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平尾城 伊勢 道路で分断された名門千種氏の城 意外に残る遺構を楽しむ

2024-11-24 | 歴史

平尾城は三重県四日市市平尾町にあります。南北朝期に後醍醐天皇の元で活躍した千種忠顕の子孫で、一帯を領していた千種城の千種常陸守忠治が築城したと伝わります。城域は近年の道路敷設で主郭部分を貫通した道路によって消滅した部分がありますが、残された城郭遺構は意外に興味深く見学できました。今回の参考資料は(1)「三重の中世城館跡」三重県教育委員会1976 (2)「再発見 北伊勢国の城」伊藤徳也著2008 などです。※千種城は→こちら

平尾城 三滝川の沖積地の段丘崖を背景にした北に向かって構えた城郭
 平尾城の西側を流れる三滝川に削られた段丘上に城址はあり、北西約7㎞にある千草城と連携してさらなる勢力拡大に備えたのではないかと想像しました。

平尾城 北東方向から見ると、平城で道路が貫通している
 近年敷設された道路が見事に貫通して、城郭遺構を分断していました。

平尾城 Ⅰ郭(主郭)の中央部を道路が分断している
 資料(1)および(2)の縄張図が描かれた時点では道路は無く、Ⅰ郭は低い土塁が四周を取り巻いていた。

平尾城 Ⅰ郭の中央を道路が通る 北東から
 約7mある段丘崖を削って道路が敷設されていますので奥の三滝川に向かって坂道になっていました。左側にⅠ郭の曲輪面が少しと低い土塁が残されていました。

平尾城 Ⅰ郭  南東側の残存部分 北から  南東辺の土塁①が見える 道路部分がⅠ郭の中心部
 伊勢の城郭の土塁は低い場合が多いように思いますが、平尾城の土塁も築城時から低かったように見えました。それにしても、見事に主郭の中心部が削り取られています。

平尾城 Ⅰ郭南東辺の土塁①と開口部② 左側にⅠ郭の中心部があった
 Ⅰ郭の南東辺の土塁①は残存し、開口部②も残っていました。開口部②は往時からあったとすれば搦手口ということになりますね。

平尾城 土塁⑦ 右に横堀⑧ 南から
 平尾城を取り巻く土塁は風化を考慮しても全般的に低かったようで、土塁を取り巻く横堀も浅かったようでした。

平尾城 主郭の区画A 
 Ⅰ郭の虎口付近に土塁で三方を囲まれた区画Aが在りました。元々はⅠ郭を区切る様に土塁が南に延びていたのかもしれません。

平尾城 Ⅰ郭虎口と土塁 横堀
 Ⅰ郭の虎口はいわゆる平入虎口で、土塁の外側には土塁の土を掻き揚げたような浅い横堀がありました。Ⅰ郭へはⅡ郭を通らないと入れないようになっていたようです。

平尾城 Ⅱ郭虎口⑤は改変で広ろげらたか
 資料(2)によると、Ⅱ郭の開口部⑤は幅広で後世の開削とされます。資料(1)の図を見るとⅠ郭の虎口よりも開口部がむしろ狭く描かれています。二つの資料の作成されたのに30年の時間差がありますのでその間に虎口⑤は開削されて広くなったのではないかと想像しましたがどうでしょう。

平尾城 井戸③

平尾城 井戸④
 平尾城には井戸が3ケ所在ったとされ資料(1)、(2)ともに描かれていましたが、aの位置に描かれている井戸は見つけられませんでした。

平尾城は西側を段丘崖に守られた平城で少し前まではほぼ完存状態だったようですが、道路の敷設で失われた部分があり少し残念でしたが、残された遺構も多く興味深く見学ができてよかったです。


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