昭和62年(1987)に発行されました「島崎城跡発掘調査報告書Ⅱ」の内容を抜萃して紹介します。
二曲輪内の埋没遺構
近世以後でいう二の丸は、島崎城には二つある。ひとつが八幡台がある東二曲輪で,馬出で一曲輪(本丸)と間接的に結ばれ,もうひとつが西二曲輪で,一曲輪の西に同じレヴェルで、堀切を隔てて位置する。東西ふたつの二曲輪は第4年次(5次調査)の調査対象地で,今般は本格調査を前に試掘調査(予備調査)を実施した。調査は,馬出曲輪空堀調査区の作業と並行するため,東二曲輪の南側で動きの取り易い個所にした。
調査区は、10mに12mの区画とし,東二曲輪 のプランにそった区画とした。遺構面までは50 cm~60cmの深さで,層位は一曲輪と同じ三層序であった。出土遺構としては、東側が叩き土間 状遺構で、赤土を壁土状にして敷きつめ突き固 め、土間にしたとみられる遺構である。どの範囲まで土間があったのかは不明であるが,図7 に示した線の東側が土間状遺構で,北側と中央部に二つのカマド状遺構が検出された。おそらく台所・清所的な建築の一部であったとみられる。
土間状遺構は、ピット(柱穴)が,ボケてしまう場合が多い。柱材をぬきとったあとに土間の壁土が流れ込んでしまうからである。東と南に三つのピットが検出されたが,そのつながりは不明である。
土間状遺構の外側(西側)には,6ヶ所の方形に結ばれるピットが並ぶ。しかし,これだけの狭い範囲なので、その性格を明らかにするには至らなかった。「島崎城跡発掘調査報告書Ⅱ」終了