島崎徳一丸最期合戦の事 並(ならびに) 大生原対陣の事
兵書日、凡奔(はし)るに従う時は息(やす)む事なかれ。敵人或は路に止らば、則是を慮(おもんぱか)れ凡敵の都に近付時は、必進む路有ん。
退く時は必返て慮(おもんぱかり)あれといえり。
島崎徳一丸は父の横死を聞き無念骨髄に徹し、髪逆立(さかだち)眼色鏡の如く、面には血を灌(そそぎ)きたる如く、千里も一飛と駿た馬に鞭(むち)を加えて辻風の発が如く、保内山さして駈出せば塙・井関・吉川・今泉等主人に劣らじと息を継ず馳たりしかば、二月十一日午後頃、保内山近くぞ駈附て向(むこ)うを屹(きつ)と見渡せば、勢程七・八百計(ばかり)備(そなえ)を設け控えたり。
徳市丸は六百余騎を真円になし一文字に煙を巻き、土(ど)芥(かい)を蹴立踏立會(え)釋(しゃく)もなく突て掛れば、待設(まちもうけ)たる佐竹勢、鉄砲の筒先を揃え打出、真先に進し兵士二・三十人、弓手(ゆんで)馬手(めて)に討殺さる。
然れども、島崎勢は少しも恐れず必死と覚悟を極めし事なれば、討ども事もせず大山の崩れかかる如く
死人の上を飛越え飜(ひるがえし)越え曳々(えいえい)声を揚げ、死ねや進めやと真黒に成て切てかかる。
佐竹勢は弓鉄砲を討出。隙もあらばこそ只一まくりに突立てられ、戸村が本陣になだれかかる、崩るる身方を馬手に引退け、入替て戦わんとす。
隙もあらせず雷の落かかるが如く、勢に乗じて弓手をかけ立、馬手に当り、前後左右当を幸い、千変(せんぺん)万化(ばんか)切て廻れば、さしもの猛き佐竹勢も足なみ乱れ、既に惣(そう)敗軍と見えける処に、戸村重太夫大に怒り、鞍(くら)笠(かさ)につっ立あがり、きたなき身方の挙動かなと、かく計(ばかり)の敵に立らるる法やある、追取込て討て取れ。進めや者共(ものども)、掛や面々と味方を励まし、自分真先に進み采配取て腰に挟み大身の槍、馬の平首に引付近寄敵に三 突き落し、呼声出して責戦う。
佐竹勢、是に力を得て八方より追取込引包て討んとす。
島崎勢も物共せず、魚(ぎょ)鱗(りん)に備を立直し、突破ては裏を駈抜け、取て返しては薙(なぎ)倒し、命限りと責戦う申にも、徳一丸は未だ十五才といえども、古今無双の勇士将にて、溢れかかる敵を前後左右切散し薙(な)き倒し、馬は希代(きだい)の駿足、乗人は達者、太刀は最上の業物(わざもの)、殊(こと)に父を誑(たぶらか)し討に打殺され無念歯を喰切り、卑怯(ひきょう)未練の佐竹人畜めら、島崎徳一丸が手馴を見せ呉んと、龍の雲中を駆(かける)が如く怒猛り、向者(むかうもの)、真甲迯(にげ)る者の肩先背骨車(くるま)切(きり)胴切梨(なし)割(わり)拂(はらい)切(きり)に勇士雑兵の嫌(きらい)なく勢に乗じて切て廻れば、徳一丸が通る所は死人の山をなし、瞬内(またたくうち)に十七・八人切殺す。是に続て、塙外記・井関隼人・吉川・今泉・森・菅谷・小浪・茂木・浦橋等の勇士主人に劣るなと、一世驍(ぎょう)勇(ゆう)を顕(あらわし)し、皆共に討死して死出三途(さんず)の川を手に手に取て、一足も退く事なかれと互に勇み振て切立れば、佐竹勢耐え兼ね四方颯(ざっ)と迯散たり。
何處(どこ)迄と追進めば、梅津半佐門新手勢七百餘騎を引率して救の為に馳来りしか。
此体を見て鉄砲を打かけ責付るを、島崎勢は猶(なお)も勇て命の有らん限りは働いて討死せよと、声に呼わり電光の激する如く掩殺(えんさつ)すれば、梅津も陣を鶴(かく)翼(よく)に開き引包んで討んとす。
島崎勢、事ともせず円月の如くになして、風の発するが如く砂を蹴立黒煙を立て切てかかる。
其激(そのはげし)き事、百千万の雷(かみなり)の一度に落るが如く、早き事飛鳥の如く、人馬雑兵嫌なく追立られ梅津が備立直す能(あた)わず右方左方に切立られ、梅津・戸村大に怒り、盛返さんとすれ共島崎勢必死の勇猛敵する事能(あた)わず。
十四五町計(ばかり)引退き、敗軍に進軍を進め鋭気を養いて又もや掛んとす。
島崎勢も数刻の戦に身心労(いたわ)れ、同じく一息して腰(こし)兵糧(びょうろう)を遣い、勢を点検するに百余騎討れて五百騎計なり。
其も手痛き働せし事、故(ゆえ)浅手深手負ぬ者壱人もなし。
然れ共、死を極めし勇兵なれば、聊(いささか)も屈せず静まりかえって控えたり。
梅津・戸村は漸(ようやく)敗軍を集め、両手の軍勢一千餘騎、戦い労(いたわ)れし島崎勢を討取らんと鉄砲を打かけ打かけ次第に進み寄、塙・井関是を見て徳一丸を諫(いさ)め、君は一先此處(このところ)を退き島崎へ御帰館有て、重て此(この)鬱憤(うっぷん)を散せらるべし。
我々此處にて防ぎ仕(つかまつ)らん。
早疾(とう)々(とう)諌(いさめ)奉(たてまつ)れども、徳一丸承引なく、汝等を棄殺にして、我何の面目有て、黄泉(よみ)の父上に対面すべきや。此(この)敵を残らず切散らして、後にこそ如何にとも致すらんと、退くべき景気はなく、勇を含みて一円承伏し給ねば盡、此上(このうえ)は当の敵を追払べしと、矢束を解て待かけたり。
佐竹勢鉄砲を頻(しきり)に打かけ責詰る。島崎勢は敵を近付儘(まま)に引詰め差詰め散々に射(い)出(だし)たり。
矢種を射盡(いつく)し一枚楯(たて)持かざし曳々(えいえい)声にて突て懸る。
佐竹勢も同じく向ひ合い、先敗の恥を雪(すす)がんと、獅子の岩間を出るが如く、真黒に成て押寄せる。
双方、名に負う勇士にて相近く成るや否や、動と噭(ほえ)て突て掛り、火花を散して責戦う。
太刀の鍔音(つばおと)天地に響き、引進めと命限りに戦うたり。
佐竹勢の度々(たびたび)の敗軍無念に思い、必死と成て切結ぶ。
島崎方も今を最期と切れども突ども事ともせず、天地を崩る計(ばか)り喚(わめ)き、叫んで東西に駈り、南北に撞散(つきらか)し、簇(やじり)の手は入違い胡蝶(こちょう)の狂うが如く。
徳一丸真先に進み、獅子奮迅の怒をなし切て廻れば近寄者なく佐竹勢備まばらに逃げ渡を見えける。
戸村重太夫、是を見て小冠者(こかんじゃ)め、先程よりの働、人もなげなる振舞こそ推参なる、我が鑓先(やりさき)にて世の暇(いとま)取らせて呉んと、大身鎗(やり)らくらくと打振廻し突て掛る。
徳一丸、是を見て望む處(ところ)、ごさんなれと、鍔(つば)元迄血に染たる太刀真向にかざし、唯一打と切り掛る。
戸村も手練者、受流し上段下段と秘術を盡(つく)し、突出す槍先稲妻の如く、大汗に成て戦たり。
徳一丸は、無双の手練にて飛違飛違、其早事(はやきこと)猿猴(えんこう)の梢(こずえ)を傳うが如く、流石(さすが)戸村も持餘(もてあま)し、あしらい兼て見えたる處に得たりやと、唯と大喝一声叫て、 鉄壁も微塵になれと切付れば、戸村が鑓(やり)を千段巻(せんだんまき)より斜(はす)にすっぱと切折、切先はづれに鞍の前輪(まえわ)を高股(たかもも)かけて切付れば、馬はたまらず屏風(びょうぶ)を倒が如くどうっと倒る所を、続けざまに只一太刀と切付る。
是を見て、戸村が良従かけ塞(ふさ)がり、主人を救わんとかけ寄かけ寄れば、徳一丸大に怒り、邪魔するな、奴(やつ)原(ばら)一々首を並べくれんと、前後左右に切立れば、防がんとする者共(ものとも)七・八人、弓手馬手に切殺され、此(この)隙(すき)に戸村は、慮き命を助り味方の陣へ引退く。徳一丸、精神を励し切て廻れば、手負死人算を乱し一條の血路を開き尸(し)は野径(やけい)に横たわり、屠所(としょ)に異らず、血は馬蹄に蹴掛りて紅葉に灌(そそ)ぐ雨の如し。
春の日の長しと雖(いえど)も、日も西山に没しければ、佐竹勢鉦(かね)をならし軍を纒(まと)め、島崎勢も終日の戦、入替る味方もなければ戦労れ、物別れとぞなりにける。
戸村・梅津、今日の戦い島崎勢の勇猛無体に責討れせば、味方多く損亡すべし。
今宵、密(ひそか)に計をなし敵鋭気を取挫(とりくじ)かば、定めて今宵の内に退散すべしと物馴たる者に云含め、在々所々に觸(ふれ)て人夫を雇い、太田の方より夜中大軍馳(はせ)着(つく)体にもてなし。
松明(たいまつ)を灯しつれ、夜の初(しよ)更(こう)の頃より野山一面に明松を燈し、佐竹の陣に馳着体に見せければ、案の 如く島崎勢大に驚き、あな夥(おびただしい)数軍勢かな彼の大軍に取巻れなば、此労兵を以て如何に働くとも、暫時(ざんじ)も堪ゆる事有るべからず。
勿論(もちろん)、討死は覚悟の事なれども、闇(やみ)々と討死せんよりは、今宵の内に引退き、勢を催し再戦に鬱憤(うっぷん)を散らせらるべしと、諸人一同に謹言しければ、徳一丸聴て口(く)惜(おし)き事哉(かな)。
父の敵(かたき)を打取る事能(あた)わず、退ん事返す返すも無念なり。
去(さり)乍(ながら)召連し汝等、比類なき働して皆数ケ所の痛手を蒙(こうむ)りぬれば、明日の合戦はかばかしかるまじ。
然(しから)ば一先(いちさき)引退んと勢を見るに痛手に苦しみ、半死半生の者、討れたる者過半にして漸(ようやく)三百騎には足らざりける。
皆一所に退かば人(ひと)目(め)に立、追手やかからん。
五騎位づつ思々に引別れ、夜中に陣を引去ける。
徳一丸も、十五六騎にて木下の里と云處迄落(おち)延(のび)給しが、心緩みし故にや疵(きず)口(ぐち)痛み立事能わず。
家の子郎従、種々介抱すれども馬にさえ跨る(またが)事能(あたわ)ねば、徳一丸苦し気にどうと座し、我口(ぐち)惜(おし)くも是迄(これまで)引退き来たり。
此痛手にては所詮(しょせん)、島崎へ帰亊叶うまじ。
介錯(かいしゃく)せよという儘(まま)に、押肌脱ぎ腹一文字に掻(かき)切り給いける。
郎等共驚き周章(しゅうしょう)止め奉んとする間も早、事切れ給いしかば泣々近隣の寺を頼み、ご尊(そん)骸(がい)を葬(ほうむ)り夫より己が思々に落行けり。
流石(さすが)、強(きょう)勇(ゆう)無双と呼れし島崎家父子共に、佐竹之為に(ために)空敷(むなしく)討死して、数代の名家断絶に及びしも、是非もなけれ。
扨(さて)又大平・土子・窪谷等は、徳一丸君之御先(せん)途(ど)を見届奉(たてまつ)らんと、大生原へ出勢しけるに最早、佐竹勢大生台へ出張したる趣(おもむき)、先手兵卒馳返り注進(ちゅうしん)しける。
島崎勢、是を聞て然ば先大生台の敵を切崩し、心休め出勢せんと大平・土子・窪谷・鴇田・柏崎等の諸将、無念の歯(は)がみをなし、次第に列を守て押出す、佐竹家よりは、佐竹左衛門尉・同淡路守・車丹波守、惣勢都合八千餘騎大生台に出張し、島崎家の動静を窺(うかが)いける處に、島崎勢列を乱さず五千騎計大生原へ出張する由聞と、然らば此方にて手配をすべしと、先、佐竹左衛門督(さえもんのかみ)三千餘騎を三手に分け、静々と押出せば、車丹波守二千五百餘騎にて左衛門督より先に進んで、島崎家勢を追散さんと陣勢を張出す。
佐竹淡路守二千五百余騎遊軍(ゆうぐん)と定め、手分一々定めて日の丸白旗押立、厳重に威を正し控えたり。
斯(ここ)で、島崎の先陣大平・土子・窪谷二千餘騎、主人を欺討(だましうち)にせられし無念の歯(は)がみをなし、是非、此敵を切崩し大田迄も乱入して、義宣が首を取らんと必死の覚悟を究め、殺気を含み凛々として陣勢を虎韜(ことう)に立列ね、烈風の発するが如く饒(どう)と鯨(げい)波(は)を作りかけ、鉄砲打立黒煙を立て馳向う。
車丹波守、是を見て同じく手勢二千餘騎長蛇の如く備えを設け、向い合せ鯨波(げいは)を作り、弓鉄砲打立相(あい)懸(がかり)に掛て煙嵐を巻き立砂を飛し、塵矣(じんあい)を蹴立踏立て、爰(ここ)を先途(せんど)と責戦う。
太刀鍔(つば)音矣、叫の声広野に響き渉り槍長刀(なぎなた)光は天に輝き地に閃(ひらめ)き、追立れば追返し、双方共に引進めど鉢合せ命(おおせ)りと、責戦う大平・土子の輩は、主人の是非此處を切破り、佐竹の奴(やつ)原(ばら)叩き伏せ、太田迄も責入れと、味方を励し、突く共切れども事共せず、曵々(えいえい)声揚て切て東西に突て通り、南北に駈崩し須臾(しゅゆ)に変化して万卒(ばんそつ)に当り、死奮憤(いきどおり)て駈立れば、さしもの車丹波守も、備え四度(しど)路(ろ)に成て見えしかば、島崎二陣の軍将、鴇田伊豆守・柏崎六左衛門・大生市正等、此図を弛(ゆるま)さず突崩せと、大山の崩るる如く旗を龍粧(りゅうしょう)に進め、香(こう)象(ぞう)の波を踏て大海を渡るる勢をなし。
我も我もと切て掛れば、何かは以て止めるべき。
丹波守が備え、散々に成て六・七町計追立てられ、丹波守大に怒り、きたなき味方の挙動かな。
我に続て、返せ戻せと大長刀(おおなぎなた)を水車に振廻し近付、島崎勢すくいあげはね倒し、瞬(またた)く内に六・七人薙(なぎ)倒し勇を振うて戦うと雖(いえど)も、鴇田・柏崎・土子・窪谷等が必死の強兵止る事能(あた)わず。既に敗せんとす。
佐竹左衛門督是を見て三千余を円月の如く備え、横合より関を作て鉄砲を打かけ突掛れば、丹波守、是に気を得て味方励し、又守返せんと死顧(かえりみ)ず矢声を揚げて突進む。島崎の三陣、大生紀伊守・柏崎五郎・若槙・石神・矢幡・濱野・林・江寺・佐野等千二百余騎、佐竹左衛門督が陣の後より、関を発して切懸(かか)り引包て討んとす。
是ぞ此れ黄石(こうせき)公(こう)が虎を縛(ばく)するの手、張子房(ちょうりょう)が鬼を挫(くじく)の術、何れも存知の事なれば囲れず破られず、と一挙に死を争有様は、天帝修羅(しゅら)の闘戦も是には過(すぎ)しと見えにける。
然れ共、島崎方は必死の覚悟を極(きわめ)し強兵なれば、死人手負を乗越、飜越無風と成て切立れば、佐竹勢忍兼壹町計追立られ、左衛門督、丹波守、鞍嵩二つに立上がり返せ進めと息巻つつ下知すれども、引立たる軍の慣(ならわし)にて、耳にも聞入れず大生台指て引退く。
丹波守、左エ門督心ならず敗兵に引立られ、大生台迄ぞ引たりけり。淡路守是を見て備えを固め、鉄砲の筒先を揃え、敵兵近寄らば打出さんと静まり返て控えたり。
大平・土子・鴇田・柏崎・窪谷等迯を追うて、大生台近く進し處に淡路守が備、殺気凛々として、静(しずか)成事(なること)大山の如く、弓鉄砲の先を揃え待かけたるを見て、大生紀伊守、味方を制し鉦(かね)を鳴し、軍を纒(まとめ)れば大平・土子も無謀の戦せば却て破を取らん。
大生原迄引返し夜陣を張りて休息す。
佐竹勢は大生台に屯(たむろ)して、両陣白(にら)眼(み)合(あい)て夜を明しける。
両陣共に昨日の大合戦に、将卒共労(つかれ)、杲(あきらか)、只矢軍(やいくさ)のみに日を暮しける。
夫より両三日を白(にら)眼(み)合(あい)、墓々(はかばか)しき軍(いくさ)はなかりける。
然るに、十四日晩景に及、徳一丸君、木の下の里にて生害あり。
諸士は討れ、或は迯落ちたる由。
敗兵迯返り云々の由演説にびければ、島崎家の諸士、盲人の杖を失い闇夜に灯を消したる如く、惘(あき)れ惑い茫然として勇気も撓(たわめ)て見えにける。
島崎徳一丸最期合戦の事 並(ならびに) 大生原対陣の事(了)