まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

作家・女流パチプロ、岡田安里さん

2013-01-15 17:29:40 | その他パチ・スロ関連

(C)テレビ東京

 

「岡田安里」(おかだ・あんり)という人物をご存知だろうか。

90年代のパチンコ番組にたびたび登場した、知る人ぞ知る「作家・女流パチプロ」である。

1992年11月放映の「パチンコNOW」では、「ミセスパチンカー岡田安里」として出演。

また、1996年には「TVチャンピオンパチプロ王決定戦II」にも出場。スエイ編集長との対決では、開始僅か1回転で「CRFビッグパワフルFX」を当てるなどヒキの強さをみせて、見事決勝ラウンドに進出した(優勝は大崎一万発氏…「CR竜王伝説Z」で爆裂、もう一人の進出者は飛鳥一平氏)。

自身のホール体験を綴ったエッセイ「女流パチプロの優雅な日々」や、パチ屋を舞台にした書下ろし小説「ミセスパチンカー」などが有名だ。

タバコの包装紙の裏に、ホールでの実戦データを細かく書き込むという岡田さん。地道な作業だが、これが執筆活動にも大いに役立ったそうだ。

竹書房の「漫画777」というパチンコ漫画誌では、「アンリちゃんのパチンコ日記」というレギュラーコーナーも持っていた。

学生時代には、文豪・遠藤周作氏の講義を受けていた岡田さん。その後、岡田さんが遠藤氏と偶然に再会した際、遠藤氏は彼女にパチンコの「弟子入り」を志願したそうだ。

ちなみに、女流推理作家の山村美紗さんも 一時パチンコファンだったという。やはりパチンコが趣味だった作家の松本清張氏に誘われ、京都のパチンコ屋に初めて入ったのが、きっかけだったとか。

また、作家の立松和平氏は、学生時代に高田馬場の「国際センター」に通い、勝った時には景品コーナーの書籍を良く取っていたという。

「パチンコ」「作家」といえば、「パチプロ日記」の田山幸憲プロを外すわけにはいかない。田山プロは、「ケもなし」「してやったり」「デキた!」など、その独特な味のある表現で、実践者のみならず、文筆家としての才能も開花させた。

こうしてみると、既に鬼籍に入られた方が多いが、岡田さんは、今も元気に「作家兼パチプロ」として、活動されているのだろうか…少し、気になる所ではある。

 

さてさて、冒頭の画像を、もう一度ご覧頂こう。

(C)テレビ東京

これは、1993年(平成5年)にテレビ東京系で放映されたパチンコ特番「15兆円の大フィーバー、日本全国パチンコ大特集」の一コマである。「15兆円」という業界の売上額が、この時代を象徴している。

当時は、このテのパチンコ特番が、年に一度、テレ東でオンエアされるのが恒例だった。

勿論、他局でも、パチンコを取り上げた企画が多く存在した事は、いうまでもない。

この番組で岡田さんは、「全く素人の主婦に、パチンコの基本知識をアドバイスするプロ」という役どころで登場した。

コーナータイトルは、「主婦奮闘!初めてのパチンコ」。パチンコ初心者の主婦3名(Sさん、Iさん、Yさん)に、実際のホールでパチンコを体験してもらう企画だ。

主婦3名、まずは北千住西口「ビックリヤ西口店」で、パチンコに初挑戦。

当然ながら、パッキーカードの買い方も判らない(この店は現金機もカードで玉を買うシステムだった)、玉貸機で借りた玉をボロボロこぼす、出る台を店員に直接聞こうとする…と、見事なまでの「ド素人ぶり」を発揮、所持金の3000円をあっさり使い切ってしまった。

そこで、三者三様の「特訓」を一週間みっちり行い、その結果を一週間後にホールで披露する事になった。

 で、この中の「Iさん」が、岡田プロからパチンコの手ほどきを受けた訳だ。

(C)テレビ東京

(高田馬場界隈のホールを回る2人。優良店選びの「コツ」を語る岡田プロ、その話を熱心ににメモるIさん。この場所は、おそらく「東陽会館」前の横断歩道と思われる。)

 

2人は、「日拓EO」「東陽会館」など、高田馬場界隈のホール巡りをした後、「ダイナム」(閉店)に入る。そして、奥村のハネモノ「ビックリハウス2」(無制限営業)を教材に、釘の見方を一から勉強する。岡田さんの「パチンコ講座」に、熱心にメモを取るIさん。

岡田プロは、オトシやヘソといった重要な釘について解説。そして、鳴き・寄り・クセの良し悪しを各1000円で判断する「ハネモノ3000円打法」をIさんに伝授。岡田さんの飄々とした語り口が、何とも面白い。

Iさんがメモを見ながら「ハカマは狭く、命釘は広く…」と言うと、「呑み込みが早いじゃない!」と、岡田プロに褒められる。「他の2人には、絶対負けたくないんで!」と、Iさんも本気だ。

 

ちなみに、他の二人の主婦だが…

Sさんは、コンビニで大量のパチンコ攻略誌やビデオを買い込み、自宅で勉強を開始。石橋達也プロの「パチンコに勝てる本」や、パル企画の攻略ビデオ「パチンコ必勝攻略法」などを使って、熱心にデジパチなどの知識を養った。

一方のYさんは、専門的な知識を得るために、かのクエタ校長(久恵多勝利)が主催する「パチンコ専門高等技術学院」に出向く。グラサン姿のクエタ校長から、釘のイロハやハンドルの持ち方、保留ランプの意味といった、基本的な知識を学ぶ。ちなみに、テロップでは「4日間の受講料、88000円」と出ている。講義内容は不明だが、かなり高額な感じもする。

 

そして一週間後、パチンコの「正しい知識」を身に着けた3名が、再び一同に会する。場所は1週間前と同じ、東京・北千住の「ビックリヤ西口店」

(C)テレビ東京

(「ビックリヤ西口店」入口にて)

 

※1993年当時の北千住駅前ホール一覧

西口…「ビックリヤ西口店」「パチンコ千代田」「ダイヤモンド」「パチンコデズニー」「ビーパル」「パルコ」「Bist」「フロムビー」

東口…「ビックリヤ・パート2」「YOKOZUNA」

 

特訓で素人状態から脱した3人は、1週間前にヤラれた台で再戦する。Iさんはハネモノ「元祖ワニ道楽2」(ニューギン)で大当りして小箱満タン、Sさんも「FパワフルIII」(SANKYO)で見事フィーバーして、リベンジを果たした。

ただ、クエタ校長のパチンコ専門学校に入門したYさんは、「フィーバーキングII」(SANKYO)を打ったが返り討ちにあう。まぁ、デジパチは時の運でもあるし、台の選び方や打ち方はまともになっていたので、上達はしたのだろう。リーチが掛かるとキチンと止ち打ちする所など、素人の時とは大違いであった。

三人の中で最も上達したのは、ハネモノの釘を読んで大当りを出した「Iさん」であろう。やはり、現役のパチプロからホールで「実地指導」を受ける事が、専門学校や教材で知識を仕入れるよりも、大きな効果があった訳だ。その意味でも、この企画で女流プロ・岡田さんが果たした役割は大きい。

 

(「作家・女流パチプロ、岡田安里さん」の項、了)