2018/4/14 城郭研究家・長谷川博美先生の案内で小川城、小川中ノ城、小川西ノ城の甲賀信楽の小川3城を見学。徳川家康が本能寺の変で堺から岡崎へ帰る、いわゆる「神君伊賀越え」の時に小川城で1泊したといわれる。
城ではなく付近の寺院に泊ったという説もあり経路を含め、まさに「諸説あり!」状態のようだ。今回も長谷川博美先生の精緻な縄張図と解説によって、密度の濃い遺構の見学が行われた。
3城はわずか600mの中にひしめき合っており、3城が同時に使われていたのか?など未解明の部分もあるようだが、遺構の残りはよく先生の丁寧な解説もあり、期待以上の規模で大満足だった。
小川城 土塁に囲まれた礎石建物跡 礎石の大きさから2階建ての建物が建っていたと推定できると解説が有った。強風の吹く山岳高地での2階建てのため、土塁で風からの保護が想定できるという先生のユニークな発想だった。
小川中ノ城 尾根を断ち切る巨大な堀切 堀切の壁面を滑り落ちながら下る参加者との比較で堀切の巨大さが判る。とても広い面積の曲輪があり、家康が一泊した屋敷が有ってもおかしくない。小川中ノ城に一泊説に一票!
小川西ノ城 クッキリ残る枡形虎口 思わぬ規模の遺構が残る山城で、曲輪を取り巻く長大な横堀と土塁、並び虎口、など山城の要素がぎっしりだったが時間の関係で全部は見切れなかった。
小川3城は、もう一度行きたい山城リストに載せておきたい山城だった。
城ではなく付近の寺院に泊ったという説もあり経路を含め、まさに「諸説あり!」状態のようだ。今回も長谷川博美先生の精緻な縄張図と解説によって、密度の濃い遺構の見学が行われた。
3城はわずか600mの中にひしめき合っており、3城が同時に使われていたのか?など未解明の部分もあるようだが、遺構の残りはよく先生の丁寧な解説もあり、期待以上の規模で大満足だった。
小川城 土塁に囲まれた礎石建物跡 礎石の大きさから2階建ての建物が建っていたと推定できると解説が有った。強風の吹く山岳高地での2階建てのため、土塁で風からの保護が想定できるという先生のユニークな発想だった。
小川中ノ城 尾根を断ち切る巨大な堀切 堀切の壁面を滑り落ちながら下る参加者との比較で堀切の巨大さが判る。とても広い面積の曲輪があり、家康が一泊した屋敷が有ってもおかしくない。小川中ノ城に一泊説に一票!
小川西ノ城 クッキリ残る枡形虎口 思わぬ規模の遺構が残る山城で、曲輪を取り巻く長大な横堀と土塁、並び虎口、など山城の要素がぎっしりだったが時間の関係で全部は見切れなかった。
小川3城は、もう一度行きたい山城リストに載せておきたい山城だった。