最近、メンタル用語を安易に使う人たちに対して、ものすごく、違和感を感じる流風香。
何だろうなぁ… ブログなんかでも、よく「毒親」という言葉が出てくるようになった。
きっと、虐待事件などが起きたことで「毒親」とか「虐待親」という言葉が浸透してきたからだとは思う。
もちろん、そういう親はいます。実際、流風香の両親二人とも、毒親であり、虐待親だったからね。
でもね… そういう親に育てられたからこそ感じる違和感。
それって、毒親?
虐待親?
って感じるようなことを虐待だの毒親だのとブログに書いている人がいるのです。流風香からすると…
それって、親の行動として普通じゃない?
と思うようなことでも、なぜか、毒親、虐待親と主張している人がいます。ただ、そのブログの一部を読んだだけではわからないことも多いため、時間があれば、過去ログを読んだ上で判断しているのですが、それでも…
う~ん…
それって、本当に、毒親って言うのかな?
って感じる記事があるのですよ。そして、流風香の身近で知り合った人でも、恋人に頼られすぎて重いと感じると…
依存するな!!
これじゃ、共依存だろ!!
と怒る人もいました。でもね、母親と共依存関係にあった流風香からするとね…
たぶん…
それって、共依存ではないと思う…
それは、ただ単に、相手が優柔不断なかまってちゃんなだけだと思うんですよ。共依存関係にあるのは、自分で何もできないと思っている人を自分の思い通りに支配したい人が、相手の選択を相手ではなく、自分が決定して相手の人生を自分の思い通りにしないと気が済まない、そして、支配されてる人は、それが当たり前だと感じていて、生きづらさを感じつつも、その方が楽だから、それにしたがって生きているというお互いに依存しあう関係の人たちの歪んだ関係のことを言うのですよ。だから、ちょっと、頼られすぎて重いと言って嫌がっているということは、相手と自分の境界線がハッキリしているわけだから、共依存関係にあるわけではないのです。だけど、なぜか、こういうメンタル用語を使いたがる若い人が多いのは、なぜでしょうか?情報が氾濫しているネットで自分と相手の関係に当てはまると考えたのか…。しかも、共依存関係にある当事者たちは、全く自覚がないことが多いのです。だから、当事者が、そういう言葉を口にしていることに違和感を感じるし、それは、「毒親」とか「虐待親」という言葉を使う人にも感じます。こういう言葉を使えば…
ブログを見てくれる人が増えるからなのかな?
とも思う。だけど、深刻な共依存関係に悩んだり、虐待親であり毒親である母親との関係に悩んでいる流風香からすると…
簡単に、そういう言葉使わないでもらいたい
と思ってしまう。理由は、普通の家庭(普通に愛情を受けて育った)で育っていて、いわゆる、世代間の価値観や考え方の違いをお互いが受け入れられず、それで、親子関係が悪くなっただけなのに、自分たちが話し合う努力もせずに…
毒親
と決めつけるのは
いかがなものか…
と思うんですよね。だから、最近では…
毒子
という言葉まで出てきてしまった。これは、何でも、親の責任にしてやりたい放題の子供のことだそうです。ハッキリ言って、安易に、こういうメンタル用語を使われるせいで、本当に、虐待親や毒親に悩まされている子供が…
本当は、あなたの方が毒子なんじゃないの?
と言われてしまう状況も出てきています。正直…
迷惑…(怒)
ブログの中には、本当にひどい虐待や毒親からの搾取に遭って、今も苦しんでいる人も多いのです。そういう人たちを追い詰めるような原因を作るようなことはやめてほしいと言うのが、流風香の今の気持ちです。ただでさえ、虐待親を持つ子供は、ずっと…
育ててくれた親を悪く言うなんて…
という世間の冷たい言葉に傷ついているんです。そういうことを言われて、説教されて、ただでさえ、うんざりしてるんですよ。もう、これ以上、メンタル用語を乱用してもらいたくないです。本当に深刻な状況で悩んでいる人がバカを見るような状況を作らないでほしいです。そして、この世間の常識というのが、虐待を見逃す原因になっていると思います。というのも…
親は、子供のためを思って厳しいことも言うもの
子供は、どんな親でも慕うもの
こういう親子であれば、絆と言う名目で、何でも許される… と言うような空気があると思う。そして、そういう常識が、事件になっている心愛ちゃんの父親に児童相談所が強く拒否できなかった理由ではないかと思う。そして、子供の中には、両親からひどい仕打ちを受けても慕う… というより…
将来への不安
から親の元に留まることを選ぶこともあるのではないかと思う。なぜなら、流風香が、そうだったから…。流風香は、父親から怒られるたびに…
施設に入れるぞ!!
と脅されながら育ちました。つまり、常に、親から見放されるという不安が付きまとうわけです。子供ながらに考えましたよ。施設に入った方が安心できるのか、それとも、このまま、我慢してでも、将来、やりたい仕事に就くために、親から見放されないようにした方がいいのか…。流風香は、親を利用することを選びました。こんな親だったとしても、とりあえず、学校には行ける。だから、その選択をした。だけど、心愛ちゃんの場合は、学校にも行けなかった。それでも、親の元に帰りたかったのは、親を慕う… と言うよりは、不安の方が大きかったからではないかと流風香は思います。子供の頃って、親に見放されたら、どこに行けばいいか分からないですよね?しかも、大人たちに全て勝手に決められたら、その通りにしないと生きていくことが出来ません。それは、虐待親の元に育った子供も同じです。しかも、暴力を受けていれば、正常な判断なんて怖くてできません。それを考えると、学校のアンケートに父親の暴力のことを書いた心愛ちゃん自身、どれだけ勇気が必要だったことか…。流風香からすると
心愛ちゃん、頑張ったよね…
って言ってあげたいです。それくらい、恐怖心と不安、そして、親への裏切り行為かもしれないという気持ちの葛藤の中で書いたのではないかと思うのです。親元に帰りたいと言ったのも、もしかしたら、心愛ちゃんの中に…
大好きなお父さんとお母さんを裏切ってしまったという罪悪感
から児童相談所の人に親元に帰りたいと言ってしまったのかもしれません。それが、本心でなかったとしても…。でも、普通の家庭に育った人には、その心愛ちゃんの言葉は…
親を慕う子供の言葉
という美化されたものにすり替わってしまうのです。それは…
子供は、どんな親でも慕うもの
という勝手なフィルターを通して見た言葉でしかありません。そして、世間で児童相談所の対応が叩かれているけど、実際、虐待親や暴力をふるう親と言うのは普通ではありません。流風香の父親にしても、とにかく、大声で怒鳴って、相手を怯えさせる。そして、相手を黙らせ、自分の思い通りにする人でした。特に、父親は、暴力的な人でしたから、どう考えても普通ではありません。そういう人を相手にするのは…
普通の人である児童相談所の人
ですよね?暴力振るわれそうになっても守ってもらえません。虐待親に強く出るための法的手段はあっても、暴力から事前に守ってくれる力は児童相談所にはないんです。だから、恫喝されたり、脅迫まがいのことをされたら、怖くて言いなりになったとしても不思議ではないと流風香は考えます。ただ、その後の処理の方法や対応に関しては、疑問の残るところではありますが、世間の人たちに知ってもらいたいのは、とにかく…
虐待親は、普通の考えや価値観は通用しない
ということを、頭の片隅でもいいので置いといてもらいたいと思うのです。だからこそ、虐待親は、自分が虐待しているという自覚がないんですよ。普通の価値観や考え方ではないし、しかも、自分自身は、教育やしつけの一環としてやっているだけだと思ってるから…。父親も、そうでしたけど…
家族は、自分の所有物
と思ってました。だから、
自分が家族を蹴ろうが、殴ろうが、自分の所有物だから俺の自由だ!!
乱暴に扱っても、教育やしつけなんだから、文句言われる筋合いはない!!
そんな感じの考えの人でしたね。例えば、高いボールペンを買っても、どんな使い方をするかは買った人の自由ですよね?高かったとしても、乱暴に扱っても文句言われる筋合いはありまあせん。それと、同じ感覚で、家族を扱っているんです。しかも、お金を稼いで養っているのは父親です。
俺が金稼いで養ってやるんだ!!
お前ら、俺の言うこと聞かなかったら分かってるよな?
こんな感じ…。児童相談所に保護されると親が怒鳴り込んできますよね?さっきの例えの高価なボールペンでいうと、乱暴に扱ったとしても、そのボールペンの所有権は買った人にありますし、それを、誰かが断りもなく持っていけば、それは、窃盗になります。虐待親も、児童相談所に子供を連れて行かれたら…
子供を盗まれた
と感じるわけです。つまり…
俺のものを勝手に持っていきやがって!!
この泥棒が!!
という感覚しかないので、怒り狂って怒鳴り込んでくるんです。なぜ、怒るのか分かりますか?自分に従い、ストレス発散できる相手がいないとストレスを抱えたままになり、自分自身の存在意義がなくなるからです。少なくとも、流風香の父親は、そういう人でした。母親は、共依存関係にある従うだけ、父親に決められたまま生きるだけの人で、父親から「お前は、自分一人では何もできないくせに!!」と言われ続けて、自分は何もできない人間だから従うしかない、そう父親に洗脳され、父親が亡くなった後も、生前言われていたことを守り続けて生きています。父親がいないのであれば、自由にやればいいのに… と思うでしょうけど、DVやモラハラが普通の生活になり、洗脳され続けた結果が、今の母親です。自分自身で考えると言うことが、全くできなくなっています。おそらく、心愛ちゃんの母親も、流風香の母親と同じ状態ではないかと思います。考えられないということは、理不尽なことを言われていても理不尽なことではないか?と考えることができないということなんです。だから、従ってしまう。そして、子供は、虐待され続けるし、子供が暴力を受けている間、母親が暴力受けることはない。だから、所謂、子供をスケープゴート(生贄)にして、自分は、父親の暴力から逃れようとするのです。
母親なのに助けないなんて!!
世の中の人は、簡単に言いますけどね、凄まじい暴力を何度も受けていると、どうしても…
助かりたい
という気持ちが出てきます。そして、子供が犠牲になっている間、自分は無事なのであれば見て見ぬフリをしようとする、それは、ただ単に、生存本能が機能した結果ではないかと思います。これは、実際、流風香自身にも起きていたことでした。子供の頃、流風香は、父親の暴力を受けている時、母親が助けてくれたり、かばってもらった記憶はありませんし、父親の暴力でできた傷の手当すらしてもらったことはありません。傷の手当なんてしたら、父親の逆鱗に触れるかもしれないからね。なので、母親が助かるためには仕方なかったから母親を許しているのかと言われたら、許す気なんてサラサラありません。でも、同時に、それが、母親である前に一人の人間としての弱さなのかもしれないとは思います。そして、流風香自身、どうしたら、両親のような人間にならずに済むのか、ずっと、ずっと、悩んできた。たぶん、流風香と同じように虐待親や毒親に育てられた人たちも同じように悩んでるだろうし、思うようにコミュニケーション取れずに困ってるんじゃないかと思います。だから、流風香は、子供を産みたいと思わなかったんだよね。母親のように、自分を守るために子供を犠牲にするような母親にはなりたくなかったし、かと言って、子供に普通に愛情を注げるか?と考えると…
絶対、無理!!
って思うから…。正直、この年齢になっても、自分の選択が間違っていたとは思ってません。子供を産まない女性は、少子化に貢献していないと批判されますけど、身体的な原因がなくても、親になる自信がなくて子供を産まない選択をする女性だっているわけです。そういうことを知りもしないで…
生産性がないとか言われてもなぁ…
って思う流風香です。だって、虐待死するニュースが報道されると…
こんな奴は、子供産む資格なし!!
ってSNSとかで言われるんですよね?流風香のように、子供はほしくないと思えればいいけど、中には、家族の温かさを知らずに育ったからこそ、自分で温かい家庭を作りたい、自分の家族を作りたいと思う人がいてもいいと思う。でも、その中で、必ず、弊害は出てくる。それを、誰が、どうフォローすればいいのか?を考えることの方が先でしょ?って思うんだけどな。批判だけするのは簡単。その対策を考えるのは、とっても、難しい。なぜって…
普通の人には分からないことだから…
だから、的外れなことばっかりやってるわけでしょ?少なくとも、流風香の目から見たとき、世間の人たちの言葉は、とても、無責任で感情的に批判しているだけにしか感じられません。虐待親に育てられた子供たちは同情がほしいわけではありません。
助けてほしいときに「助けて!!」と言える大人がほしいんですよ!!
助けの手を進んで差し伸べてくれる人がほしいんです!!
でも、自己責任と言う言葉で無関心がはびこってる今の日本に、そんなことしてくれる大人が、どれだけいるのだろうか?という疑問しかありません。これが、虐待親に育てられながら生き延びた流風香が感じていることです。ニュースやブログを見るたびに感じている違和感… その理由を書いてみました。少しでも、考えてもらうキッカケになればいいなぁ… と思いつつ、書いてみた。
何だろうなぁ… ブログなんかでも、よく「毒親」という言葉が出てくるようになった。
きっと、虐待事件などが起きたことで「毒親」とか「虐待親」という言葉が浸透してきたからだとは思う。
もちろん、そういう親はいます。実際、流風香の両親二人とも、毒親であり、虐待親だったからね。
でもね… そういう親に育てられたからこそ感じる違和感。
それって、毒親?
虐待親?
って感じるようなことを虐待だの毒親だのとブログに書いている人がいるのです。流風香からすると…
それって、親の行動として普通じゃない?
と思うようなことでも、なぜか、毒親、虐待親と主張している人がいます。ただ、そのブログの一部を読んだだけではわからないことも多いため、時間があれば、過去ログを読んだ上で判断しているのですが、それでも…
う~ん…
それって、本当に、毒親って言うのかな?
って感じる記事があるのですよ。そして、流風香の身近で知り合った人でも、恋人に頼られすぎて重いと感じると…
依存するな!!
これじゃ、共依存だろ!!
と怒る人もいました。でもね、母親と共依存関係にあった流風香からするとね…
たぶん…
それって、共依存ではないと思う…
それは、ただ単に、相手が優柔不断なかまってちゃんなだけだと思うんですよ。共依存関係にあるのは、自分で何もできないと思っている人を自分の思い通りに支配したい人が、相手の選択を相手ではなく、自分が決定して相手の人生を自分の思い通りにしないと気が済まない、そして、支配されてる人は、それが当たり前だと感じていて、生きづらさを感じつつも、その方が楽だから、それにしたがって生きているというお互いに依存しあう関係の人たちの歪んだ関係のことを言うのですよ。だから、ちょっと、頼られすぎて重いと言って嫌がっているということは、相手と自分の境界線がハッキリしているわけだから、共依存関係にあるわけではないのです。だけど、なぜか、こういうメンタル用語を使いたがる若い人が多いのは、なぜでしょうか?情報が氾濫しているネットで自分と相手の関係に当てはまると考えたのか…。しかも、共依存関係にある当事者たちは、全く自覚がないことが多いのです。だから、当事者が、そういう言葉を口にしていることに違和感を感じるし、それは、「毒親」とか「虐待親」という言葉を使う人にも感じます。こういう言葉を使えば…
ブログを見てくれる人が増えるからなのかな?
とも思う。だけど、深刻な共依存関係に悩んだり、虐待親であり毒親である母親との関係に悩んでいる流風香からすると…
簡単に、そういう言葉使わないでもらいたい
と思ってしまう。理由は、普通の家庭(普通に愛情を受けて育った)で育っていて、いわゆる、世代間の価値観や考え方の違いをお互いが受け入れられず、それで、親子関係が悪くなっただけなのに、自分たちが話し合う努力もせずに…
毒親
と決めつけるのは
いかがなものか…
と思うんですよね。だから、最近では…
毒子
という言葉まで出てきてしまった。これは、何でも、親の責任にしてやりたい放題の子供のことだそうです。ハッキリ言って、安易に、こういうメンタル用語を使われるせいで、本当に、虐待親や毒親に悩まされている子供が…
本当は、あなたの方が毒子なんじゃないの?
と言われてしまう状況も出てきています。正直…
迷惑…(怒)
ブログの中には、本当にひどい虐待や毒親からの搾取に遭って、今も苦しんでいる人も多いのです。そういう人たちを追い詰めるような原因を作るようなことはやめてほしいと言うのが、流風香の今の気持ちです。ただでさえ、虐待親を持つ子供は、ずっと…
育ててくれた親を悪く言うなんて…
という世間の冷たい言葉に傷ついているんです。そういうことを言われて、説教されて、ただでさえ、うんざりしてるんですよ。もう、これ以上、メンタル用語を乱用してもらいたくないです。本当に深刻な状況で悩んでいる人がバカを見るような状況を作らないでほしいです。そして、この世間の常識というのが、虐待を見逃す原因になっていると思います。というのも…
親は、子供のためを思って厳しいことも言うもの
子供は、どんな親でも慕うもの
こういう親子であれば、絆と言う名目で、何でも許される… と言うような空気があると思う。そして、そういう常識が、事件になっている心愛ちゃんの父親に児童相談所が強く拒否できなかった理由ではないかと思う。そして、子供の中には、両親からひどい仕打ちを受けても慕う… というより…
将来への不安
から親の元に留まることを選ぶこともあるのではないかと思う。なぜなら、流風香が、そうだったから…。流風香は、父親から怒られるたびに…
施設に入れるぞ!!
と脅されながら育ちました。つまり、常に、親から見放されるという不安が付きまとうわけです。子供ながらに考えましたよ。施設に入った方が安心できるのか、それとも、このまま、我慢してでも、将来、やりたい仕事に就くために、親から見放されないようにした方がいいのか…。流風香は、親を利用することを選びました。こんな親だったとしても、とりあえず、学校には行ける。だから、その選択をした。だけど、心愛ちゃんの場合は、学校にも行けなかった。それでも、親の元に帰りたかったのは、親を慕う… と言うよりは、不安の方が大きかったからではないかと流風香は思います。子供の頃って、親に見放されたら、どこに行けばいいか分からないですよね?しかも、大人たちに全て勝手に決められたら、その通りにしないと生きていくことが出来ません。それは、虐待親の元に育った子供も同じです。しかも、暴力を受けていれば、正常な判断なんて怖くてできません。それを考えると、学校のアンケートに父親の暴力のことを書いた心愛ちゃん自身、どれだけ勇気が必要だったことか…。流風香からすると
心愛ちゃん、頑張ったよね…
って言ってあげたいです。それくらい、恐怖心と不安、そして、親への裏切り行為かもしれないという気持ちの葛藤の中で書いたのではないかと思うのです。親元に帰りたいと言ったのも、もしかしたら、心愛ちゃんの中に…
大好きなお父さんとお母さんを裏切ってしまったという罪悪感
から児童相談所の人に親元に帰りたいと言ってしまったのかもしれません。それが、本心でなかったとしても…。でも、普通の家庭に育った人には、その心愛ちゃんの言葉は…
親を慕う子供の言葉
という美化されたものにすり替わってしまうのです。それは…
子供は、どんな親でも慕うもの
という勝手なフィルターを通して見た言葉でしかありません。そして、世間で児童相談所の対応が叩かれているけど、実際、虐待親や暴力をふるう親と言うのは普通ではありません。流風香の父親にしても、とにかく、大声で怒鳴って、相手を怯えさせる。そして、相手を黙らせ、自分の思い通りにする人でした。特に、父親は、暴力的な人でしたから、どう考えても普通ではありません。そういう人を相手にするのは…
普通の人である児童相談所の人
ですよね?暴力振るわれそうになっても守ってもらえません。虐待親に強く出るための法的手段はあっても、暴力から事前に守ってくれる力は児童相談所にはないんです。だから、恫喝されたり、脅迫まがいのことをされたら、怖くて言いなりになったとしても不思議ではないと流風香は考えます。ただ、その後の処理の方法や対応に関しては、疑問の残るところではありますが、世間の人たちに知ってもらいたいのは、とにかく…
虐待親は、普通の考えや価値観は通用しない
ということを、頭の片隅でもいいので置いといてもらいたいと思うのです。だからこそ、虐待親は、自分が虐待しているという自覚がないんですよ。普通の価値観や考え方ではないし、しかも、自分自身は、教育やしつけの一環としてやっているだけだと思ってるから…。父親も、そうでしたけど…
家族は、自分の所有物
と思ってました。だから、
自分が家族を蹴ろうが、殴ろうが、自分の所有物だから俺の自由だ!!
乱暴に扱っても、教育やしつけなんだから、文句言われる筋合いはない!!
そんな感じの考えの人でしたね。例えば、高いボールペンを買っても、どんな使い方をするかは買った人の自由ですよね?高かったとしても、乱暴に扱っても文句言われる筋合いはありまあせん。それと、同じ感覚で、家族を扱っているんです。しかも、お金を稼いで養っているのは父親です。
俺が金稼いで養ってやるんだ!!
お前ら、俺の言うこと聞かなかったら分かってるよな?
こんな感じ…。児童相談所に保護されると親が怒鳴り込んできますよね?さっきの例えの高価なボールペンでいうと、乱暴に扱ったとしても、そのボールペンの所有権は買った人にありますし、それを、誰かが断りもなく持っていけば、それは、窃盗になります。虐待親も、児童相談所に子供を連れて行かれたら…
子供を盗まれた
と感じるわけです。つまり…
俺のものを勝手に持っていきやがって!!
この泥棒が!!
という感覚しかないので、怒り狂って怒鳴り込んでくるんです。なぜ、怒るのか分かりますか?自分に従い、ストレス発散できる相手がいないとストレスを抱えたままになり、自分自身の存在意義がなくなるからです。少なくとも、流風香の父親は、そういう人でした。母親は、共依存関係にある従うだけ、父親に決められたまま生きるだけの人で、父親から「お前は、自分一人では何もできないくせに!!」と言われ続けて、自分は何もできない人間だから従うしかない、そう父親に洗脳され、父親が亡くなった後も、生前言われていたことを守り続けて生きています。父親がいないのであれば、自由にやればいいのに… と思うでしょうけど、DVやモラハラが普通の生活になり、洗脳され続けた結果が、今の母親です。自分自身で考えると言うことが、全くできなくなっています。おそらく、心愛ちゃんの母親も、流風香の母親と同じ状態ではないかと思います。考えられないということは、理不尽なことを言われていても理不尽なことではないか?と考えることができないということなんです。だから、従ってしまう。そして、子供は、虐待され続けるし、子供が暴力を受けている間、母親が暴力受けることはない。だから、所謂、子供をスケープゴート(生贄)にして、自分は、父親の暴力から逃れようとするのです。
母親なのに助けないなんて!!
世の中の人は、簡単に言いますけどね、凄まじい暴力を何度も受けていると、どうしても…
助かりたい
という気持ちが出てきます。そして、子供が犠牲になっている間、自分は無事なのであれば見て見ぬフリをしようとする、それは、ただ単に、生存本能が機能した結果ではないかと思います。これは、実際、流風香自身にも起きていたことでした。子供の頃、流風香は、父親の暴力を受けている時、母親が助けてくれたり、かばってもらった記憶はありませんし、父親の暴力でできた傷の手当すらしてもらったことはありません。傷の手当なんてしたら、父親の逆鱗に触れるかもしれないからね。なので、母親が助かるためには仕方なかったから母親を許しているのかと言われたら、許す気なんてサラサラありません。でも、同時に、それが、母親である前に一人の人間としての弱さなのかもしれないとは思います。そして、流風香自身、どうしたら、両親のような人間にならずに済むのか、ずっと、ずっと、悩んできた。たぶん、流風香と同じように虐待親や毒親に育てられた人たちも同じように悩んでるだろうし、思うようにコミュニケーション取れずに困ってるんじゃないかと思います。だから、流風香は、子供を産みたいと思わなかったんだよね。母親のように、自分を守るために子供を犠牲にするような母親にはなりたくなかったし、かと言って、子供に普通に愛情を注げるか?と考えると…
絶対、無理!!
って思うから…。正直、この年齢になっても、自分の選択が間違っていたとは思ってません。子供を産まない女性は、少子化に貢献していないと批判されますけど、身体的な原因がなくても、親になる自信がなくて子供を産まない選択をする女性だっているわけです。そういうことを知りもしないで…
生産性がないとか言われてもなぁ…
って思う流風香です。だって、虐待死するニュースが報道されると…
こんな奴は、子供産む資格なし!!
ってSNSとかで言われるんですよね?流風香のように、子供はほしくないと思えればいいけど、中には、家族の温かさを知らずに育ったからこそ、自分で温かい家庭を作りたい、自分の家族を作りたいと思う人がいてもいいと思う。でも、その中で、必ず、弊害は出てくる。それを、誰が、どうフォローすればいいのか?を考えることの方が先でしょ?って思うんだけどな。批判だけするのは簡単。その対策を考えるのは、とっても、難しい。なぜって…
普通の人には分からないことだから…
だから、的外れなことばっかりやってるわけでしょ?少なくとも、流風香の目から見たとき、世間の人たちの言葉は、とても、無責任で感情的に批判しているだけにしか感じられません。虐待親に育てられた子供たちは同情がほしいわけではありません。
助けてほしいときに「助けて!!」と言える大人がほしいんですよ!!
助けの手を進んで差し伸べてくれる人がほしいんです!!
でも、自己責任と言う言葉で無関心がはびこってる今の日本に、そんなことしてくれる大人が、どれだけいるのだろうか?という疑問しかありません。これが、虐待親に育てられながら生き延びた流風香が感じていることです。ニュースやブログを見るたびに感じている違和感… その理由を書いてみました。少しでも、考えてもらうキッカケになればいいなぁ… と思いつつ、書いてみた。