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近江・男鬼城 高度に発達した戦国期の遺構が残る湖東北部最大級の孤立した山城

2019-07-09 | 歴史
男鬼城は“おおりじょう”と読み滋賀県犬上郡多賀町入谷・彦根市男鬼にあり、男鬼入谷城“おおりにうだにじょう”とも呼ばれます。※近年の自治体名の区分変更前は坂田郡鳥居本町男鬼でした。
 男鬼城の築城時期、城主等は明確に分かっていないようで、その成り立ちには諸説があるようです。

男鬼城の山下の男鬼町集落は近年廃町となり住民は全員男鬼を離れました。男鬼に達する道は複数あるようですが、道路を使う住民が居なくなって、どの道路が安全に通行できるかは確認が必要です。
 今回の投稿は、過日 滋賀県の城郭研究家の長谷川博美先生の案内で訪れた時のもので、先生が下見で確認した道を通りました。


山中の道は狭く曲がりくねっています。道路状況は路肩の崩落などで変動するので安全確認は自己責任でお願いします。
 鳥居本町からの道は落合神社から廃村となった男鬼集落跡を通る道もあるようですが、こちらも安全確認が必要です。

男鬼集落跡から、さらに曲がりくねった道を登ると駐車スペースがあり、付近には比婆神社奥宮への参道、鳥居がありました。


比婆神社奥宮 最近修復された豪華な社殿
人里離れ、廃村となった場所に鎮座する神社があり、豪華な社殿が最近になってきれいに修復されているのに驚きました。


男鬼城 尾根上に三つの曲輪群が並び南北の尾根にも多数の遺構が残る
男鬼城は、東西に続く尾根上にある曲輪群も見どころがいっぱいですが、そこから派生し南北に下る尾根にも多数の遺構が残されています。「図解・近畿の城郭Ⅱ」ではⅠを主郭と想定していますが、長谷川先生はご自身で描かれた縄張図を基に、付随する遺構を検討すると、Ⅱ郭に櫓台がありここが主郭であったと解説されました。確かに周囲の厳重な防御遺構などを見るとⅡが主郭ということがうなずけました。


男鬼城 Ⅰ郭西下の大きな堀切
比婆神社から尾根道をたどってⅢ郭、Ⅰ郭と進みました。Ⅰの手前(西下)には大きな堀切がありました。山全体が岩山なので堀切は岩を削り取っているようです。現況は表面に土砂が薄く積もっているようです。
 幅はありますが、深さはさほどありません。岩であれば、これだけ削るだけでも大変な工事だったでしょうね。


男鬼城 Ⅰ郭 西側の切岸
Ⅰ郭は周囲を削り取って切岸としています。ここから南下の尾根には3段の曲輪と2条の堀切がありました。


男鬼城 Ⅱ郭東下の二重堀切越しに主郭を見上げる
主郭Ⅱの東下の尾根は二重の堀切と長大な竪堀で分断されていました。その先の尾根上にも進行を妨げる堀切が設けられ、東側からの侵入に対する防御施設は入念に築かれていました。


男鬼城 主郭Ⅱ 東下尾根の北側に落ちる長大な竪堀を横切って進む
長大な竪堀を横切って進む見学者ですが、往時の竪堀もっと深かったでしょうから、上部からの守兵の攻撃を受けながら通過するのは難しかっただろうと想像しました。


男鬼城 Ⅲ郭南下に下る尾根の上下二条の堀切の上部堀切 石積あり
Ⅲ郭の南側に下る尾根にも尾根を断ち切る2条の堀切が設けられています。上部の堀切には低い石積が見られました。尾根の表土が落ちて堀を埋めるのを防ぐために設けた土留めのように見えました。


男鬼城 Ⅲ郭下の塹壕状の遺構。 石積で囲われている
男鬼城 写真では見にくいですがⅢ郭の南下の切岸下に円形ので石積で囲われた塹壕状の遺構がありました。Ⅲ郭下の南尾根の2条の堀切を突破してきた敵を迎え撃つための防御施設だった可能性があるとの解説でした。あまり見かけない設備遺構だと思います。

男鬼城は戦国末期の築城技術が使われた遺構がよく残るといわれる巨大な山城で、見どころだらけですが、それだけにシッカリ見学するにはそれなりの体力が必要だと思いました。

どうしてこんな所に、こんな巨大な丁寧な造りの山城を築いたのかとても不思議でした。
男鬼城の東側にはハイキングで人気の霊仙山があり、男鬼城との間には古くからの道があり、軍道としても使われていたとの説明を聞いも「そーかなー」という思いが残るような場所にある見事な山城でした。

当日の資料によると、戦国期をはるかにさかのぼる土器類が表面観察で発見されているそうで、古くから寺院などが有った可能性も否定できないということです。