Life is ART!

高齢者施設で活躍しているアートワークセラピスト達の旬な声をお届けします。

世界を共にする

2011-05-29 13:27:17 | 素敵な現場
シニア担当のYokoです。


先日シニアの方のマンツーマンアートセラピーを行いました。

これはこれまで団体の時間を過ごしていた方が

認知症の進行に伴い、団体生活が若干困難になり

お一人で過ごす時間が増えている為、

個別でアートセラピーが行えないか?という相談を受け

今回様子を把握する為にお試しで対応をさせて頂きました。


Iさんはこれまでに5年間ずっとアートセラピーの時間に参加されていましたが

何かを選ぶ、自分で描く作る、自分の気持ちを伝えるなどの事が難しくなり

昨年の秋以降は参加されてはいません。


久しぶりにお会いしたIさん

お昼ごはんも終わり少しのんびりする午後1時過ぎ

みなさんが過ごされるラウンジの窓際のテーブルに一人

眠たいのでしょうか・・・顔をテーブルに伏せて一眠りの状態


起さないように静かに準備をしていたのですが、目を覚まされて

ぼやんとしながら目をしょぼしょぼさせ 私の顔を見ると

「よくお越しくださいました」とにっこり。


私もマンツーマンで対応をしたことはありません。

ですので、私にとっても初の試み

大枠の時間を取り、様子を見ながら画材を進めて行く

どのような画材に興味を持つかなどを様子を見る

特にプログラムを決めずに、お話をしながらIさんがやりたいことをやり

落ち着いて過ごせる時間になればと思って臨みました。


認知症は進んでいたようです。

お花のお写真を見せても、それはお花ではなく何か別なものを見ている。

「これは先生ね」

「これはきりこみ」(きりこみってナンだろう?)

終始話しはIさんの今見えている感じている

いや、過ごされている世界の言葉で伝えられてきます。



私は認知症の方の世界はファンタジーだと感じるときがあります。

突然シーンは変わる。登場人物も変わる。

何かが見えていたりする。

「あそこの丸いところがかわるのよ」

指差すのは窓の外。 丸い箇所はどこにも見当たらない。

でも「あそこの丸いところがかわるのよ」


息子さんの話しが出てきたり、誰かとの会話を話したり

頁をめくる度にどきどきはらはらするような、何か起こるかわからない、

そんなファンタジーのお話のように、Iさんは私をどこかに連れて行きます。


「あの方が〇〇とおっしゃるから、それは××でしょうと申し上げたら

 こちらの方が△△だからそれはおやめになりなさいと言われたのよ」

「△△って言われたんですか?」

「そうなの。そうしたらね・・・」

そういって、更に登場人物が増えていきます。頁がめくられていきます。

話しを聴いていくうちに、古い木の家が並ぶセピア色の昭和の景色が思い浮かぶような・・

そこにIさんがいる。そして私もいる。そんな錯覚すらしてしまうような・・



シニア向けアートセラピストは、この認知症の方の世界に触れることが多い仕事です。

もちろん「認知症」と言われる方の様子によって様々ですが

穏やかな方も、怒っている方も、

それぞれの世界に触れさせて頂き、共にすることで、

その方の今を知ることが出来ると同時にその方の過去を知ることが出来る。

その世界がまったくわからない話であったとしても

話す時の表情や、たびたび繰り返す言葉や、瞳の様子、手の動きetc・・

「共にする」事で感じる、その人から醸し出される「温度」



気がつくと予定時間を軽くオーバーしていました。

折り紙もお花の写真も押し花もクレヨンもほとんど手付かず

やったことと言えば、お話を聴く、時々歌を一緒に歌いながら

2人で手を叩いたり、カラダをさすりあったり

そしてもちろん笑いあったり。


私の心の中はあたたかさで一杯でした。

だけれども、この時間がIさんにとってどうだったのかは

わかりやすい「結果」を出せてはいないために

職員の方が今日の様子から、そこから判断していただくしかありません。



私が挨拶をして席を立とうとすると

「今日は楽しかったです。また来てくださいね」

そう言って、まるで何もなかったかのようにテーブルに顔をつけて一眠りの姿勢に。



必ずしもこれが良い形なのか

アートセラピストが接する事なのか

それは私の中で何もまだ答えは出ていませんが

0ではなく、わずかながらの1

Iさんの日常に少しお邪魔した事で

普段とは違う時間をわずかですが過ごして頂けたのではないかと思っています。


ほんとうに わずかですが・・

そして それは 忘れられてしまう事なのですけれども・・




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