1993年(平成5年)に西陣から登場した一般電役の「ポップカルチャー」。
私がパチンコを打ち始めの頃(1990年)には「ポップアート」という名前のニューギンの羽根モノが出ており、非常に遊びやすいマイルドな台であった。
それに対して、似たようなネーミングの「ポップカルチャー」は、一般電役といえば耳ざわりは穏やかだが、実はドル箱を幾重にも積み重ねることが可能な「猛爆連チャン機」であった。
あらためてコイツのスペックを振り返ると、まず大当たり確率は1/241(雑誌によっては1/246としているものもあった)。メーカーは当初1/48と発表していたが、これは初当たり・連チャン込みの数字であり、実際には早い回転での連チャンとハマリを繰り返す仕様になっていた。
次に連チャンシステムであるが、初当たり後の4回転に限り無条件で1/4という超高確率で大当たりとなった。また、この4回転で当たらなかった場合も、約70パーセントという高い振り分けで天国モードが選択される。この天国モード中の大当たり確率も同様に1/4だったので、とにかく一度大当たりを引きさえすれば、かなりの連チャンが期待できる仕組みになっていたのだ。
まあ、連チャン自体は結構な数字であったが、出玉は大当たり1回当り400個程度と少なかった。また、店によってはアタッカー上の釘をマイナス調整して、200個くらいしか出ない場合もあった。まぁ羽根モノの完走時よりも出玉は少なかった訳で、まさに「連チャンしてナンボ」という台であったことは明らかであろう。
それから、モーニング機能がついていたのも大きな特徴だった。電源投入時の10分の1で天国モードに突入したので、朝一低投資からの爆裂も可能であった。
コイツを初めて打ったのは・・・う~ん、どこだったろうか。ああそうだ、確か登戸の「ハ〇ヤ」というホールだったな(現存)。新装直後に打つ機会があったのだが、釘もそこそこ甘い状態だったので、座れば最終的にはドル箱4,5杯は持って帰っていたような記憶がある。
中にはドル箱10箱以上重ねる幸運な客もいたが、私にはそういう目を見張るような爆裂連チャンというのは、あまりやってこなかった。
ただ、爆裂度はスゴイ代わりに、この機種のスタートチャッカーはスルー式だったので、通常時の玉持ちがエライ悪かった。そのため、例え順調に10連とかが来ても、直後のハマリで出玉全飲まれ、なんて展開も多かったのである。
最初のうちはオイシイ思いもしていたが、パターン通りに釘も閉められていき、また高確率で連チャンするはずが2,3連で速攻地獄落ちしてしまうようなケースもままあった。資金にそれほど余裕のなかった学生時代、そんなキツイ展開に付いていけるだけの精神力は持ち合わせていなかったので、次第にこの台に座る機会も減っていく。
そんな感じでフェードアウトした私のポップカルチャー歴であったが、あるとき突如復活することになる。1999年頃、たまたま仕事帰りにフラッと入った四谷のパチンコ店「コメッ〇」(これも現存する)で、偶然コイツが設置されているのを目撃する。
まさか、こんな所でポップカルチャーとの再会を果たせるとは思わなかったので、条件反射的に座ってしまった。打ってみると、やはり新台当時打っていた頃とは雲泥の差、まあデジタルが回ってくれない。結局当たるには当たったが、かなりの負債をこさえて店を後にした記憶がある。
それでも何かスゴイ穴場を見つけたという思いで、この店に寄る度にポップカルチャーを打つこととなった。それほど派手な連チャンさせた覚えはないが、四谷を訪れた際の大きな楽しみであったことは間違いない。
実は、その店の2Fには当時リズムボーイズの裏モノ(状態Ver)が置いてあり、仕事終わりの短時間にあてずっぽうに座った台で勝負するという、非常に無謀なことをやっていたこともあるが、まぁ若気の至りであろう(笑)。