Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

八千代市の事件と保育園民営化

教育・福祉の民営化の問題が浮かび上がるようなニュースがあった。

 八千代市の高津西保育園(社会福祉法人四恩福祉会)で園児虐待を疑われた保育士が懲戒解雇された問題で、市と法人が保育運営の契約書として取り交わした「覚書」や民営化ガイドラインの内容を双方とも守ってこなかった疑いが31日、明らかになった。法人側は保育士の経験年数や常勤での配置など必要な要件を満たさず、市は保育内容を確認する第三者による協議体を作ると明記しながら設置していなかった。

 市内11園の保護者らでつくる同市保育園保護者連絡会(川井孝子会長)と、市子ども部との懇談で判明した。それによると、2007年3月に市と法人の間で締結された「保育園運営に関する覚書」では、同市の保育水準を定めた民営化ガイドラインを順守し、保育士の構成は「保育園における6年以上の保育経験を有する者が全保育士の3分の1を占める」などと規定。だが、保育園勤務年数が書かれた名簿は、保護者側が法人選考時から3年以上もこの名簿の公開を求めていたもの。今回の問題発生後に法人から示されたところ、同園に来る前に保育経験6年を満たしたのは臨時保育士を含む保育士20人のうち3人だった

 また、市は移管前、保育の質低下を防止するため、「有識者や保育関係者ら第三者による協議体を作り、民営化園の保育内容を評価する」との方針を議会などで発表し、法人には覚書で結果公開を義務づけていたが、設置はされていなかった。

 保護者からは「移管時の職員態勢が既に混乱していたことが、今回の保育の混乱を招いたのでは。ガイドラインや覚書はこんなに軽視されていいのか」「民営化後も保育の質は落ちないと言われたが、どう検証してきたのか」との指摘が相次いだ。

 これに対し、市は「ガイドラインや補助金が適切に運用されていたか検証する」とし、「懲戒解雇が適正な手続きだったかという問題もあり、真相解明のための第三者による調査委員会を早急に作り、保育の質向上のための協議機関づくりを進めたい」と説明した。

引用元 (下線部筆者)


事の発端は、保育士の幼児虐待疑惑だった。本当に虐待をしていたのかどうかは分からないが、「容疑」の段階で、「解雇」された。

ここに、何か不穏なものを感じずにはいられない。

今や、教育も福祉(保育)も、厳しい目にさらされているし、うかつなことを少ししただけで、メディアやマスコミが話題にするし、世間の厳しいバッシングを受ける。それが正当なものであれば、健全な意義申し立てだと思うし、上にある教育や保育の「質」の向上にもつながるだろう。現にひどい教員や保育士も中にはいるからである。

けれど、そういう世の空気があるからこそ、教員や保育士がきちんと仕事ができる、もっと言えば、仕事が守られるシステムもきっちり用意してもらいたい。教育や福祉は、結果や成果がとかく見えにくい世界であり、時として子どもや福祉対象者のニーズとバッティングする部分も多々ある。世間一般の「生産者」と「消費者」の関係にはならないのである。「顧客のニーズを把握し、そのニーズを満たすサービスを提供する」、という論理を、教育や福祉は超えているのだ。もちろんそういうニーズもきちんと把握する努力はすべきだろう。だが、教育や福祉は、それ以上のことをしなければならない。

当然、親と教師・保育士がバッティングすることもあるだろう。正当に議論できる状況ならよいが、多くの場合、理性的な議論にはならず、水掛け論になったり、感情的な悪意ある議論になったりしてしまう。自己の正当化を主張し、相手の非をののしり、相手を負かすことが議論の目的となってしまう。なので、親も教師・保育士も、共に疲れ果ててしまうし、よい方向へと議論が展開することもない。「負かされた側」が泣き寝入りして終わる、そういうことの方が多いのである。

今回の事件は、そういう「泣き寝入り」が問題となっているように思う。事の真偽を問う前に、いわば「なし崩し的処置」として、「解雇」があったといわざるを得ない。これは、教師や保育士の自律性や主体性や専門性の問題ともかかわってくる。医者もクレーム産業だと言われているが、そこにはきちっとしたセーフティーネットがはられている。医者の自律性を守るネットワークが用意されている。だが、医者以上に親密に接する教師や保育士の場合、そのネットワークが十分に機能しておらず、日々「外部からの批判」にさらされているのが実情ではないだろうか。

「自由な教育活動・保育活動」が保障されないというのは、ある意味、日本の未来の危機に直結する。人間を育てたり、保護したり、教育したりする機関(つまり再生産機関)がまともでなければ、それによって育てられ、保護され、教育される人間がまともになるわけがない。もちろん「質的なバランス」も重要だし、「カリスマ教師」がいればよいというものではない。すべての教師、保育士の質が一定水準を保っていなければならない。それを踏まえた上で、やはり「自由な教育活動・保育活動」はきちんと保守されねばならない、と思うのだ。

上の場合、保護者から「正当な問い」が生まれたから、こうした議論が展開されるに至った。だが、その背後で、多くの教師・保育士が不当な理由で解雇させられているとしたら、それは悲劇としか言いようがない。今の学校や保育園で求められる人材は、(暗黙に)無難で、従属的で、非支配的で、無抵抗で、従順で、対立を好まず、穏健で、おとなしい人間になっているかもしれない。そういう人間が未来の人間を作っているかと思うと、ある種、ぞっとする。あまりにも過激な人は困るが、それなりに自主的に問題を提起することのできる批判的思考の持ち主でなければ、この仕事は勤まらないと思う。上から言われたことを無批判的にただ下に押し付けるだけでは、自立した個人は育たないし、民主国家としての危機にもつながる。

そういう意味で、今回のこの事件の発展は、すごくよい方向に向かっていると思う。当然、虐待の疑いのある保育士が本当にどうだったのか、ということの検証もしなければならないし、もしそれが検証されないならば、解雇は取り消されなければならない(当然、虐待が事実であれば、解雇がしかるべき処置であろう)。

教育・福祉の人材を育成する僕からすれば、彼らは高額の費用をかけて、国が認める資格・免許を取得したプロである。そのプロを育成している人間としては、やはりそのプロである教師・保育士が不当に解雇されるのは許しがたいし、とても悲しい。この仕事自体の意義が否定された気持ちになる。

現場の教師や保育士の多くは、日々頑張って≪再生産業≫を生業にして頑張っているのである。もちろん「善い人間に育ってもらいたい」という願いと、「立派な大人になってもらいたい」という気持ちをもって、仕事に励んでいる。だが、このケースで言えば、事実、6年以上勤務した人は、20人中3人だった。恐らく若い保育士が大半だったのだろう。20代前半が主だったのだろう。専門家であり有資格者である保育士が長く勤務できない、というのは本当に残念なことである。それに、ベテランがいない/少ないというのは、若手にとってみればとても辛いことであるし、またベテランの人にしてみても負担が一人に集中することになる。どちらにとっても良いことではないだろう。

なので、この問題はとても僕自身にとって気になる問題なのだ。

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