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美濃・取手平砦 間道を監視する砦か? 堀切は山道の切通しか?

2021-05-21 | 歴史

取手平砦は岐阜県恵那市三郷町野井にあります。取手平は「とりでだいら」と読みます。
 遺構の評価は資料によって異なっていて、岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第3集 岐阜県教育委員会 2004 「(資料1)」では作図はされているものの尾根を断ち切る堀切地形は山道の切通しで、遺構は「城館跡類似遺構」と評価し、明確な遺構は見られないとされています。一方 「信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編」宮坂武男編2015「(資料(2)」 では遺構は砦跡と評価して作図がされていました。


取手平砦 図1  遺構位置と旧道を加筆   
 資料(2)では取手平の伝承名から砦跡と見なして良いとし、土岐川上流の谷間の間道を監視する役割の砦であろうとされています。旧地図を見みると間道は描かれていませんので想定して書き入れてみました。
東側にはノロシ場の伝承がある、どろのき遺跡がありますが、関連は不明となっていました。
 北側の恵那方面から、南方の岩村、山岡、明智へ抜ける南北の道が何本もありましたので、今は失われた間道があり、監視する見張りの砦があったかもしれないと想像しました。


取手平砦 図2  砦はⅠの遺構と思われるが⑤⑥にも石積と平場地形がある
 資料(2)ではⅠ郭と周囲の図が描かれていますが資料(1)では⑤と⑥も描かれていましたので両方を見学しました。


取手平砦 尾根を断ち切る堀切   山道の切通し?  左手のⅠ郭
 山城では堀切が山道の切通し道になっている場合が結構ありますが、ここの場合、切通し道としては広すぎるようですし、前後の道のつながりもハッキリしていませんでした。


取手平砦 Ⅰ郭南辺の土塁①と堀切②   東から
 Ⅰ郭の土塁①は堀切②で掘った土を積み上げた典型的な、かき揚げの土塁でした。


取手平砦 南西尾根から奥のⅠ郭を見る 手前に堀切②と土塁①
 遺構は尾根先端を堀切②で断ち切ったシンプルな構造でした。


取手平砦 Ⅰ郭  南西から
 Ⅰ郭の平面の削平は滑らかではなくいわゆる不整形な状態でした。西辺側が高いように見えますが加工された地形かどうかは明確ではありませんでした。


取手平砦 Ⅰ郭北東下の平場③ 右上にⅠ郭
 Ⅰ郭の尾根先端部には切岸がありその下に平場③がありました。平場には防御性はありませんので切岸を削り出すのが主な目的だったのかもしれません。


取手平砦 Ⅰ郭東辺の犬走り 2段ある
 犬走りはもう少し広ければ帯曲輪と言うのでしょうが、ここでは「犬走り」が 適切だと思います。犬走りを削り出すことによって切岸を造り出しているように見えますね。


取手平砦 資料(1)の石積⑤ 北西から   石積の目的は?
 Ⅰ郭の南西には少し離れて資料(1)で描かれている石積⑤と平場⑥がありました。北西方向の尾根を巻いた山道があり、その土止めのように見えますが付近には石積に使うような石が見当たりませんでしたので、わざわざ人力で運んで積んだということだと、随分な労力をかけたものだと思いました。その山道も明確には残っていませんでしたので石積の目的が謎でした。


取手平砦 資料(1)の平場⑥ 南から
 ⑤の石積の上部には平場がありました。この平場の土止めのために石積⑤を積んだとすればⅠ郭と関連のある遺構ではないかと思いますが、どうでしょう。
 
取手平砦は小規模、シンプルな遺構でしたが離れて存在する石積⑤と平場⑥など、謎が残りました。明確な歴史は不明ですのでアレコレ想像をたくましくして楽しむことが出来ました。