城と歴史歩きを楽しむ

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越前・丸岡城   一筆啓上の手紙はどこから出した?

2018-06-19 | 歴史
6月17日は東海古城研究会の見学会で丸岡城、大聖寺城などを訪れた。
丸岡城は、現存天守で松江城に続いて国宝の指定を受けようという熱意を
感じたが、それ以上に「一筆啓上・・・」の日本一短い手紙のアピールが
目についた。
丸岡城は遠景もカッコイイ!

一筆啓上のアピールが目立つ
城内通路にも、毎年の短い手紙コンクールの作品パネルが多数掲げられていた。

新城市消防署の石碑
「一筆啓上火の用心、お仙泣かすな馬肥やせ」の短い手紙は、徳川家康の重臣の
一人だった本多作左衛門重次が、長篠設楽原の戦いで在陣していた長篠(新城市)の
陣中から、岡崎の妻に当てて出した手紙だと言われています。
お仙は、後に丸岡城主となる本多作左衛門の息子だったのです。

碑文
本多作左衛門は「鬼作左」と恐れられた剛の者だったので、家や子供を案じる手紙
との対比が面白いですね。

新城市消防署は「火の用心」の部分を、消防の「火の用心」のアピールに
使っていますが、坂井市は全国的に丸岡城をアピールするのに短い手紙を
うまく使ったということだと思いました。