城と歴史歩きを楽しむ

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美濃・刈安城 旧中山道の重要拠点として美濃と信濃のせめぎ合いの伝承が残る山城

2020-04-18 | 歴史

刈安城は岐阜県瑞浪市釜戸町権現山にあります。
 築城と城主にまつわる応仁の乱から関ケ原の戦いまでの間の多くの伝承が残されているようですが、いずれも確証が得られていないとされます。
 どの時代にも旧中山道を抑える重要拠点としての役割があり、美濃に侵攻する小笠原氏や武田氏に関わる伝承になっているようです。
 今回は「岐阜県中世城館跡総合調査報告書」「信濃をめぐる境目の山城と館」「岐阜の山城ベスト50を歩く」を参考資料として出掛けました。


刈安城 旧中山道の大久後立場から権現坂、鞍骨坂を登って刈安神社参道の石段に出る
 旧中山道を東から進み権現坂、鞍骨坂を登ると権現山の山頂部に祀られる刈安神社の参道の石段が有りました。城址は刈安神社に接しているということで、この石段を登りました。写真の右側(道の反対側)に道路余白が有りましたので駐車しました。※駐車は自己責任で!


刈安城 刈安神社参道途中の石の祠
 権現山の名前が示すように、古くから信仰の場として大切にされてきた場所に刈安神社は造営されていると思われます。参道にも信仰の対象としての祠が祀られていました。


刈安城 概念図 国土地理院地図をカシミール3Dで加工・加筆
 刈安城は刈安神社の背後に遺構が残されていました。現在刈安神社が造営されている場所③も曲輪の一つだったとされますが、神社造営時に石垣を積んで平坦面を拡張したらしく、往時は狭い曲輪だったようです。


刈安城 刈安神社の敷地③も曲輪跡。社殿背後に烏帽子岩が聳えているのが見える
 社殿造営時に改変されたため③には遺構らしいものはほとんど見当たりませんでした。それにしても、地区の人口減少や高齢化でもこの山上の社殿を今後も維持していけるのか他人事ながら心配になりました。


刈安城 刈安神社社殿裏の井戸
 刈安神社の社殿の裏には小さな井戸が有りました。今も水が見えましたが、城郭遺構なのか神社関連なのかはわかりませんでした。


刈安城 堀切A 烏帽子岩と①郭の間の堀切は見どころ!
 刈安城の見どころはこの堀切です。①郭と③郭を分離するために築かれたと思われます。
主郭①の周囲には土塁がなく、防御の設備は堀切Aと①郭周囲の切岸でした。


刈安城 土塁Cの切れ目D 虎口か? 山道による改変か?
 主郭①の西下には帯曲輪②が主郭を取り巻いています。その外側の西尾根側には土塁Cが築かれていました。土塁Cには虎口状の切れ目Dが有りました。


刈安城 土塁Cと虎口状切れ目D  北から
 土塁Cの虎口状切れ目が城郭遺構か、後世の山道での改変かはハッキリわかりませんでした。主郭①の西端部には虎口形状の遺構がありましたので、Dに虎口があると侵入しやすいので虎口ではない可能性を感じましたがどうでしょう。 ※資料では土塁Cの北端部が虎口としているものがあります。

刈安城の北東約300mの尾根の先端部には五郎塞(五郎小屋砦)と称する遺構がありますが、刈安城との関連などに興味深いので改めて取り上げたいと思います。