泉心堂治療院

せんしんどうちりょういん

因縁:道の医学

2019年10月30日 | Weblog
『看病就是看縁』

恩師の郭先生は、常々『看病就是看縁』という言葉を口にされていました。

「看病」とは中国語では「病気を診る」という意味なので、

和訳しますと「病気を診ることとは縁を診ることである。」という感じの言葉になります。

その『縁』には患者さんとの「相性」という意味もかもしれませんが、

もう一つ、私はその人の持つ「因縁」を診るという意味のほうが大きいと思っています。


因縁とは、私の手元にある国語辞典によれば

①仏教用語:物事は全てその起源(=因)と果を結ばせる作用(=縁)によって定められているということ。転じて物事の持っている定まった運命

②理由、由来

③ゆかり、関係                

現在では、遺伝子を解析してその持主が将来どういう病気になりうるのかを推測することができるようになりました。

様々な病気に、遺伝性があるということはずっと以前から指摘されてきたことですが、

もし生まれた時点で、遺伝的に将来発症する病気を定められているとするならば、

これはまさに「因縁」としか言いようがありません。

遺伝子はいわば人体の設計図のようなもので、我々の細胞核の中に「染色体」として存在しています。

細胞はこの遺伝子の情報に従って様々な組織器官を形成し、最終的にひとつの人体を構成しています。


中国医学では、遺伝情報のような先天的要素を「先天の気」と呼んでいます。

つまり我々の身体は細胞一個一個のレベルで、両親から引き継がれた「先天の気」の影響を受けているのです。

そして将来発症する病気が遺伝子上で決定されているとしたら、

我々の細胞一個一個にまで「因縁」があるということになるでしょう。


また、中国医学では「先天の気」に対して「後天の気」という概念があります。

「後天の気」とは、気候、生活環境、飲食物、感情、人間関係等の様々な要因によって得られるものです。

それがプラス的であれマイナス的であれ、生まれてから現在までの〈環境、経験、習慣、行動、情緒等〉のすべてが、

「後天の気」として我々の精神、肉体に影響を与えているのです。

従って、我々は「先天の気」のプログラムだけで「現在の自分」となっているわけではないのです。

例えば、建物を建てるとき、設計図が優れていても、建材が粗悪だったり、工事がいい加減だったりしたら優れた建物とはなりません。

つまり、優れた設計図としての「先天の気」を両親から受け継いだとしても、

建材や工事という「後天の気」が十分でなければ、いずれは多くの問題を抱えてしまうと思われます。

逆に設計図としての「先天の気」に問題があったとしても、建材や工事技術という「後天の気」で補強することによって、

ある程度は問題の発生を防ぐか最小限に抑えることができるでしょう。


つまり、「因縁」とは先天的要素のみを言うのではありません。

後天的要素も「因縁」となるのであり、そちらの「因縁」の方が現在や将来に与える影響が大きいと思われます。

即ち、『看病就是看縁=病気を診ることは縁をみること』というのは、 

ある人が現在の状態に至るまでの環境、経験、習慣、行動、情緒等の

〈なにが・どのように〉「因縁」となっているのか・・・。

それ探ることが『病気を診ること』ということを私の師は言いたかったのだと思います。

但し、その「因縁」は一つだけとは限りません。

というよりも必ず複数存在するといったほうが適切でしょう。

それをからみあった糸を解きほぐしていくように、現在との関わりを明らかにしていくのが中国医学の『診方』なのです。


そして、この「縁を診る」とは、言い換えれば「道を探る」ことだと思います。

過去から現在に至る道とその起源。

現在から未来へとつながる道とその方向、行き先。

道の医学の実践にあたって非常に重視されることです。