~ SERENE SKY ~

流風香(るうか)の日々の日記や好き勝手な自己主張、呟きを書いていくブログ♪

死ぬほど嫌いだった父親の急死

2013-05-10 | 日記・画像日記
今朝、父親が急死しました。今朝… というより、正確には、今日の夜中、12時半頃に心筋梗塞の発作で
死んでしまいました。

なぜ、今朝なのか…?

発見したのが今朝でした。ゴルフに行く予定なのに父親が来ないと言うことで携帯にゴルフ仲間から電話が
あり、母親が寝室に入ったら、家具とベットの狭い隙間にうつ伏せになって倒れている父親を発見した…
というのが、今朝の出来事です。そして、母親の

お父さんが大変!!
○○ちゃん!!○○ちゃん!! (←私の名前)

と言う声で父親の寝室に行くとうつ伏せになって倒れている父親のそばでパニック状態で泣きわめく母親が
いました。うつ伏せになって倒れている父親の頭の部分から上にかけて血だまりもできていました。

なんで、お父さんが、こんなことに…

お父さんの体が冷たくなってる

と言いながら、泣きわめく母親をよそに、ただ事ではないと感じた私は自分の部屋に戻り、急いで、119番へ
電話して救急車を呼びました。その時は、ただ、父親の意識がないと119番に伝えると救急車が到着するまで
心臓マッサージをするようにと言われ、何とか、仰向けにしようとしても大人1人が通れるくらいしか隙間が
なかったため仰向けにできないと伝えると仰向けにできるような広いところに移動して心臓マッサージをする
ように言われ、母親に移動するために父親の足を持つように言っても、完全にパニック状態の母親は

そんなことできない!!

と言って、ただただ、泣くだけで協力してもらえず、結局、私は、父親の足首を持って広いところまで引きずって
行き、私一人で、何とか、仰向けにすると鼻から下は血まみれで畳に着いてた部分は青あざのようになっており、
他の部分は土気色でした。それでも、もしかしたら、意識を取り戻すかもしれないと思い、

お父さん!!お父さん!!

と叫びながら、心臓マッサージを必死にやってる自分がいました。まともに、父親の顔を見ながら『お父さん!!』
と呼んだのは、もう、5、6年ぶり(それ以上かも?)だったように思います。そして、パニック状態の母親には、
救急車のサイレンが聞こえたら誘導するように指示しながら、心臓マッサージをしてましたが、5分もしないうちに
全身汗だくでした。ここ数週間、体調不良に不眠状態だったので救急車が来て救急隊員の人たちが来たときは、
もう、立ち上がれないほどフラフラでした。廊下の壁に座り込んでいると救急隊員の方から、こう言われました。

もう、亡くなられています
恐らく、息を引き取ってから5、6時間経ってると思われます

と…。そして、全く変化のない横一直線の心電図を見せられました。結局、私の『お父さん!!』という声は父親の
耳に届かないままになってしまいました。そして、自宅で亡くなったということで警察が事件性がないかどうかを
調査するために来ますと救急隊員の方に言われ、警察が来るまでの間、救急隊員の方たちは外の救急車の中で
待っていたため家の中には、ただただ、パニック状態で泣き崩れる母親と二人だけにされてしまい、警察が来るまでの
時間が長く感じました。とりあえず、パニック状態の母親の背中を叩きながら『大丈夫?』と言いながら、これから
どうすればいいか?を冷静に考えている自分がいました。うつ病の最大の原因だった父親が亡くなったら、きっと、
踊り出すほどうれしいと思うだろうと考えていましたが、いざ、こんな風にあっけなく死んでしまうと、うれしいとか
喜びもなく、母親のようにパニック状態になってショックと悲しみを感じることもありませんでした。ただただ、
自分でも怖くなるほど冷静沈着に

これから、何をしなければいけないのか?

を考えていました。母親のパニック状態が治まったのを見て、私一人だけでは母親の面倒を見きれないと思った私は、
妹に電話し、父親が亡くなったことと母親がパニック状態で私一人ではどうにもならないから… と言って、すぐに
実家に来るよう伝えると、すぐに行くと言って電話を切りました。その後も、まだ、警察は到着せず、パニック状態の
母親と二人だけの時間が、ずっと続いたように思います。やっと、警察が来たのでいろいろと事情聴取が始まると
私も、少し緊張が解けたせいか、めまいと胸の息苦しさを感じるようになり、刑事さんに、気分が悪いと伝えて、
ソファに座らせてもらいながらの事情聴取となりました。9時半頃、妹が到着し、現場検証と事情聴取が11時半ごろまで
続きました。警察が依頼した死亡診断書を書いてもらう医師によると死亡推定時間は、私が、お風呂に入ってる時に

ドスン!!

という音が上からした時刻が12時半だったのですが、その音が、恐らく、父親が心筋梗塞の発作を起こしてベットから
畳に落ちたと思われる時間だろうということでした。死後硬直の状態から時間的に合致するとのことでした。ただ、
12時半という時刻だと命日がはっきりしないため、死亡診断書の死亡時刻は午前1時ということになっています。
また、血だまりについては、発作を起こして意識がない無防備な状態で畳に落ちたため、顔面を強打したことにより
鼻の血管が切れたか鼻の骨が折れたかのどちらかの理由で、息を引き取った後も鼻血が止まらなかったため血だまりが
できたと思われるとのことでした。そんな説明を聞いた後、死亡時刻から考えると約半日、遺体を放置したことになる
ため、担当の刑事さんから、なるべく早く、葬儀屋さんに来てもらって処置してもらった方がいいと言われました。
今日は、今年初の夏日になると昨日の天気予報でもやっていたので、遺体の腐敗の進み具合も早いためだと思います。
近所の葬儀屋さんを調べるとなると時間がかかりそうだったので刑事さんにいい葬儀屋さんを知らないか聞いてみると
3件ほど紹介してもらえました。なぜ、こんなことをしたかというと、突然、家族を亡くしたりすると葬儀屋さんに
ボッタクられることがあるので気を付けた方がいいと言う話を聞いたことがあるからです。同じことを刑事さんにも
言われ、とりあえず、3件の葬儀屋さんを紹介するので、それぞれの葬儀屋さんから見積もりを取ってから検討する
ようにとアドバイスをいただきました。

警察が帰った後が、もう、慌ただしい時間がやってきました。葬儀屋さんに電話してみると2件しか連絡が取れず、
とりあえず、2ヵ所の葬儀屋さんに見積もりを持ってくるよう頼み、妹と手分けして親戚や今日、ゴルフに行く予定
だったゴルフ仲間の方に父親が亡くなったことを知らせ、交友関係が、私たち家族は、全く知らなかったため、その
ゴルフ仲間の方に連絡をしていただきました。一番問題だったのは、父親の勤務先を母親も知らなかったことでした。
今日は、幸い、休みだったので会社に迷惑をかけずに済みましたが、明日は、シフトが入っていました。なので、
今日中に連絡をしないと勤務先に迷惑をかけることになるため、父親が生前一番仲よくしていたゴルフ仲間の方に
電話して勤務先を知らないか聞いてみると勤務先の連絡先は知らないけど、仕事場は知ってるとのことだったので
現場に行って連絡先を聞いてもらって、初めて、勤務してる事務所の連絡先が分かり、何とか、電話して連絡する
ことができました。しかも、葬儀屋さんが来る前に死亡診断書が必要だと言うことだったので妹に頼むと、何と
死亡診断書を取るのに…

5万円もかかる!!

という新事実が発覚…。死亡診断書って、

そんなに高いんかい!!

って感じですよね。ビックリです。死亡診断書を取りに行ってもらってる間に、近くに住んでいる親戚がうちに
来てくれました。冠婚葬祭に詳しい叔父や叔母たちがいた方が葬儀屋さんを決めるのにも助かるのでありがたいし、
葬儀屋さんとの相談をするのに母親の面倒を見てもらえる人が多ければ多いほど助かりますからね。1件目の
葬儀屋さんの見積もりでは、大体、100万から150万ということでしたが、2件目の葬儀屋さんでは家族葬と言う
形だと100万以内で済むことが分かり、2件目の葬儀屋さんに頼むことに、即決!!妹が死亡診断書を持って帰って
きたら、すぐに、ドライアイスの入った棺の中に遺体を入れてもらいました。本来なら、白いシーツをひいた布団の
上に遺体を寝かせるのが普通ですが、遺体の傷みが激しいため、ドライアイス入りの棺に、即、入れることに
なりました。棺に入った父親の顔は、きちんと化粧してたので綺麗になっていましたが、どうしても、私は、その
父親の顔が、心臓マッサージをするために仰向けにした時の父親の顔が重なってしまい、まともに父親の顔を見る
ことができませんでした。そして、足袋や草履などを履かせる儀式などもできませんでした。全て、母親と妹に
やってもらいました。その後、お通夜と告別式の打ち合わせで忙殺されて、休む暇もなく、次から次へと決める
ことが山積みでした。身内が死ぬと、こんなに決めなきゃいけないことがあるのか… と、改めて、葬儀を仕切る
ことの大変さを感じた一日でした。全て決めた後、葬儀屋さんが帰ってから親戚の叔父と叔母たちと他のことで
相談などをして夜8時半頃に親戚たちも帰っていきました。もう、その後は、疲れ果ててグッタリ…。とりあえず、
お通夜は12日、告別式は13日に決定しました。その後になると友引が入るので14日がお通夜となってしまうため、
1日空けて12日のお通夜にすることにしました。自宅での葬儀は狭すぎて、とてもじゃないけど無理なので祭儀場を
借りることにしました。明日も、葬儀屋さんがドライアイスの交換に来ることになっているので気が抜けません。
今日は、今まで生きてきた中で一番大変な一日でした。