島崎城址に関する書籍資料の紹介②
島崎氏400年の足跡 島崎盛衰記の伝える世界 後編
引用 図説鹿行の歴史 発行所 株式会社郷土出版社 監修 植田敏雄
潮来市の藤岡家にも伝在し、かって牛堀町文化財保護審議会でガリ版刷りで復刻された経緯もある。近世にまとめられた島崎氏に関する貴重な資料である。
島崎盛衰記の伝える世界
- 七代目高直は南北朝の争乱に佐竹貞義に従い足利氏に属し、戦功により本領を安堵され、八代氏幹は足利尊氏より、九代満幹は鎌倉公房足利義満より各一字を拝領したと伝えられる。また、十代重幹は上杉禅秀の乱に、鎌倉公房足利持氏に従い、弟重時が駿河で討死しており、十一代成幹は鎌倉(古河)公房足利成氏より一字を拝領したと伝えられる。十三代長国は、文明二年(1470)島崎氏の菩提寺となる長国寺を創建し、永正十二年(1515)六月十二日に六十五歳で没し、島崎氏中興の英主ともいわれている。
- 戦国時代の島崎氏は同族の他氏をも圧倒し、行方地方を代表する国人領主に成長する。十四代忠幹は、大永二年(1522)に永山城を攻略し、十五代利幹は、同四年に鹿島氏の内紛に介入し義幹追放の一翼を担い、天文五年(1536)には玉造宗幹と合戦に及んでいる。十六代氏幹は、永禄五年(1562)に小田氏治と長者原で戦い、元亀元年(1570)には烟田城攻めに加わり、天正九年(1581)には江戸重通に従い鹿島で合戦をしている。十七代儀幹(安定)は、同十二年に麻生城を攻略し、同十七年には小高城を責めるという動向を伝えている。(平田満男)
文明二年(1470)に島崎長国が創建した曹洞宗の寺院で、山号を大興山と称し、墓地には島崎氏および家臣の墓石などがあり、本尊の聖観音立像は市指定文化財になっている。
甲冑を着けた騎馬武者姿の13代長国の画像で、上方に島崎氏の旗印が描かれ、長国寺殿興山隆公庵主と称されたことが判明する。
図説鹿行の歴史は、潮来市立図書館に蔵書されています。