一昨日、スナック レディに顔をだすと、
桝一市村酒造場の「白金-山廃桶仕込み」があった。
ぐい呑で一杯。通 好みの味、旨し!
しかし、私もだが、皆さんも日本酒を飲まなくなったなぁ。
桝一市村酒造場の姉妹店、小布施堂の、生栗らくがん「くりは奈 なま」
らくがん 食べたの初めてだ。?
旨し!食感メッチャいい。口の中でとろける。人生で初めての記憶。
旨し!旨し!と言っていたら、お土産に、残り4個もらった。ありがとうママ。
実は、桝一市村酒造場は7年前に訪問した。
スナック レディのママが、桝一市村酒造場で働いている、セーラ、マリ、カミングスさんを
紹介した本「セーラが町にやってきた」(著者 清野由美)を貸してくれた。
あまり本を読まない私ですが、一晩で読破した。
本を読んでから、セーラに会いたくて仕方なくなった。
神戸に出張に行った序に、セーラ取締役に会いに長野県小布施町にアポ無で向かった。
名古屋から特急「しなの」で長野駅、長野駅から長野電鉄で小布施まで。
長野電鉄には、小田急の赤の旧ロマンスカーが走っている。特急券は200円だったと思う。
小布施は四国で例えると、内子のような感じかな?いい町ですよ。
駅から桝一市村酒造場までは、歩いて行ける距離。
到着して、店の中に入る。蔵人に彼女との面会を申し出たが「不在だろう。」との回答であった。
その時は半ばあきらめていた。大吟醸純米生酒「鴻山」を買って、仕方なく蔵の周りを歩いていると、
大きな木桶が目に入った。その横の事務所の中に金髪の女性の姿が見えた。
えっ!居るじゃないですか!
まさにセーラ本人であった。事務所の中のセーラに声を掛けると面会を気軽に承諾してくれた。
簡単な挨拶でしたが優しく接してくれた。
本にサインとツーショット写真をお願いした。
その時にセーラから、このチラシをもらった。
桶仕込み保存会、「いまさらおけを考える会」の案内状。
2006年4月8日 六本木ヒルズ 会費5000円
木桶の良さを知ってもらいたい。
温度管理や衛生管理の楽さから、木桶仕込みからホーロー仕込みに代わって行きました。
ホーロータンクなら余分な菌を排除できるのです。
でも木桶でなければ出ない味わいというのがあるのも事実です。
後日、会には兄と行きました。
プレゼンには、
セーラ。
時の文部科学大臣 小坂憲次。
俳優 辰巳琢郎。
当時 三洋電機 社外取締役会長の野中ともよ。などなど。
セーラの凄さがうかがえます。
プレゼンの後の懇親会では、後ろで辰巳さんが呑んでたので、挨拶をしました。(どーも、どーも)
しかし、利き酒ばかりしてると、お寿司がなくなりショック!食べるもの無!えっ!うそっ!
チョッピリ高かったかなぁ?
もう、お分かりだと思いますが。私の会の名前、「食と遍路を考える会」はここからヒントを頂ました。
セーラは素晴らしい人です。
セーラ・マリ・カミングス
略歴
1968年、アメリカ合衆国ペンシルベニア州生まれ。
1991年、関西外国語大学に交換留学生として来日。
1993年、ペンシルベニア州立大学を卒業。長野オリンピックに憧れ、株式会社マルイチ産商中央研究所に入社。
1994年、株式会社小布施堂に入社。
1996年、利酒師に認定される(欧米人では初)。
1997年より株式会社桝一市村酒造場の再構築に取り組む 。
1998年、小布施堂および桝一市村酒造場の取締役に就任。桝一「蔵部」レストランを開く。国際北斎会議を誘致。
1999年、日本酒造組合中央会日本酒青年協議会の会員となる(日本人以外では初)。
2001年、SMC(ストラティジック・マネージメント・コンサルティング)株式会社を設立。
「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002」(日経ウーマン)大賞を受賞。
2002年、桶仕込み保存会を立ち上げ。
2003年、「人間力大賞2003」(日本青年会議所)地球市民財団特別賞を受賞。
2004年、日本酒造組合中央会代表幹事に就任(初の女性代表幹事)。
ウィキペディアより
皆さん、小布施いい所ですよ。