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後北条氏興亡の城と小田原城の総構を歩く ※東海古城研究会の見学会に参加

2019-07-02 | 歴史
6月15日(土)・16日(日)は東海古城研究会恒例の一泊二日見学会に参加しました。
通常月は日帰りの見学会ですが、年一回の二泊三日の特別見学会と一泊二日の見学会が催され、日帰りではいけない見学先を訪れます。
 今回は「後北条氏興亡の城と小田原城の総構を歩く」をテーマに 静岡県沼津市の興国寺城、伊豆の国市の韮山城、三島市の山中城、神奈川県小田原市の小田原城総構、近世小田原城、石垣山城を訪れました。。

今回はダイジェスト版として各見学先の簡単な説明にとどめ、改めて個別に掲載して行く予定です。


興国寺城 北条早雲(伊勢宗瑞)旗揚げの城として知られる
興国寺城は静岡県沼津市根古屋にあります。新東名高速道路が開通し、駿河湾沼津SICができたので、とても行きやすくなりました。
 北条早雲以後に今川、北条、武田、豊臣、徳川と目まぐるしく城主が入れ替わり修築が繰返されたので、今見る姿は最後の城主である徳川の天野氏の時のものと言えそうです。ただし後世に耕作地化、住宅地化が行われたので、その点を考慮して城郭遺構を見学する必要があるようです。


韮山城 北条早雲が築き、後の秀吉の小田原侵攻の時、長期間持ちこたえた
興国寺城は静岡県伊豆の国市韮山にあります。近年韮山の反射炉が世界遺産に選定されて韮山が知られますが、韮山城は北条早雲が築き終生の居城とした城として知られます。秀吉の小田原侵攻の時には、周辺の山に複数の砦を築き防御態勢を強化したと伝わります。


山中城 見事な障子堀で知られる土の城郭、秀吉の小田原侵攻では一日で落城
山中城は静岡県三島市山中にあります。後北条氏の築城術として有名な障子堀が多用された土の城が、見事に復元されています。障子堀と畝堀の違いなどを確認しながら見学しました。


小田原城総構遺構 総構遺構は時間をかけてもほんの一部しか見学できませんでした
小田原城総構遺構は神奈川県小田原市にあります。小田原城古郭を取り巻く9kmに及ぶ巨大な土塁と堀で、秀吉の小田原侵攻の時に防衛施設として築かれました。今も市街地には一部分が、山沿いには多くが残されています。あまりに巨大であるため、今回の見学会では一部しか見ることができませんでしたが、一日かけてじっくり見たい興味深い遺構が残されていました。


近世小田原城 近世小田原城天守はコンクリートで再建され、門、兵なども復元されている
近世小田原城は神奈川県小田原市にあります。後北条氏の城である小田原城古郭に対して近世小田原城と呼ばれます。常盤木門、銅門などが木造で復元されていました。近年の御用米曲輪の発掘調査で近世小田原城の遺構の下に後北条氏の遺構が眠っていることが発見され、小田原城の歴史が見直されようとしています。


石垣山城 伝説の一夜城は石垣遺構が見どころ
石垣山城は神奈川県小田原市早川にあります。秀吉の小田原侵攻の時に、後北条氏が見たこともなかった石垣の城を秀吉が一夜にして築き、後北条氏が負けを悟ったという伝説の城で、石垣山一夜城とも呼ばれます。現在では、一夜にして・・・は否定され、城は石垣山城と呼ばれますが、観光用には一夜城が相変わらず使われているようでした。

見学会では、担当役員さんが準備してくださった資料に地元ガイドさんの案内・説明も加わって、見学先の理解が深まりました。

15日はあいにくの雨天でしたが、参加者の皆さんの探究心・好奇心は雨を弾き飛ばしていました。16日は打って変わっての好天で、見学のペースも最高で大満足の見学会となりました。

※ 各城郭については当ブログに追々掲載していきます。