シニア担当のYokoです。
東京はまるっといいお天気です。やっと「春」の気温といった感じ。
陽が窓から差し込み、とても清々しい目覚めでした。(私にしては珍しい)
昨日のシニアワーク。私は大切な物をまたひとつ手にしました。
いや、もう既にあったのに、私はそれを少しだけ忘れていたのかもしれません。
シニアの現場をやっていると、ふっと襲って来る事があります。
それはもしかすると介護の仕事や、もしかすると介護する側の方も感じる事かもしれません。
「いつまで続くのだろう・・・」
それは「どこまでやればいいのだろう・・」
人間は、どこか贅沢で何か明確な答えを得たがり味わいたがるものかもしれません。
何か盛大なもの 形あるもの 結果が出るもの
今起こっている事 それだけでも十分に素晴らしいという事をすっかりと忘れてしまって。。
どんな事でも、生きているから味わえるのだという事も当たり前過ぎてどこか不満足で。。。
子どものクラスなどは一定の年齢制限があり、6歳~12歳までなら、12歳でクラスは卒業。
半年という制限があるのであれば、半年後には修了式。
ひとつの「節目」「区切り」があり、関わるだれもが一旦の完了が出来る。
「おんぎゃぁ~」と産まれて、節句や入園・入学式、卒業式 試験 成人式と沢山の節目があります。
そうして社会に出れば、場合によっては昇進、部署移動、転職、引っ越し、
更に結婚 場合によっては離婚も節目ですね。出産もそうかもしれません。
そして定年 還暦。。。。
その一つ一つで味わう事はそれぞれですが、自分の承認 祝福 喜び 新たな気持ち・・・
私たちの人生は必ずどこかで一旦の「節目」「区切り」があります。
シニアアートワークの現場では、新しく施設に入られた方が参加する事。
そうして完了があるとすると、それは「お別れ」の時がそれにあたるかもしれません。
この1年で私の現場に参加される方達が、一人 また一人と お別れが続きました。
すると何が起こるか。。参加者が減るという事です。
どなたでもいつでも参加出来る施設もあれば、
ご家族の了解や本人の希望を募って行う施設もあります。
参加人数が減ったのは後者の方でした。
3名・・
ある日のワークの人数です。
亡くなられた方もいた事もそうですが、
その日はたまたま皆様の体調が優れなかったから・・・というそれだけの理由と言えばそうなります。
だけれども、それまで10名越え 8-9名、そして5-6名・・少しずつ減っていく参加者。
介護を必要とされている皆さんです。
一つの出来事で健常な者では想像も出来ないくらい体力は落ちて行きます。
それは一段階段を降りて、私たちならすぐ上れる階段であっても、シニアの皆さんの階段の段差は
それはそれは大きいものなのです。
ワークは予定人数分の準備をします。
先月少なかったとしても、職員の方の努力で、今月は体験などの方もいるかもしれない。
人数が増えているかもしれない。
そう願いながら準備します。
でも時にそれが叶わず、当日行ってみてわかる人数
アートワークは楽しい場です。楽しい時間です!と声を大にして伝えても
子どもたちのように、アートワークで一つ新しい発見と出会い、翌月も更に発見があってと
目に見える右肩上がりのような、成長のようなものは、シニアの現場では難しい事です。
徐々に落ちて行く体力 少なくなる発語
だけれども今ある力を使い、少しでもその人らしさを表現してもらう。
表れるものは、その人の人生の深み 渋み 到底若輩ものでは描けない年輪を重ねたからこその色合い
そうして長く 長く生きて来たからこその寛大さやユーモア
介護が必要になったら何も出来ない人ではなく、
その人の培った心の豊かさは決して失われる事なない。
それがたった1本の線だったとしても。。それが一つの点だったとしても
アートワークの限られた時間の中で、その人のペースで出来る事を記して行く。
「生きている証」
その「証」に人の持つ豊かさ、喜びがあり、たくさんの静かな とても静かな感動があるのです。
その事をこれまでの経験でも十分に体験し味わい、だからこそ素晴らしいと伝えている私でしたが
「いつまで続くのだろう」「どこまでやればいいのだろう」
この答えの出る事のない質問は知らぬまに私の心の中に住み着いていたようでした。
それも、気づかぬうちに・・
私は今参加出来る方の人数分を準備をして当日を迎えました。
鯉のぼりが空を舞いました。
自分で地色の紙を選び、ぽんぽんと色を付けて、空に舞う元気なマイ鯉のぼりをデザインです。
木の先に丸くつけた綿を布で包み、持ちやすいようにたんぽにしてあります。
腕が動かしにくい方には、サポーターが「ぽんぽんポン!」と音頭を取ると
自然とシニアの方も口ずさみながら「ぽんぽんぽーん」
後で聞いたのですが、「90歳の元気をあげるわ」と一人の女性がおっしゃったそうです。
でも、実はこの女性100歳 10歳のサバは元気な証拠かもしれません。
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(100歳のこいのぼり)
視力が落ちている女性は、時間をかけてゆっくりゆっくり
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(地色の紺に映える色合いが素敵です)
そうして気がつくと、空にこれだけの鯉のぼりが・・・
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ここの所、認知症が進んでいる女性がこう言いました。
「みなさん 本当に素敵よ。いいわよ。うん。これいいわよぉ~」と笑顔と拍手です。
ワークのときはどこか集中してきれていなかったのですが、
最後の仕掛けにあっ!と驚き、自分の作品も皆さんの作品もこうして出来上がった合同画に
誰よりも大きな声で「いいわよ。いいわよ」と。
ワークの後に、サポーターのみんなが作品の最終仕上げをしてい行く様子を見ながら
私は自分が気づかぬうちに抱えていた答えのでない質問に実は苦しんでいた事に気づかされました。
仲間の誰よりもこの現場には長く携わっている自分
だからこそ知っている過去の賑わい
感じたくない人数減少の現実
「こんなに来てくれたねぇ~」と言葉にした途端、
私は涙があふれてしまいました。
この時はじめて「3名」だったあの日が猛烈に寂しくて、どこか悔しくて 切なくて やりきれなくて
どうしたらいいのだろう? 何をすればいいのだろう?
いつまでつづくのだろう? どこまでやればいいのだろう?
このまま終わってしまうのではないか?と不安を感じていた事に気づいたのです。
この日大慌ての準備で何らワークの流れも伝えられぬまま、
それでもサポーターのともっち、彩ちゃんの二人は全力でワークを支え
シニアのお一人お一人の力を引き出し、笑顔に寄り添っていてくれた。
実は口に出していないだけで、
サポーターのみんなも人数が減っている事を「どうしたら・・」と感じていてくれた。
だからこそ、これだけの元気な鯉のぼりが空を舞う様子に
うれしくてうれしくて みんなで泣きました。
涙でこいのぼりが滲みました。。綺麗・・・・・
そんなよわっちい私たちを 誰よりもいつも励ましてくれるのは
実はこうして来て下さる「シニアのみなさん」なのです。
励ましているつもりは全くないと思いますが、こうして「いいわよぉ~」とこの場を作品をみなさんを
大きな声で承認して下さる姿を通して、私たちは答えの出ない質問を少しクリアしていくように思います。
高齢になればなるほど、不思議です。
何か感覚が研ぎすまされているようで、私達の心もお見通しのようです。
もちろんこの日大勢の方がお越し下さった事に、施設の職員の方達の関わりがあったからこそです。
施設の方達も、ご入居者様が少しずつ体力をなくされ、介護が必要になっている方が増えている事を
私たち以上に感じている。
だからこそアートワークの場で、いつもと少しでも違う時間を過ごし、日常に変化を作り、四季を感じ、
メリハリを持つ大切さ、何よりも集中し、その人らしさがより溢れ、笑顔が出るこの時間を大切に思ってくれています。
私はこう以前伝えていた事を忘れていました。
「私たちの仕事は未来を作る仕事です」
高齢化社会の日本
どんな生き方をしていくか。どんな老後をすごしたいか。
アートを通して、いつまでもその人らしさが溢れるそんな世界を作り出す事
その人がその人らしく輝いている事は、おのずと周りに喜びが溢れていく。
それが私たちシニアアートセラピストの役割です。
その種を今撒けば、必ず大きく花が咲く
その結果をすぐに求めていた自分がいました。
諦めかけそうになった自分がいました。
こんな風に人は生きていくのですね。
一人では見つからない答えを、誰かと関わる事で答えを見つけ前に一歩踏み出して行く。
もしテストでこの質問があったのなら、白紙ではない自分が今はいます。
それは100点じゃないかもしれないけれど。
こうして味わった事を沢山沢山 誰よりも書ける自分がいます。
「いいわよぉ~」とシニアの方の笑顔が溢れた事を沢山書きます。
支え合える仲間とこんな事がありまして。。と沢山沢山書きます。
それが、50点しかとれなくても、いやいや12点かもしれないけれど、
私にとっては、それが私の精一杯の最高得点だと 今は思えます。
結局 シニアの皆さんにもらってばかり 仲間にもらってばかり
少しでもほんのわずかでも頂いたこのあたたかいものをわたしなりに
出会った方にお返しして行く事が今の私が見つけた「答え」です。
シニアアートワークの場は人と人が繋がる場
その人らしく輝き 笑顔 喜びに溢れる場
今日のブログは長くなりました。
最後まで読んでくださって
「ありがとうございました」
東京はまるっといいお天気です。やっと「春」の気温といった感じ。
陽が窓から差し込み、とても清々しい目覚めでした。(私にしては珍しい)
昨日のシニアワーク。私は大切な物をまたひとつ手にしました。
いや、もう既にあったのに、私はそれを少しだけ忘れていたのかもしれません。
シニアの現場をやっていると、ふっと襲って来る事があります。
それはもしかすると介護の仕事や、もしかすると介護する側の方も感じる事かもしれません。
「いつまで続くのだろう・・・」
それは「どこまでやればいいのだろう・・」
人間は、どこか贅沢で何か明確な答えを得たがり味わいたがるものかもしれません。
何か盛大なもの 形あるもの 結果が出るもの
今起こっている事 それだけでも十分に素晴らしいという事をすっかりと忘れてしまって。。
どんな事でも、生きているから味わえるのだという事も当たり前過ぎてどこか不満足で。。。
子どものクラスなどは一定の年齢制限があり、6歳~12歳までなら、12歳でクラスは卒業。
半年という制限があるのであれば、半年後には修了式。
ひとつの「節目」「区切り」があり、関わるだれもが一旦の完了が出来る。
「おんぎゃぁ~」と産まれて、節句や入園・入学式、卒業式 試験 成人式と沢山の節目があります。
そうして社会に出れば、場合によっては昇進、部署移動、転職、引っ越し、
更に結婚 場合によっては離婚も節目ですね。出産もそうかもしれません。
そして定年 還暦。。。。
その一つ一つで味わう事はそれぞれですが、自分の承認 祝福 喜び 新たな気持ち・・・
私たちの人生は必ずどこかで一旦の「節目」「区切り」があります。
シニアアートワークの現場では、新しく施設に入られた方が参加する事。
そうして完了があるとすると、それは「お別れ」の時がそれにあたるかもしれません。
この1年で私の現場に参加される方達が、一人 また一人と お別れが続きました。
すると何が起こるか。。参加者が減るという事です。
どなたでもいつでも参加出来る施設もあれば、
ご家族の了解や本人の希望を募って行う施設もあります。
参加人数が減ったのは後者の方でした。
3名・・
ある日のワークの人数です。
亡くなられた方もいた事もそうですが、
その日はたまたま皆様の体調が優れなかったから・・・というそれだけの理由と言えばそうなります。
だけれども、それまで10名越え 8-9名、そして5-6名・・少しずつ減っていく参加者。
介護を必要とされている皆さんです。
一つの出来事で健常な者では想像も出来ないくらい体力は落ちて行きます。
それは一段階段を降りて、私たちならすぐ上れる階段であっても、シニアの皆さんの階段の段差は
それはそれは大きいものなのです。
ワークは予定人数分の準備をします。
先月少なかったとしても、職員の方の努力で、今月は体験などの方もいるかもしれない。
人数が増えているかもしれない。
そう願いながら準備します。
でも時にそれが叶わず、当日行ってみてわかる人数
アートワークは楽しい場です。楽しい時間です!と声を大にして伝えても
子どもたちのように、アートワークで一つ新しい発見と出会い、翌月も更に発見があってと
目に見える右肩上がりのような、成長のようなものは、シニアの現場では難しい事です。
徐々に落ちて行く体力 少なくなる発語
だけれども今ある力を使い、少しでもその人らしさを表現してもらう。
表れるものは、その人の人生の深み 渋み 到底若輩ものでは描けない年輪を重ねたからこその色合い
そうして長く 長く生きて来たからこその寛大さやユーモア
介護が必要になったら何も出来ない人ではなく、
その人の培った心の豊かさは決して失われる事なない。
それがたった1本の線だったとしても。。それが一つの点だったとしても
アートワークの限られた時間の中で、その人のペースで出来る事を記して行く。
「生きている証」
その「証」に人の持つ豊かさ、喜びがあり、たくさんの静かな とても静かな感動があるのです。
その事をこれまでの経験でも十分に体験し味わい、だからこそ素晴らしいと伝えている私でしたが
「いつまで続くのだろう」「どこまでやればいいのだろう」
この答えの出る事のない質問は知らぬまに私の心の中に住み着いていたようでした。
それも、気づかぬうちに・・
私は今参加出来る方の人数分を準備をして当日を迎えました。
鯉のぼりが空を舞いました。
自分で地色の紙を選び、ぽんぽんと色を付けて、空に舞う元気なマイ鯉のぼりをデザインです。
木の先に丸くつけた綿を布で包み、持ちやすいようにたんぽにしてあります。
腕が動かしにくい方には、サポーターが「ぽんぽんポン!」と音頭を取ると
自然とシニアの方も口ずさみながら「ぽんぽんぽーん」
後で聞いたのですが、「90歳の元気をあげるわ」と一人の女性がおっしゃったそうです。
でも、実はこの女性100歳 10歳のサバは元気な証拠かもしれません。
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(100歳のこいのぼり)
視力が落ちている女性は、時間をかけてゆっくりゆっくり
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(地色の紺に映える色合いが素敵です)
そうして気がつくと、空にこれだけの鯉のぼりが・・・
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ここの所、認知症が進んでいる女性がこう言いました。
「みなさん 本当に素敵よ。いいわよ。うん。これいいわよぉ~」と笑顔と拍手です。
ワークのときはどこか集中してきれていなかったのですが、
最後の仕掛けにあっ!と驚き、自分の作品も皆さんの作品もこうして出来上がった合同画に
誰よりも大きな声で「いいわよ。いいわよ」と。
ワークの後に、サポーターのみんなが作品の最終仕上げをしてい行く様子を見ながら
私は自分が気づかぬうちに抱えていた答えのでない質問に実は苦しんでいた事に気づかされました。
仲間の誰よりもこの現場には長く携わっている自分
だからこそ知っている過去の賑わい
感じたくない人数減少の現実
「こんなに来てくれたねぇ~」と言葉にした途端、
私は涙があふれてしまいました。
この時はじめて「3名」だったあの日が猛烈に寂しくて、どこか悔しくて 切なくて やりきれなくて
どうしたらいいのだろう? 何をすればいいのだろう?
いつまでつづくのだろう? どこまでやればいいのだろう?
このまま終わってしまうのではないか?と不安を感じていた事に気づいたのです。
この日大慌ての準備で何らワークの流れも伝えられぬまま、
それでもサポーターのともっち、彩ちゃんの二人は全力でワークを支え
シニアのお一人お一人の力を引き出し、笑顔に寄り添っていてくれた。
実は口に出していないだけで、
サポーターのみんなも人数が減っている事を「どうしたら・・」と感じていてくれた。
だからこそ、これだけの元気な鯉のぼりが空を舞う様子に
うれしくてうれしくて みんなで泣きました。
涙でこいのぼりが滲みました。。綺麗・・・・・
そんなよわっちい私たちを 誰よりもいつも励ましてくれるのは
実はこうして来て下さる「シニアのみなさん」なのです。
励ましているつもりは全くないと思いますが、こうして「いいわよぉ~」とこの場を作品をみなさんを
大きな声で承認して下さる姿を通して、私たちは答えの出ない質問を少しクリアしていくように思います。
高齢になればなるほど、不思議です。
何か感覚が研ぎすまされているようで、私達の心もお見通しのようです。
もちろんこの日大勢の方がお越し下さった事に、施設の職員の方達の関わりがあったからこそです。
施設の方達も、ご入居者様が少しずつ体力をなくされ、介護が必要になっている方が増えている事を
私たち以上に感じている。
だからこそアートワークの場で、いつもと少しでも違う時間を過ごし、日常に変化を作り、四季を感じ、
メリハリを持つ大切さ、何よりも集中し、その人らしさがより溢れ、笑顔が出るこの時間を大切に思ってくれています。
私はこう以前伝えていた事を忘れていました。
「私たちの仕事は未来を作る仕事です」
高齢化社会の日本
どんな生き方をしていくか。どんな老後をすごしたいか。
アートを通して、いつまでもその人らしさが溢れるそんな世界を作り出す事
その人がその人らしく輝いている事は、おのずと周りに喜びが溢れていく。
それが私たちシニアアートセラピストの役割です。
その種を今撒けば、必ず大きく花が咲く
その結果をすぐに求めていた自分がいました。
諦めかけそうになった自分がいました。
こんな風に人は生きていくのですね。
一人では見つからない答えを、誰かと関わる事で答えを見つけ前に一歩踏み出して行く。
もしテストでこの質問があったのなら、白紙ではない自分が今はいます。
それは100点じゃないかもしれないけれど。
こうして味わった事を沢山沢山 誰よりも書ける自分がいます。
「いいわよぉ~」とシニアの方の笑顔が溢れた事を沢山書きます。
支え合える仲間とこんな事がありまして。。と沢山沢山書きます。
それが、50点しかとれなくても、いやいや12点かもしれないけれど、
私にとっては、それが私の精一杯の最高得点だと 今は思えます。
結局 シニアの皆さんにもらってばかり 仲間にもらってばかり
少しでもほんのわずかでも頂いたこのあたたかいものをわたしなりに
出会った方にお返しして行く事が今の私が見つけた「答え」です。
シニアアートワークの場は人と人が繋がる場
その人らしく輝き 笑顔 喜びに溢れる場
今日のブログは長くなりました。
最後まで読んでくださって
「ありがとうございました」
ようこ先生がこんなふうに伝えてくださることが、恵みです。
さっきお花見に利用者さんたちと出掛けたのですが、いつもいたはずのSさんが亡くなり、欠けたグループでご飯を食べました。
数十年仲良しだったTさんは小さなカレーしか食べられず、寂しくて胸がつまるから、とお話されてました。
そのぽかーんとしたやり場のない寂しさが、このブログでじんわり涙になりました。
まとまりませんが。。。ようこ先生ありがとうございます。
Tさん その事を話せてよかった。。
それをけいこちゃんが聞いてあげてよかった。
介護のお仕事していると、私なんかよりもっと沢山の寂しさを
きっと味わっていると思います。
そしてもっと沢山のよろこびを。
多分どちらも同じ量なのかもしれないのに
寂しさはここに留まり、喜びは風のように行ってしまうかのよう。
なぜそう感じてしまうのでしょうね。
読んでくれてありがとう。
その事がとってもうれしかったです。