下北沢駅(小田急線・井の頭線)周辺のパチンコ店マップ(1991年)
各ホールの名称と、当時のパチスロ設置機種
A…ワールド(アニマルG、ワイルドキャッツ)
B…下北レジャー(ドリームセブン、ワイルドキャッツ、アラジンII、ムサシ)
C…ミナミ(アラジンII、スーパープラネット)
D…ゴールデン(スロ設置なし→ハネモノ:ゼロタイガーキング、ボイジャー1号 etc)
E…富士(スロ設置なし→ハネモノ:ビッグベン、ナイトドラゴンVII etc)
F…グリンピース(スーパーバニーガール、スーパーウィンクル、アラジン)
「下北沢」というと、すぐ隣の世田谷代田で生を受けた自分としては、馴染み深いエリアだ。
また、当時は小田急を使って大学に通っており、ほぼ毎日この駅を通っていた。
ただ、学校に行くには、新宿に出てJRで高田馬場まで行き、学バスか地下鉄に乗る必要があった。下北沢での途中下車は、ほぼ確実にその日の講義をサボる事を意味した。
それでも、当時の北沢エリアには香ばしいホールや設置機種が幾つもあり、途中でフラッと立ち寄ってしまった。まぁ、これは下北沢に限らず、向ヶ丘遊園、新宿、馬場といった通学途中の駅全てに当てはまるが…。
さて、意外に知られていないが、当時の下北沢にはパチスロ専門店「グリンピース」があった。もちろん、新宿に本拠を置く有名店の系列である。私は、下北グリンピのスーバニに一時期ハマり、負けても負けても足を運び続けた事がある(何の自慢にもならないが…)。祖母から誕生祝いに貰った「天皇在位60周年記念10万円金貨」を、グリンピ近くの銀行で換金して、スーバニに全て突っ込んだという罰当たりなマネもした(笑)。その後、新宿GPのスーバニやコンチIIIで取り返したので、「江戸の仇を長崎で取る」といったところか。
踏切前の店「ワールド」は、1階にあった三共のハネモノ「エンタープライズ」目当てで、よく足を運んだ。当時のワールドは大変活気があり、夕方ともなるとパチンコのシマは地元客でごった返していた。2階のスロコーナーも、当時は結構な客付きだったように覚えている。しかし、暫くすると一気に客離れが始まり、末期は閑古鳥が鳴く始末であった。「ミスターマジック」のBモノなども、長く設置されていたのだが…。
(在りし日の「ワールド」)
駅沿いの店「下北レジャー」は90年代に閉店した後、新たに「カレイド」となり現在も営業している。「レジャー」当時は、地下のパチスロコーナーに良く通った。特に、高砂の3-1号機「ドリームセブン」は、比較的波が穏やかでバケも多く出てくれたので、財布の中身が心もとない時でも、安心して遊ぶことが出来た。パイオニアの2-2号機「ムサシ」の小役抜きを店員に叱られたのも、今では懐かしい思い出だ。
(在りし日の「下北レジャー」)
「ゴールデン」と「富士」は、駅前商店街の入口付近で、向かい合って営業していた。共にスロがないのでスルーする事が多かったが、ハネモノを打ちたい時など、たまに立ち寄った。ゴールデンは、いつ覗いても1F、2Fとも客がおらず、ガランとした空間で一人打つのはかなり抵抗があった(3Fには、雀球も置いてあったが…)。両店舗とも、タレントのK池K子の実家として知られる。
(在りし日の「ゴールデン」)
「ミナミ」といえば、91年当時は、新たな換金方法を巡って暴〇団や右翼と揉めていた事が印象深い。北沢地区のパチ屋が、旧来の特殊景品を「金地金」に替えた事から、マージンを取れなくなった地回りのヤ〇ザ達から、激しい嫌がらせを受けていたのだ。その最大の標的となったのが「ミナミ」で、ホール周辺では街宣車の騒音が連日響いていた。ミナミの入口には警備員が常駐しており、店内にも「不審な人物を見かけたら、すぐ係の者に知らせて下さい」という貼り紙があった程だ。
★追記★
経堂・農大通りの小店…「シルクハット」(P:保安官、サイクロン/S:ワンダーセブン、デートライン21などを設置、80年代後半に閉店との事)