おはようございます!
3日の日曜日、NHKの大河ドラマ「どうする家康」
を見ていたら、私が「あべのハルカス」から撮っ
た写真と同じ風景が出て来てビックリしました。
今回は、「どうする家康」での「大阪冬の陣」に
ついて、徳川家康が布陣した場所と大阪城と大砲
を写真と共に紹介します。
では、早速ご覧下さい。<m(__)m>
< ① >
これが、大河ドラマに出ていた同じ風景です。
大阪城と「大阪冬の陣」で徳川家康が陣取っ
た場所が、「あべのハルカス」から見ると
一目瞭然です。
黄色い楕円の所が、家康が陣取った「茶臼山」
です。
赤い矢印が大阪城、青い矢印は一心寺、緑の
矢印は四天王寺です。
大阪城周辺には豊臣軍10万人、それを取り囲
むように徳川軍30万人が戦を行ないました。
今から、409年前の1614年11~12月のことでした。
< ② >
大阪城小天守台には、幕末に製造されたと言う
青銅製の大砲が置かれています。
家康は、国内で製造された写真のような大砲と
イギリス、オランダから輸入した大砲とを合わ
せ、約100門を大阪城北側の備前島(現在の
都島区網島町)から砲撃し、大阪城を壊滅状態
にしました。
その後時代は移り、明治7年までは明治政府の
陸軍により、朝昼晩の時報として号砲を響かせ
「お城のドン」として市民に親しまれていたそ
うです。
< ③ >
これが、大阪城天守閣です。
現在の天守閣は、三代目となります。
大阪城は、豊臣秀吉が築城しましたが、「大阪
夏の陣」で落城し、その後徳川家康が再築。
時は、幕末から明治維新に移り、その動乱の
最中大阪城は炎上焼失。
現在の大阪城天守閣は、92年前の昭和6年(19
31年)大阪市民の寄付により復興しました。
国内のそれぞれの城には、色んな歴史があります。
その中で、特にこの大阪城は時代を代える惨劇が
ありました。
今では、市民の寄付により再興され、観光と憩い
の場となっていますが、城内には「大阪冬、夏の
陣」に関する資料が展示してあります。
これらを見ると、激動の時代だったんだとつくづく
感じます。
今度、関西を訪れることがありましたら大阪城へ
行き、これらの展示物をジックリと見学したいと
思っています。