入り江の小船

ヒマがあったら書く日記。

秋の行楽

2006年09月14日 22時19分11秒 | Weblog

週明けくらいに台風が来るようだ。本当に嫌なことに折りしも私が
お伊勢参りに行く日と重なる。お伊勢参りを順延したいところだが
そういうわけにはいかないのでこの日に強行しなければならない。
気象図を見て秋雨前線に沿って来るんじゃないかと予想していたら
気象庁発表も私の予想とぴったり合ったがひとつも嬉しくない。
現地に着いたら「本日臨時休業」てなことになっていたら無念。

世紀の大工事

2006年09月12日 22時38分29秒 | Weblog

プロジェクトXの黒部ダム建設のビデオを観た。
小学校低学年の夏休みに黒部ダムを訪れたことがあるが
とてつもなく大きいとしか思わなかった。ダムの重要性や
工事の苦労などは知る由も無かった。黒部ダムの難工事の
苦労はとても50分番組で納まるようなものではないと思う。
ダム本体の前の輸送用のトンネルの時点ですさまじく難工事で
殉職者を大量に出して貫通まで何年もかかっているではないか。
トローリーバスの運賃が高いのもそのためなのだろうか?
記念館の資料映像でトンネルが出来る前の徒歩による輸送の
映像が流れていたが、大荷物を背負ってよくこんな所を歩けるなと
思うような悪路を歩いているではないか。落ちたら即死じゃな・・・。

ダムと立山連峰の組み合わせはマチュピチュのような複合遺産で
現代の世界遺産に思える。こういった景色を眺めることができるのは
殉職者と工事従事者の犠牲と苦労の上にあることを忘れてはならない。

吉備国

2006年09月10日 20時44分23秒 | Weblog

地元の造船所が敷地拡大のために町内の山を開発していたら
古墳が発見されたらしい。山といっても沿岸部にある鼻の
地点だ。出土品を市の教育委員会に渡しているらしい。
友人R曰く吉備国が栄えていたから沿岸部に古墳があっても
不思議なことではないらしい。この山の裾野には神社がある。
古墳が発見された地点とは反対の方向ではあるが、何らかの
関係があるのかもしれない。そもそもこの山には祀られている
岩が多い、登山道で簡単に行けれるようなところには祠がある。
吹き抜ける風が涼しく、小学生の頃によくその岩を登って遊んでいた。

一方、最近になって獣道を掻き分けないと行けれないようなところが
あると知った。それは数ヶ月前に友人Rと水源を当てるために
道気なき道を歩いていたら目の前に大きな岩が現れて、冗談交じりに
「ペトログリフを探そう」といって岩を調べていたらペトログリフは
なかったが人間が手を加えたような痕跡が見受けられた。
岩が雛壇状になっている。自然に雛壇状になっているかと思いきや
一定の間隔で楔を打ったような跡がある。建築資材とかで切り出したと
思ったが、この岩自体は建築資材で使えれるような高品質の岩とは
言いがたいものがある。そして、岩の西側の端の下の部分には奥行きの浅い
穴が掘られている。これも自然に出来た穴と考えていたが、潜り込んで
光を当ててみると壁にはやはり楔の跡が点々とある。
この岩の下に超古代のオーパーツがあると考えるのは危険だが、
少なくとも祭祀場であったのではないかと思う。

6月12日付の「エナジーバンパイア」の回で同じ岩の別の画像を
見ることができる。

今夜も凍みるね~。

2006年09月09日 19時53分19秒 | Weblog

冬の日本海側沿岸や東北地方の居酒屋に行くと有線で
石狩挽歌がかかっている。地場の肴と酒に舌鼓を
打っていると地元の常連のオッサンが「どっから来たん?」と
話しかけてくる。風情があっていい光景だ。やはり
冬の日本海の居酒屋には石狩挽歌がBGMに合う。

石狩挽歌の2番に「変わらぬものは古代文字~」とある。
作詞者のなかにし礼が没したら学研の月刊ム○に
「なかにし礼は知っていた!!手宮古代文字の真実」とか
訳の分からん信憑性に欠ける記事が掲載されそうだ。

町内の仙人

2006年09月07日 20時58分24秒 | Weblog

友人Rの父親であり私が生涯学習で通う塾の講師は
仙人そのものである。奇妙な術をするわけではなく、
年に2~3回しか外出しなくて、外出先も郵便局や
銀行、証券会社などの金融機関程度でそれ以外には
足を運ばない。日中は専業主夫をしているが、時間が
あれば哲学書を読んでいる。塾の部屋にもヤスパースが
溢れている。勉強机には聖書が置いてあり、エ○バの
信者では無いが、も○みの塔があるが、なぜか、壁には
弥勒菩薩の面が微笑むという一神教なのか多神教なのか
訳のわからない状態になっている。さらに本人は年中
必要最低限の格好しかしていない。金銭的に余裕が
ないわけではない、本人曰く必要最低限のものがあれば
いいらしい。しかし、金融においてはプロ級である。
普通の人でプロ級ならば株だけで食って行こうとするが、
本人曰く、儲けも必要最低限のものがあればいいそうで
必要以上に追い求めないらしい。この精神は欲からの
解脱というべきなのか、非常に仏教的だ。さらに
元々のカリスマ性と人徳があるらしく、よく様々な人から
相談事や知恵を借りに塾に訪れる。
まさに現代の仙人に思う。