20日昼ごろ、栗東市の県道で小学生の男の子がトラックにはねられ、死亡する事故がありました。
警察によりますと、栗東市御園の県道を歩いて横断していた男子児童が、大型トラックにはねられました。はねられたのは近くに住む小学3年の山下諄さん(8)で、病院に運ばれましたが、約1時間後に死亡が確認されました。
近所の人の話では、山下さんは自宅から両親が営む店に一人で向かっていたのではないかということです。
時間帯は、「昼ごろ」と書いている。昨日は水曜日。本来であれば、学校に居る時間帯だ。
学校がなくなっていなければ、この事件が起こることもなかったはずだ。
ご両親が営むお店に行く途中に、大型トラックにはねられ、死亡した、というとてつもなく哀しい事故死。
僕がこの子の親なら、学校も、学校を止めた国も、トラックも、コロナも一生恨み続けるだろう。
そして、ずっとずっと自分を責め続けるんだろうと思うと、胸が張り裂ける思いだ。
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次の事故は、愛知県南知多町で起こった事故死だ。
25日午後4時ごろ、愛知県南知多町にある篠島の町道で、近くに住む篠島小2年の岡田凪翔君(7つ)=同町篠島神戸=が、同町大井の会社員榎戸大友さん(33)の軽ワゴン車にはねられた。岡田君はドクターヘリで長久手市の愛知医科大病院へ搬送されたが、約2時間後、脳挫傷で死亡した。…
半田署によると、岡田君は現場付近で1人で遊んでいたとみられ、海側から道路を横断中だった。事故当時、現場近くの海側の路肩には複数台の車が止まっていた。通行人の男性から「人と軽四自動車の事故があり、(男児の)呼吸がない」と110番があった。
篠島小は新型コロナウイル感染拡大防止のため、今月8日から休校中だった。
4月25日は土曜日なので、上の事件とは異なり、コロナ禍がなかったとしても防げなかったかもしれない。けれど、学校閉鎖がなければ、起こらなかった事故だったかもしれない。
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死亡しなかったとしても、重傷、重体の事故も多数起こっている。
今、学校側も、交通事故に関する注意喚起を行っている。
しかし、これを真面目に受け止めれば、家に閉じ込めておけ、ということになる。
そうなると、体力がありあまる小学生たちはどこでそのエネルギーを放出せよと言うのだ?!
しかも、昨日もNHKで報じられたが、子どもたちの「ゲーム依存」の心配も懸念される。
子どもを守るためにも、学校の再開はただちに検討してほしいと願う。もちろんコロナのパンデミックは防がねばならないだろうけれど、学校がないがゆえに奪われる命もあるということも併せて考えたい。
世の中では、「医療の論理」と「経済の論理」との対立が叫ばれているが、それと同じく、「教育の論理」も同時に考えてほしいと思う。
今、子どもたちがどんな状況を生きているのか。どんなリスクが発生しているのか。コロナも怖いけれど、学校がないこともまた同時に怖いことだ。
崩壊している家庭の子どもたちは、行き場を失い、絶望のどん底にいることも推測される。ネグレクト状態の子どもも多数いるとも言われている。
学校は、ただ勉強する場なのではなく、子どもの命や健康を守る場所でもある。
子どもは、未来の日本を創り、支える大切な存在だ。<今>だけに目を向ければ、「医療の論理」と「経済の論理」がとても重要になってくるが、<未来>に目を向ける時、この今の「学校なき子どもの世界」は、とても恐ろしいことに感じられる。たかが学校かもしれないが、されど学校なのだ。
子どもの事故死は見たくない。なんとしても防がねばならない。
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僕は、小学生の頃、3人の友達が車の事故で亡くなっている。名前も覚えている。あの時、もし事故に合わなければ、今もきっとこの世に生きているんだと思う。同じ44歳で、家庭をもち、子どもを育て、仕事をバリバリやっていたかもしれない。交通事故による子どもの死は、本当に悲しいことだ。
しかも、それが「コロナ禍」のせいで「学校」がなかったことで起こったとするならば、それは、僕ら大人の責任だということになる(一ドライバーだけの責任ではない)。
十分に感染予防をした上での学校再開を強く願う。