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鶴ヶ城 美濃 大堀切が見どころの鎌倉期に築城され戦国期まで改修が繰り返された山城

2024-10-19 | 歴史

鶴ヶ城は岐阜県瑞浪市土岐町鶴城にあります。鎌倉時代に土岐氏が築城したと伝わり、織田信長によって後に改修が行われたとされます。城の築かれた地山は砂岩の岩盤で、これを削り出した切岸が守りの要となっているようですが、背後の尾根を大きく掘り切った大堀切の規模は圧巻で見どころでした。土岐氏の時代には南東約2.5㎞にある土岐氏の居館である一日市場館の詰城だったともいわれます。今回の資料は(1)「岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第三集」岐阜県教育委員会2004 (2)東海古城研究会会員さんの調査資料 (3)「東美濃の山城」東美濃歴史街道協議会のパンフレット などです。
鶴ヶ城 土岐氏の本拠地一日市場館が2.5㎞先に見える尾根上に占地されている
 資料(3)で鶴ヶ城と呼ばれるのは「縄張りが鶴翼を広げたように見えることから」とされますが、資料(1)によると高野城・神篦(コウノ)城・土岐城とも呼ばれるようで、神篦(コウノ)は付近の地名で難読なので、高野は当て字ではないでしょうか。高野は信長が甲州侵攻時に宿泊したと伝わり、付近の高野口では武田信玄と森 長可が合戦したとも伝わります。

鶴ヶ城 鶴翼の先端部分は中央自動車道によって大きく削られた 残念!
 資料2では、往時の姿を残した写真と地形図が紹介されていて、大変貴重な資料ですが、中央自動車道の工事で改変を受け、今は想像するしかない地形もありました。

鶴ヶ城 登城坂入口 東から 登城路は中央自動車道によって消滅
 かつては集落内の道からの登城路があったようですが、現況は登城坂入口が残るのみでした。登城路はここから側道沿いの現在の登城口につながっていたと思われます。

鶴ヶ城 ひなたGISの岐阜県CS立体図で地形を見る
 岐阜県はひなたGISにCS立体図がありますので参考までに鶴ヶ城を見てみました。大堀切などの細部までは確認することが出来ませんが、縄張のイメージを掴むのにはありがたい情報だと思います。※ひなたGISは→ちら

鶴ヶ城 側道からの登城口 城址碑、案内板などがある
 登城路は入口からよく整備され、比高約130mは途中の遺構を見学しながら楽に登れました。

鶴ヶ城 登城口に立つ縄張説明図から抜粋加工
 資料(2)を作成した東海古城研究会の会員さんの尽力で、城内の案内板や道標などの整備が行われているようで、見学路整備と併せて見学し易くなっていました。なお駐車は秋葉組集会所の広い駐車場が安心で、おすすめです。

鶴ヶ城 西出丸の腰曲輪(伝馬場) 右上に西出丸
 西出丸の先端部は中央自動車道で少し削られましたが、かなりの部分は残っていましたので興味深く見学できました。腰曲輪は細長い曲輪ですので馬場の伝承が残ったのではないかと思いました。西出丸の先端部からは一日市場館跡の神社の社叢が見えました。

鶴ヶ城 尾根を断ち切る大堀切は圧巻 右上に本曲輪 人物と比較 見どころです!
 地山の砂岩の尾根を掘削した大堀切は本曲輪側の切岸がほぼ垂直で、守りの要としての堀切を見ることが出来ました。

鶴ヶ城 大堀切と本曲輪の切岸 北西から
 逆サイドから大堀切を見てみました。どちらから見ても見どころでした。※大堀切へは本丸周辺からは切岸がきつくて降りられませんので、図3の西出丸北側の周遊路分岐点からの通路で大廻りして見学しました。

鶴ヶ城 御殿場 東西の尾根に挟まれた大きな平場
 鶴ヶ城は土岐氏の一日市場館の詰城といわれますが、御殿場や本曲輪などの平場の面積の広さを見ると、土岐氏の時代よりも後に改修され、居館に相当する建物もあったのではないかと想像しました。

鶴ヶ城 「謎の穴石」 御殿場付近にある穴石は??
 石をくり抜いた同様の石は他所で見ることもありますが、旗立石とされたり門柱石とされたりで、明確な用途がわかる場合は少なそうです。ここでも「謎」として、結論が出されていませんでした。穴石が一つしか見つかっていないとすると、御殿場の入口付近ですので、片開きの扉があったのかもしれないと思いましたがどうでしょう。


鶴ヶ城 葵の井戸 落城の際お姫様が身を投げたという伝説がある

 本曲輪に向かう登城路の途中に、規模の大きな井戸跡がありましたが水は見られませんでした。井戸にお姫様が身を投げたり、金の茶釜を投げ込んだ伝説はあちこちで見かけますね。

鶴ヶ城 東出丸 北東から 奥に先端部
 東出丸も中央自動車道で先端部が削られ資料(2)に見える帯曲輪等の遺構が失われましたが、かなりの部分が残されていました。

鶴ヶ城 城域西側の土塁と切岸 南から 奥上に本曲輪 ここも見どころ!
 図3のように、城域の西側には西出丸から本曲輪までの間に土塁が延々と続いていて見どころでした。城域東側に比べて西側の地形がやや緩やかで切岸を補う意味で土塁が設けられたように見えました。

鶴ヶ城 本曲輪 西から 手前に土岐頼兼神社が祀られている
 本曲輪には土塁が在りませんでしたが、急角度の切岸で守られた曲輪となっていました。ここからは広範囲が見渡せ、重要な拠点だったことが窺がえました。本曲輪には鶴ヶ城の案内板が立ち、土岐頼兼神社、城豊稲荷が祀られていました。

鶴ヶ城は拠点城郭として、戦国合戦の歴史にたびたび登場しますが、それにふさわしい城郭遺構として大堀切や地山の砂岩を削りだした急角度ので高い切岸などの興味深い見どころがてんこ盛りで、楽しく見学ができました。


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