映画「『遺言』~原発さえなければ~」東京上映まで1週間を切ってしまった。またしても遅すぎるのではという自責の念はあるのだが、直前の広報に、自分なりの総力を挙げようと思う。facebookでの広報強化からスタートし、メーリングリストの配信、関係ウェブサイトへのバナー設置、チラシ発送等、慌ただしくしている。
ぜひ拡散にご協力ください。
2014年3月1日
映画「『遺言』~原発さえなければ~」
東京上映へのご来場のお願いと、
全国上映への支援のお願い
大田復興支援活動団体協議会・福島原発被災調査支援グループ 茂野俊哉
私たち(大田復興支援活動団体協議会・福島原発被災調査支援グループ)は、一昨年前の6月、公開学習会を開催しました。「福島原発震災から1年 振り返って考える」-フォトジャーナリスト豊田直巳さんの取材映像と、お話を聞く-というものでした。
その後も豊田さんたちは現地取材と記録を続け、自らの力で映画にする、という選択をしました。
近年はドキュメンタリーへの拒否的な心理傾向が高まっているようで、震災や福島を扱った映画の集客は軒並み低調です。その上に、できあがったこの映画は、前後篇3時間45分に及ぶ長編です。上映をするには、非常に不利な条件をあらかじめ覚悟した上で、それでも使命を果たすための、製作・上映活動のスタートでした。昨年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭での公開を出発点として、東京での1週間の上映が決定し、以降、どこまで上映を広げられるか、試行錯誤の真っ最中です。
私個人にとって、豊田直巳さんは、30年以上、いくつかの活動を共にしてきた仲間です。そのことを超えて、この映画の上映拡大を支援していくことは、以下の意味で重要だと考えています。
1.この映画は、東京の私たちが、飯館村を中心とした、福島原発事故被災当事者の現状と声を受け止める重要な手がかりであると考えます。
2.豊田さんたちを始め、海外の紛争地等を継続して取材してきた何人ものジャーナリストが、今も福島現地の取材を継続し、それを全国や世界に発信するための、身を削るような作業をしています。私たちは継続して、その努力の成果をきちんと評価し、受け取るべきであると考えます。
3.全国の主要都市に存在する単館上映系の映画館の集客力は、おおよそ東京の10分の1が目安といわれているようです。東京での集客が芳しくなかった映画は、地方での上映を断念せざるをえない、といった事情も聞きます。この映画を全国上映していくためには、東京での上映成功が重要な条件であると考えます。
今回の東京での1週間の上映に、ぜひ、足を運んでいただけるようお願いいたします。
2014年3月8日(土)~3月14日(金)12:20~ 場所:ポレポレ東中野
(JR東中野駅西口改札北側出口より徒歩1分)
詳細については別紙をご覧ください。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/shigehp/Appeal.pdf
http://www015.upp.so-net.ne.jp/shigehp/Reference.pdf
また、この上映に都合のつかない方も、今後の上映運動を支援する方法があります。今後も情報提供と提案をしていきたいと考えています。ぜひ、支援についてご検討くださるよう、お願いします。
映画『遺言』福島を描いたドキュメンタリー映画の決定版を
全国に広げよう!
(クラウドファンディングプラットフォーム「MotionGallery」より)
https://motion-gallery.net/projects/yuigon_fukushima
クラウドファンディング(英語:crowd funding)とは、クリエイター・表現者が不特定多数の人からプロジェクト資金を募る事を指す、群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語で、プロジェクトを始める前の段階でアイデアを元に資金を募る、新しい資金調達の仕組みです。
映画、アート、音楽、ゲーム、出版や、イベントの開催、そしてソーシャルグッドな活動など、様々なクリエィティブ活動をスタートさせる新しい形として活用されています。
■このプロジェクトについて
世界の現場を取材してきた2人のフォトジャーナリストが、震災翌日から事故後の福島を800日間にわたり撮影。その衝撃的な映像が、ついにドキュメンタリー映画として完成。3月8日からの劇場公開(東京・ポレポレ東中野)をきっかけに、全国公開を成功させよう。
URL http://yuigon-fukushima.com
Facebook https://www.facebook.com/yuigon.fukushima
■震災翌日からの福島取材
イラクやチェルノブイリを撮影してきた豊田直巳と、チベットやアジアを撮影してきた野田雅也は、震災翌日から福島へ向かい、避難する双葉町や飯舘村の人びとを撮影。原発事故の取材が、数週間で終わるものではなく、1年、10年と長きに渡って撮り続ける必要があるということを覚悟していました。
こうして収入や映画製作のことを考えることもなく、ひたすらに福島へ通い続け、記録するためにカメラを回してきました。
事故から2年が過ぎ、撮影した250時間の映像を、映画プロデューサーの安岡卓治氏に託し、編集作業を始めました。「宝もののような映像だった」そうです。
そして映画の完成が近づいた頃、初めての試写会を福島県伊達市の仮設住宅で開催しました。この仮設住宅には、多くの飯舘村の人びとが避難生活を送っています。つまりこの映画の主人公たちです。ともに怒り、哀しみ、そして笑い、3時間45分という長編映画を最後まで観て頂き、楽しい時間を共有して頂きました。
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同仮設住宅の集会所で行われた上映会は住民らで満席。映画に出演した長谷川健一さん(60)は「当時のことをつい最近のように思い出した。映像は記録として残る。(製作者に)敬意を表したい」と話した。(福島民友新聞 )
その後、山形国際ドキュメンタリー映画祭で本映画を初公開。会場は満席で補助席が必要なほどでした。また多くのメディアにも取り上げられ高い評価を得ました。
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ニュース報道はもちろん同様のドキュメンタリー作品でも類を見ないほど、福島第一原発事故で人生を翻弄(ほんろう)される彼らに肉薄している。胸を締め付けられずにはいられないだろう。(シネマトゥデイ )
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白煙を上げ続ける福島第一原発。汚染地域に取り残された住民。見えない敵は放射能だけではなかった。そこには隠蔽と欺瞞に覆われた日本社会の構造が浮かび上がる。(Record China)
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飯舘村を中心に2年間にわたり長期取材・撮影した。私は綿密な取材に裏付けられた映像に、彼らフォトジャーナリストたちの底力を感じた。225分の映画が語るのは、原発によって壊されてしまった人生と、飯舘村の人々の再生の物語である。(ドキュメンタリー雑誌『neoneo』)
確かな手応えを感じたため、全国劇場での公開準備をはじめました。そして今年3月8日からポレポレ東中野での上映が決定。順次、全国巡回する予定です。
■歴史を記録する
私たちは、全国での劇場公開だけでなく、各地にある公共施設やコミュニティースペースなどの自主上映会を含めて、様々な機会にこの映画を見ていただく働きかけをしています。それだけでなく、世界へ伝えるために海外の映画祭への出品を進めています。
小さな働きかけでも、身近な方々100人の観客へ、いつか世界の10万人、100万人へと膨らむはずです。そのとき福島の記憶は記録となり、世界へ、次世代へとこの惨禍を語り継ぐことになるでしょう。一本の映画でも、いまと未来を結ぶメッセージになるはずです。
※海外の上映普及のために高木仁三郎基金から助成金を頂き、すでに英語字幕版を完成させています。
■全国へ広げたい!
ここまで自費で撮影、編集を続けてきましたが、映画上映にあたり、多額の配給、広報費がかかわることが、いまになって分かり、配給宣伝費を確保できていません。震災関連の映画で興行収益は見込めないと言われます。しかし、事故の惨禍を次世代へ、あるは未来に残すために、全国へ広げていきたいと思います。セシウム137の半減期30年といわれる中、撮影の続行をしたいのです。
製作費をのぞき、映画の配給、宣伝費だけでも少なくとも150万円が必要です。人件費を払う余裕もありませんが、配給・宣伝費の資金協力をお願いします。
■製作陣
豊田直巳(共同監督/取材・撮影)
1956 年生まれ。イラクやパレスチナなどの紛争地を巡り、劣化ウラン弾問題やチェルノブイリを取材。新聞、雑誌やテレビで報道。平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞。近著に『フクシマ元年』(毎日新聞社)、『フォトルポルタージュ 福島 原発震災のまち』(岩波書店)他。
http://www.ne.jp/asahi/n/toyoda/
野田雅也(共同監督/取材・撮影)
1974 年生まれ。チベットの核実験場をはじめアジアの紛争地や災害現場を取材。『正しい報道ヘリの会』では官邸前デモなどを空撮。DAYS JAPAN国際ジャーナリズム大賞特別賞。共著に『3?11 メルトダウン』(凱風社)他。共に日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)会員。
http://www.fotgazet.com/
出来ることから、始めましょう。