尾奈砦は静岡県浜松市北区三ヶ日町下尾奈にあります。浜名湖の北西部の猪鼻湖に突き出した本城山の山頂部に位置し、南北朝期に築かれたとも戦国期に今川氏の配下で築かれたとも伝わります。
尾奈砦の北約1㎞の山下にある尾奈居館のとの関連も考えられるようです。
今回の資料は(1)『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会 1978 と (2)「今川氏の城郭と合戦 水野 茂編著2019」です。
尾奈砦 周囲はミカン園が開発され、旧道は失われた。尾奈居館への尾根道を想定して下山
尾奈居館から砦に向かう道は、尾奈から横山へ抜ける旧道とAルートが考えられますが、旧道は今はミカン園が開発されフェンスだらけとなって、辿ることはできませんでした。今回下山時に通ったAルートからの尾根道は、尾奈居館への最短距離となる道で、かろうじて踏跡が在りましたが山麓部は大規模な土取りで道は不鮮明になっていました。
尾奈砦 ハイク道で東側は改変が見られるが西側の堀切、虎口などは見どころでした
資料(1)によれば尾奈の地は平安中期以降神宮領で、南北朝期に庄官 県氏が井伊氏の命により千頭峯城の南方を監視する拠点として築かれたとされます。資料(2)では1500年代初頭に今川氏が侵攻して西方の国境警備のため築かれたのであろうとし、今川氏が三河へ侵攻する際には兵站基地となったと想定しています。
尾奈居館との関連を考えるとルートはAになると思います。Bのルートは、Ⅰ郭にある朽ちかけた説明板から昭和50年代にハイキング道として開発された猪鼻瀬戸方面への道ではないかと思いました。
尾奈砦 堀切①、②と土橋b 西から 奥にⅠ郭 見どころの堀切です
ルートAで登り、東西方向の尾根に出て、aを通りハイク道の踏跡を東に進むと両側に大きな堀切を備えた土橋bに出ました。山頂部に削平地がある程度と思いこんで登ってきたので、こんな遺構に出会えて嬉しくなりました。
尾奈砦 堀切① 南下から 上部に土橋b
幅約8mの堀切①は少し埋まっているようですが、明瞭に確認できました。砦の東側は猪鼻瀬戸へ切れ落ちる急斜面で侵入困難ですから、尾根続きの西側の防御施設を厳重にしていたようです。
尾奈砦 堀切②と③ 北下から ②と③には段差がある
上段の堀切②と下段の堀切③の間には段差がありました。段差の意味はよくわかりませんが、ヒョットすると②の最下部の狭い平場が堀切④につながる通路になっていたかも知れないと想像しましたがどうでしょう。
尾奈砦 Ⅰ郭の虎口⑤ 南東から
Ⅰ郭の虎口⑤は、一度折れてⅠ郭へ入る坂虎口でした。こちら側から見るとブッシュでわかりにくいですね。
尾奈砦 Ⅰ郭 虎口⑤ 北上から 虎口が掘り込まれているので右側に堀残しの土塁地形がある
Ⅰ郭内部から見ると虎口⑤は明瞭な遺構が残っていました。ハイク道はここを通っていないので往時の姿がハッキリ残る見どころでした。図2では虎口⑤の西側を土塁地形としましたが、実際には細く削り残されている地形です。
尾奈砦 Ⅰ郭 136.4mの三角点、土坑⑥があるが周囲を囲む土塁は見当たらず
最高所に位置するⅠ郭からの展望は樹木がなければ素晴らしかったと思います。資料(1)では南方の東海道を監視する場所だったとされていますが、浜名湖一円と南の太平洋も見える場所だと思います。土坑⑥は井戸の機能は無さそうで、虎口⑤に関連するものではないかと思いました。
尾奈砦 Ⅰ郭 東辺の虎口状地形⑦ 不鮮明な地形
Ⅰ郭の東側はハイク道などで改変がありましたが、ここには現在ハイク道は通っておらず虎口だった可能性がありそうな地形でした。風化が激しく不鮮明な地形でした。
尾奈砦 Ⅰ郭の石列⑧ 東から ハイク道に伴うもののようだ
Ⅰ郭の北東部には写真のような石列が在りました。周囲の関連から見ると後世のハイク道に伴うもののようです。ハイク道がこちら側だとすると、⑦の地形は虎口と考えても良いかも知れませんね。この他にも東側の斜面には小さな平場がいくつも在り、中には炭焼窯の跡らしい地形⑨も在りました。
尾奈砦 ルートB ハイク道?
東側斜面には山下の猪鼻瀬戸方面から登るハイク道があるようですが、今回はここまでしか確認していません。ハイク道はⅠ郭の石列⑧のある道に通じていました。
その他、尾奈砦の南斜面には平場群⑩が在りました。城郭遺構にも見えましたが、自然地形か、後世の改変か わかりにくかったです。
今回は、想像以上の規模の遺構が確認でき良かったです。
居館と砦の関連は北尾根の尾根筋に城道があったと考えても良さそうな印象でした。資料(2)にある兵站基地としての機能は、ゆるやかなaのピーク周辺も含めたものかも知れないと思いました。