なぜ、人はこうも安易にデタラメなことを信じてしまうのだろう。
どうして、人はこうも嘘やデマやプロパガンダを信じてしまうのだろう。
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世の中や世間の常識を「疑う」という訓練やレッスンを、幼少期から何度も何度も何度も何度もやらないと、今のこの国の腐りきった現状を改善することはできないんだな、と改めて思う。
幼児教育の段階から「なんで」、「どうして」といった疑問や疑惑を徹底的に経験させること。
そうした経験がないから、安易にあらゆることを信じてしまうのだろう。
一つのことを鵜呑みにしないこと。
一人の意見に迎合しないこと。
おかしいなと思うことを大事にすること。
大人たちの当たり前が本当に正しいのかを繰り返し問うこと。
幼児教育や初等教育の段階でこうしたことを徹底的に経験させること。
これは、できないことではないはず。
それだけではない。
言われたことをやらなかった子どもを褒めること。
言われたことを言われた通りにしなかった子を大事にすること。
他の子どもと違うことをしていたら評価すること。
これもすぐに実践的にできるはず。100年以上前にエレン・ケイが言ってたことだ。
こうしたことを日々、意識してやることで、子どもたちは「疑うこと」を身につけることができる。
逆に言えば、そうでもしなければ、疑うことは習慣化されない。
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このように書くと、、、
「それでは、クラス全体を統率できない」という反論も出てくるだろう。
だが、それにも再反論したい。
「ならば、全体で行う活動をただちにやめよ」、と。
全体主義国家ならそれもいいかもしれないが、この国は自由で民主的な国だ。その前提となるのは「個人」である。誰も統率できない「個人」を大事にする国であるべきなのだ。
誰かが「おかしい」と思ったことが表に出たら、あとは、みんなで確認して、確かめて、考えて、話し合って、「どうすべきか」を考えればいい。
子どもたちの素朴な疑問や疑惑を重視し、それをもっともっと色んなところで感じさせる「環境」を整えること。これも今すぐにできる実践だ。
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その積み重ねがあれば、親や高校の先生に「とりあえず大学に行け」と言われた時に、「なんで? やりたいことがないのになんで行くの? したい勉強もないのになんで100万も学費を払うの?」って反論できる(この感覚、欧米では超当たり前のこと)。
何も考えないで、レールに乗るのをやめよ。
そして…
疑うという行為を常態化せよ!
常にあらゆることを疑う習慣を!
と、強く思う。
そういう習慣をもたない人だらけだと、この国は本当に滅びてしまうだろう…😢