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城址山砦 美濃 木曽川からの比高200m 重要な渡河地点を監視する砦

2022-10-13 | 歴史

城址山砦は岐阜県恵那市長島町久須見山中にあります。地元で常視山(じょうじやま)と呼ばれる尾根の先端部に所在します。南北朝時代に北朝側によって築かれたという伝承があるようですが、築城時期や城主は明確ではなさそうです。今回の参考資料は (1)「信濃をめぐる境目の山城と美濃・飛騨・三河・遠江編」宮坂武男編2015と (2)「岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第三集」岐阜県教育委員会2004 などです。なお資料(2)では城址山遺跡となっていました。


城址山砦 北側の眼下を流れる木曽川の渡河地点を見通せる
 城址山砦からは木曽川の渡河地点がある本郷地区や対岸が見渡せ、敵対する木曽川右岸の勢力の渡河を監視する機能が在ったと思われます。現在は樹木で見えませんがカシミール3Dの見通し機能で渡河地点が見えるのが確認できました。笠置橋は大正時代にかけられた橋で、それまでは渡し舟が使われていたようで、明治の地図を見ると笠置橋は無く、渡船場の記号が記入されていました。

Stanford Digital Repositoryより 明治44年の旧地図
木曽川渡河渡船場の地点に大正15年に笠置橋を架橋、それまでは渡し舟が使われていた。


城址山砦 城の所在する尾根の両側には古くから道があった
 城址山砦の南約800mに宇城があり元屋敷の地名が伝わります。ヒョットすると宇城に居館があり城址山砦はいわゆる詰の城の役割もあったのではないかと思いましたがどうでしょう。なお資料(1)では宇城は うしろ=後ろ で現在宇城といわれている場所の前に居館が在ったのではないかと述べています。なるほど、ですね。


城址山砦 駐車スペースからは藪漕ぎもある
 図2で示した林道を途中まで車で進み、道が途絶えたところから歩きました。途中藪漕ぎもありましたが鉄塔が大きな目印でした。


城址山砦 堀切地形B 西下から  尾根の片側を削り取っている
 堀切地形Bは尾根の片側を掘り切っていますが方形に近い形状で、堀切の役割だったのか疑問も残りました。


城址山砦 堀切A 西から  見どころです
 幅5m、深さ2m程の堀切で南側尾根を断ち切っていました。この堀切Aを見ると堀切地形Bは位置的にも中途半端に見え、堀切と断定できない地形に思えました。


城址山砦 堀切Aの南側の土塁① 東から
 土塁①は堀切Aから掘り上げた土を盛り上げたように見える土塁でした。


城址山砦 主郭Ⅰ 南部に櫓台状の土壇がある
 主郭にあたると思われるⅠ郭は曲輪の南部に櫓台状の高まりがありました。


城址山砦 Ⅰ郭  南部の櫓台状の高まり 
 土壇状の地形は堀切Aとの組み合わせで南側の尾根筋へ備えていたように見えました。敵の侵入があるとすれば、主に南側の尾根筋からと考えられていたのでしょうね。


城址山砦 Ⅰ郭から平場②へ下る虎口状の地形 奥下に平場②  Ⅰ郭上から
 Ⅰ郭と平場②は切岸で区切られ、坂虎口状の通路がありましたがあまり明瞭ではありませんでした。


城址山砦 平場③-平場②間の切岸   手前に平場③  奥上に平場②    北から
 平場③-平場の間は切岸で区切られていました。


城址山砦 Ⅰ郭西辺の犬走 北から
 Ⅰ郭の東西の両側には犬走地形があり、Ⅰ郭の東西の切岸を造り出しているように見えました。


城址山砦 Ⅰ郭東側の犬走 北から
 Ⅰ郭東側にも犬走地形があり、Ⅰ郭東辺の切岸を造り出している様に見えました。


城址山砦 北尾根の地形 平場もあるが岩がゴロゴロで自然地形に見える
 北尾根の平場③よりも北側の尾根上には自然地形と見える平場に写真のような岩がゴロゴロで、城郭遺構ではなさそうでした。

城址山砦は北側の木曽川の渡河地点や対岸の動きを見張る役割と同時に城址両側の道を扼し、南側の元屋敷の居館の詰城としての役割もあったのではないかと想像しながら楽しく見学ができて良かったです。