小田原城総構、小峯御鐘ノ台西堀は神奈川県小田原市十字にあります。付近の小峰御鐘ノ台大堀切東堀はよく知られており小田原城総構の見どころになっていますので、訪れた方も多いのではないでしょうか。
今回、東海古城研究会の一泊二日の見学会では、東堀だけでなく近年公開された大堀切西堀も見学しました。
小田原城総構 小峯御鐘ノ台大堀切 概略図 図1
小田原市のホームページ上に西堀の載った概略図がありました。東堀は従来から看板が立ち見学コースでしたが、2年ほど前に西堀の整備がされ、見学が出来るようになりました。参加の会員さんの話では、それ以前はブッシュがすごくて、見学ができない状態だったそうです。
見学会では東堀はもちろん、西堀を見学するのをたのしみにしたいました。
小田原城総構 小峯御鐘ノ台大堀切 西堀 大堀切内部から西堀上端を見上げる。
堀幅、深さは写真の人物から推測して下さい。東堀切の規模が大きいと思っていましたが、西堀も同等のスケールで見ごたえがありました。
西堀は総構(北側)に向かって緩やかに下降していますが、途中に水場がありました。往時のものか後世のものか判断できませんでしたが、所々に段差があり往時は畝堀状になっていたのではないかと参加者の意見がありました。
小田原城総構 小峯御鐘ノ台大堀切 西堀を下る 総堀とT字で交わる部分の奥が明るい
西堀の右上には土塁が、左上はの御鐘ノ台の台地です。現況は堀底が平らな箱堀状になっていますが往時は薬研堀だったか箱堀だったかは表面観察では不明でした。
※写真奥の明るい部分が総構と西堀の接点です。
小田原城総構 小峯御鐘ノ台大堀切 西堀と総構の接点 三段の交点が見どころ
西堀を下りきると、総構に出ました。ここで総構の大堀切西、大堀切東とつながりました。
西堀から一段下がって大堀切西、さらに一段下がって大堀切東になっていて、とても興味深い遺構の見どころでした。大堀切東と西の段差は、総構に入った敵の進軍スピードを落とす効果があり、西堀との段差は総構から西堀への敵の侵入を阻止する効果がありそうです。
いずれの場合も上方の土塁上と御鐘ノ台からは丸見えですので、敵はうかつに近づけなかったであろうと想像しました。
小田原城総構 小峯御鐘ノ台大堀切と総構の名称
西堀の下端付近に小田原市教委の案内シートがありました。遺構が多岐にわたるので名称を付けるのが大変だろうなと思いますが、記事のこの付近の名称はこのシートに従っています。
小田原城総構 小峯御鐘ノ台大堀切 総構大堀切り東
総構の大堀切り東は一時期畑になっていたようですが、今は地元有志の方が整備しとても見やすくなっていました。この堀は東に続いているようですが、今回の見学はここまででした。
小田原城総構 小峯御鐘ノ台大堀切 大堀切り西
総構の大堀切り西も一時期は畑地になっていたようですが、今は整備がされて広い堀跡を見ることができました。畑地のために往時の堀は埋められたかもしれませんが、表面観察では判別できませんでした。
小田原城総構 小峯御鐘ノ台大堀切 西堀東上の土塁 右手に西堀 図1参照
西堀の東上には土塁が続いていました。土塁の内側には武者走り状の平面が土塁に沿って設けられています。写真でもわかりますね。付近は耕作地となっているので、あるいは武者走り状の部分も土塁があったかもしれないと考えましたがどうでしょう。
小田原城総構 小峯御鐘ノ台大堀切 図1 ② から中堀を見下ろす。
西堀の見学を終え東堀へ戻る途中に中堀がありました。今は一部が道路になっていますが、堀の遺構はハッキリ残っていました。複雑な形状の堀で守り、土塁を設けた曲輪を構えて強固な防御態勢が築かれていたのが分かりました。
地元ガイドさんの案内で秀吉の小田原城攻撃の秀吉方の仕寄の場所の説明もありましが、かなり離れた場所で陣を構えていたようです。北條方の総構、その他の分厚い防御ラインを前にしてうかつに攻撃できなかったことが想像できました。
今回は、総構の一部しか見学できませんでしたが、各所の大堀切を堪能でき、大満足の見学となりました。
機会があれば総構のすべてを見学したいものだと思いました。