今日、一番信頼している友人からメールの返信がありました。その中に、友人の知人が病気で亡くなったらしい
のですが、もう、長くないと告知されたその方は、こう言ったそうです。
病気になったら負け組なのよ
と…。友人も持病があり、病院に通院しています。でも、本当に、病気になったら負け組なんでしょうか?
病気と言っても、病気の種類や病状の段階、つまり、初期か深刻な状態かによって違うと思います。
でも、病気は、老若男女、年齢にかかわらず、かかるもののはずです。治療法がある病気なら治療すればいい。
ただ、重症の場合は、心身共に疲れ切ってしまうことが多く、ストレスから精神的に参ってしまう人も多いです。
だけど、「病気になったら負け組」という言葉には、正直、共感できないのです。深刻な病状で治療方法もない
難病になったとしても諦めずに頑張ってる患者さんは、いくらでもいるはずです。そういう人たちが、精神的に
強いかと言うと、必ずしもそういうわけではありません。当然、落ち込んだり、悩んだり、自暴自棄になって
死んでしまいたいと思うこともあると思います。実際、余命宣告をされて絶望してしまい、自殺された患者さんも
いるでしょう。でも、私の知人は、難病と言われている重度の膠原病を患っていますが、大変な思いをしながらも
闘病生活を元気に送っています。その知人から
こんな病気になったから負け組だ
なんて言葉を聞いたことは一度もありません。心配して電話すると、すごく明るくて、かえって、私の方が
励まされて元気づけられてばかりです。知人の病状も、娘さんに聞いてみると、あまり思わしくないようです。
それでも、あっけらかんとして明るくしています。全く悲壮感なんて感じさせないんです。どんどん病状が悪化
していても希望を持ってるんですよね。私も、20代前半に、かなりひどいうつ病になってしまい、正直、何度も
死にたい!!
生きている意味が解らない!!
私なんか生きてる価値なんかない!!
そう思い続けながら何年も生きてきました。その何年かのうちに何度か自殺未遂をしたこともあります。
でも、こうして、私は生きてます。今の私には、ハッキリ言って政治家がよく口にする
明るい未来
明るい将来
というものが、全く見えない状態です。10年以上、カウンセリングや薬物療法で、やっと、自分の忌まわしい
過去から解放されて
心の自由
を得たいと考え始めてます。今まで、いろんなものに縛られて身動きができなかった生活を何年もしてきましたから、
これからは、心の自由を手に入れて、自分の思い通りに、やりたいことをやれる人生を自分の足で歩いていきたいと
考えています。それでも、まだ、手に入れたい『心の自由』を得られていません。『心の自由』を手に入れるまでに
ぶち壊さなければならない壁や障害物がたくさんあるから…。だけど、生きてるうちに、必ず、この『心の自由』を
手に入れるつもりです。『心の自由』を手に入れた先にある今まで見たことのない風景を見たいから…。だから、
私は、諦めるつもりはないのです。私は、うつ病だけでなく、体の病気、つまり、起立性低血圧に肝機能が弱く、
普通の人より疲れやすい体質です。これは、子供の頃からでした。起立性低血圧だと分かったのは、3、4年前の
ことで、それまでは、ただの貧血と言われ続けていました。元々、血圧が低かったことも理由の一つでした。
体調が悪い時に無理すれば、起立性低血圧で意識を失って倒れてしまいます。外出する時も、いつも、
今日は、倒れたりしないかな?
と不安を感じながら外出していました。健康な人には、きっと、そんな気持ちを理解することはできないでしょう。
でも、だからと言って、私は、自分が『負け組』だと考えたことは一度もありませんでした。もちろん、友人の
知人のように余命宣告をされるような病気ではありませんから…。ただ、その一方で、完治する治療法がない
膠原病になった私の知人は、自分が『負け組』だなんて、これっぽっちも考えていないんですよ。これは、
人それぞれの考え方次第なのかもしれません。友人の知人は、余命宣告をされて3年で亡くなるまで自分のことを
自分でできず情けないと感じていて、とても惨めだと感じていたそうです。でも、私の知人は、自分のことを
自分でできなかったとしても惨めだとは、これっぽっちも感じてないんですよ。病気なんて、誰だってなる可能性は
あるはずです。
自分は若いから大丈夫!!
と考えている人が多いと思いますが、そんなことありません。実際、私の妹は、幼稚園に入って半年で重い病気に
かかり、1年半も入院生活をした挙句、病状が進んでしまい、結局、担当医からサジを投げられて、余命半年と
言われ、家に帰されて「やりたいことや好きなことをやらせてあげてください。」と言われたそうです。でも、
通院だけは続けていたら、それまで、内臓までそこまで症状が進んだら助かったことがなかったのに、妹は、
なぜか、完治してしまったんです。今では、病気らしい病気をしないくらい健康です。もちろん、友人の言いたい
ことも理解できないわけではありません。友人も、今の持病と一生付き合っていかなければならないので、余計、
そう考えてしまうのでしょう。でも、
病気=不幸
と考えるのはどうかと考えてしまうのは私だけでしょうか?病気になったら、本当に『負け組』なのかな?
私は、そう思わない。なぜかというと、病気を抱えてるからこそ、自分の弱さを感じることができるし、
その弱さを克服した時、他の人が同じ思いで弱ってる時に、どんな言葉がその人を励ましたり、慰めたり
できるかが判るからです。これは、健康な人には、絶対、できないことです。健康な人には、ありきたりの
言葉しか言えませんからね。病気を抱えてる人の悩みを理解することなんてできません。だから、病気を
抱えてる人は不幸ではないと思ってますし、負け組でもありません。もし、今、難病やつらい治療をして
いて人の力を借りなければ生活できない自分を情けないとか自分は生きてる価値なんかないと感じてる人が
いたとしたら、考え直してほしいと思います。だって、なんだかんだ言いながら、つらい闘病生活をしながら
病気と闘ってるじゃないですか!!病気に立ち向かってるじゃないですか!!人は、いつか、必ず、死にます。
でも、その「死」を迎えるまで、
どう生きるか?
が問題なのではないでしょうか?何となく、友人のメールを見て、こんなことを感じた愛里でした。
のですが、もう、長くないと告知されたその方は、こう言ったそうです。
病気になったら負け組なのよ
と…。友人も持病があり、病院に通院しています。でも、本当に、病気になったら負け組なんでしょうか?
病気と言っても、病気の種類や病状の段階、つまり、初期か深刻な状態かによって違うと思います。
でも、病気は、老若男女、年齢にかかわらず、かかるもののはずです。治療法がある病気なら治療すればいい。
ただ、重症の場合は、心身共に疲れ切ってしまうことが多く、ストレスから精神的に参ってしまう人も多いです。
だけど、「病気になったら負け組」という言葉には、正直、共感できないのです。深刻な病状で治療方法もない
難病になったとしても諦めずに頑張ってる患者さんは、いくらでもいるはずです。そういう人たちが、精神的に
強いかと言うと、必ずしもそういうわけではありません。当然、落ち込んだり、悩んだり、自暴自棄になって
死んでしまいたいと思うこともあると思います。実際、余命宣告をされて絶望してしまい、自殺された患者さんも
いるでしょう。でも、私の知人は、難病と言われている重度の膠原病を患っていますが、大変な思いをしながらも
闘病生活を元気に送っています。その知人から
こんな病気になったから負け組だ
なんて言葉を聞いたことは一度もありません。心配して電話すると、すごく明るくて、かえって、私の方が
励まされて元気づけられてばかりです。知人の病状も、娘さんに聞いてみると、あまり思わしくないようです。
それでも、あっけらかんとして明るくしています。全く悲壮感なんて感じさせないんです。どんどん病状が悪化
していても希望を持ってるんですよね。私も、20代前半に、かなりひどいうつ病になってしまい、正直、何度も
死にたい!!
生きている意味が解らない!!
私なんか生きてる価値なんかない!!
そう思い続けながら何年も生きてきました。その何年かのうちに何度か自殺未遂をしたこともあります。
でも、こうして、私は生きてます。今の私には、ハッキリ言って政治家がよく口にする
明るい未来
明るい将来
というものが、全く見えない状態です。10年以上、カウンセリングや薬物療法で、やっと、自分の忌まわしい
過去から解放されて
心の自由
を得たいと考え始めてます。今まで、いろんなものに縛られて身動きができなかった生活を何年もしてきましたから、
これからは、心の自由を手に入れて、自分の思い通りに、やりたいことをやれる人生を自分の足で歩いていきたいと
考えています。それでも、まだ、手に入れたい『心の自由』を得られていません。『心の自由』を手に入れるまでに
ぶち壊さなければならない壁や障害物がたくさんあるから…。だけど、生きてるうちに、必ず、この『心の自由』を
手に入れるつもりです。『心の自由』を手に入れた先にある今まで見たことのない風景を見たいから…。だから、
私は、諦めるつもりはないのです。私は、うつ病だけでなく、体の病気、つまり、起立性低血圧に肝機能が弱く、
普通の人より疲れやすい体質です。これは、子供の頃からでした。起立性低血圧だと分かったのは、3、4年前の
ことで、それまでは、ただの貧血と言われ続けていました。元々、血圧が低かったことも理由の一つでした。
体調が悪い時に無理すれば、起立性低血圧で意識を失って倒れてしまいます。外出する時も、いつも、
今日は、倒れたりしないかな?
と不安を感じながら外出していました。健康な人には、きっと、そんな気持ちを理解することはできないでしょう。
でも、だからと言って、私は、自分が『負け組』だと考えたことは一度もありませんでした。もちろん、友人の
知人のように余命宣告をされるような病気ではありませんから…。ただ、その一方で、完治する治療法がない
膠原病になった私の知人は、自分が『負け組』だなんて、これっぽっちも考えていないんですよ。これは、
人それぞれの考え方次第なのかもしれません。友人の知人は、余命宣告をされて3年で亡くなるまで自分のことを
自分でできず情けないと感じていて、とても惨めだと感じていたそうです。でも、私の知人は、自分のことを
自分でできなかったとしても惨めだとは、これっぽっちも感じてないんですよ。病気なんて、誰だってなる可能性は
あるはずです。
自分は若いから大丈夫!!
と考えている人が多いと思いますが、そんなことありません。実際、私の妹は、幼稚園に入って半年で重い病気に
かかり、1年半も入院生活をした挙句、病状が進んでしまい、結局、担当医からサジを投げられて、余命半年と
言われ、家に帰されて「やりたいことや好きなことをやらせてあげてください。」と言われたそうです。でも、
通院だけは続けていたら、それまで、内臓までそこまで症状が進んだら助かったことがなかったのに、妹は、
なぜか、完治してしまったんです。今では、病気らしい病気をしないくらい健康です。もちろん、友人の言いたい
ことも理解できないわけではありません。友人も、今の持病と一生付き合っていかなければならないので、余計、
そう考えてしまうのでしょう。でも、
病気=不幸
と考えるのはどうかと考えてしまうのは私だけでしょうか?病気になったら、本当に『負け組』なのかな?
私は、そう思わない。なぜかというと、病気を抱えてるからこそ、自分の弱さを感じることができるし、
その弱さを克服した時、他の人が同じ思いで弱ってる時に、どんな言葉がその人を励ましたり、慰めたり
できるかが判るからです。これは、健康な人には、絶対、できないことです。健康な人には、ありきたりの
言葉しか言えませんからね。病気を抱えてる人の悩みを理解することなんてできません。だから、病気を
抱えてる人は不幸ではないと思ってますし、負け組でもありません。もし、今、難病やつらい治療をして
いて人の力を借りなければ生活できない自分を情けないとか自分は生きてる価値なんかないと感じてる人が
いたとしたら、考え直してほしいと思います。だって、なんだかんだ言いながら、つらい闘病生活をしながら
病気と闘ってるじゃないですか!!病気に立ち向かってるじゃないですか!!人は、いつか、必ず、死にます。
でも、その「死」を迎えるまで、
どう生きるか?
が問題なのではないでしょうか?何となく、友人のメールを見て、こんなことを感じた愛里でした。