城と歴史歩きを楽しむ

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尾張・一色城 伊勢湾東岸を扼する名門一色氏の城、往時は海が足下まで迫っていた

2020-01-11 | 歴史

一色城は愛知県知多郡南知多町内海にあります。一色城は三河吉良荘一色(西尾市一色町)を本願の地とする足利一門の一色氏が知多半島の大野城を1350年ごろに築いて進出し、その後この地に一色城を築き一帯を領有したとされます。 
 一色城は知多半島の丘陵先端部の高台に築かれ、往時は北側は伊勢湾が入り込んで伊勢湾東部を扼する重要な港(内海港)を有する場所にあったと思われます。

 
一色城 周辺地図 泉蔵院の駐車場Ⓟ 登り口は西と北にある。 国土地理院地図をカシミール3Dで加工・加筆
 今では海岸の埋め立てが進み内海川が取り残されています。現在内海川の河口部に内海港がありますが、往時は伊勢湾が深く入り込んでいて、良い港があったものと思われます。西側も城地の高台下まで伊勢湾が迫っていたと思われます。


一色城 泉蔵院東側の階段。西側にも展望台への道がある
 泉蔵院の境内地は
一色城の曲輪の一部だったとされます。山下の泉蔵院の駐車場に車を停めさせていただいて見学に向かいました。


一色城 主郭に立つ案内板の縄張図を抜粋して加工・加筆
 展望台になっている場所は一色城のⅡ郭とされます。往時も伊勢湾を行きかう船をすべて見ることができる絶好の位置で、見張台が設けられていたのではないかと想像出来る眺望が開けていました。


一色城 主郭Ⅰ 平坦面には案内板が設置されている
 一色城の城域は知多半島の台地の尾根状の突き出している場所にありました。後世の農耕地として利用されていたようで、主郭Ⅰ周辺には農業用の施設が残されていました。主郭Ⅰの部分は笹薮が刈り取られていました。城址見学のために整備していただいているのかもしれませんね。


一色城 平坦面には後世の農業用施設が残されている
 曲輪の平坦面は、貴重な耕作地として後世には利用されてきたようですので、城址遺構は改変を受けているようでした。


一色城 Ⅰ郭の東側には土塁Bと堀切Aがあるが、不明瞭   笹薮を這って進む同行者
 Ⅰ郭の東側の平坦面は、笹薮で今は覆われていましたが、通路状に笹薮が切り取られて細い道になっていましたので這って進みました。耕作地だったであろう平坦面は現在使われていないようなので、見学用の通路でしょうか?
 遺構の地形は笹薮に覆われていましたので目視では何とか見えましたが写真では判別できませんでした。

一色城は、その歴史の興味深さに比べて現地遺構は後世の改変もあって、明瞭ではありませんでしたので、やや物足りない城址見学となりました。
 但し、城域に建つ泉蔵院と慈光寺の見学は意外に面白かったので、一色城を訪れた際にはこちらも参拝して見学すると良いと思いました。