宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

例えばこんな【9】

2023年09月04日 09時10分58秒 | つくりバナシ
例えばこんな【9】




1976年5月
 大学2年生の春、学友がセッティングした合ハイの人数合わせに駆り出された。
相手は、国立音楽大学の1年生グループだった。
奥多摩でハイキングをして、夜は、新宿の【acb】で飲んだ。

僕は極力大人しくしていたのに、たまたま送って帰る電車の中で隣り合わせた女性と話が合った。
それは、腰の辺りまで伸びた綺麗なストレートの黒髪を真ん中で分けたヘアスタイルが素敵な子だった。
僕がこれまでつきあったことのないタイプ。

山梨県出身の秋田理恵子という名で、リコという愛称で呼ばれているのだと教えられた。
それまで過ごした半日の間、一度も会話を交わさなかった遅れを取り戻すかのように僕たちはどんどん喋った。
が、やはり時間が足りない。
だから、次の機会に話の続きをしようと、ごく自然に電話番号を聞いた。

 リコとは、その後何度か会った。
夕暮れ時の井の頭公園、夜の国立の喫茶店、昼下がりの国立音楽大学にほど近い彼女の部屋。
音大の生徒らしく、部屋にピアノがあって、荒井由実の曲を弾き語りしてくれた。
そのとき、特技を持ってるって、なんて素晴らしいことなんだと思った。
その点、僕はどうなんだろう?なんにもないんじゃないか?
そんな思いにも駆られた。

 でも、ときめきは続かなかった。
リコの部屋には電話があるが、僕の部屋にはそれがない。
なので、僕の方から電話を掛けなければ、連絡の取りようがない。
それをいいことに、自然消滅もアリじゃないかと思っていたんだ。
考えてみれば、随分と勝手な話だ。

 僕は幡ヶ谷の【みどり荘】というアパートに住んでいた。
そして、その駅前の【稲毛屋】という酒屋でバイトしてた。
そこは、代々明治の和泉校舎に通う学生がバイト生として雇われていて、僕も学生課の告知を見て応募したのだった。
夕方から閉店の20時まで、店番と近くのエリアの配達を任されていて、仕事を上がった後にはいつもそこの店主であるおばあちゃん手作りの夕食をいただいて帰る。
この夕食がありがたかった。

 ある雨上がりの夜、稲毛屋を出て、踏切を越え、その向こうにある甲州街道を越える歩道橋を渡り切り、階段を中ほどまで降りたところだった。
後ろで咳払いをする声がする。
思わず振り返ると、最上段に傘を持ったリコが立っていた。

「どうした、もしかして待ってたの?」
「うん、ちゃんと話がしたくて」

 それから、部屋に着くまでの道のりを、僕たちは無言のまま肩を並べて歩いた。
リコが僕の部屋に来るのはこれで二度目。

一度目は、合ハイに行ったメンバーと、新宿で再度飲んだ帰りに寄って、結局泊まって帰った。
僕のパジャマを着た姿がとても可愛かった。
でも、普通に一緒に寝ただけで、変なことはしなかった。
僕は、純粋だったし、リコは思いっきりウブだった。
しなきゃいいってもんでもないんだろうけど。

「もう随分、電話をくれないから来ちゃった」
「・・・」
「なんで電話をくれないの?」
「ごめん」
「謝られても困る」
「このままいくと、君を傷つけるかも知れない」
「・・・」
「これまで言い出せなくて・・・」
「もう逢えないってこと?」
「その方がいいんじゃないかな」

「いやだ」
「こんな感じの男でもいいのかな」
「いい」
「西村さんがその気になるまで待つから」
「・・・」
「・・・」

結局押し切られてしまった。
結論を出せないまま、つきあいは継続のカタチに。

そしてその後、リコの情熱にほだされる感じで男女の関係になった。
だって、やっぱりセックスは気持ちが良いんだもの。
マシュマロの様に白くて柔らかいリコの肌はむっちりとして吸い付く様だ。
その上で、リコはどんどん上手になっていった。
僕はそんなセックスに溺れていたと言ってもいいかも知れない。
都合の良いときだけ呼び出してセックスする。
僕は、いつしかリコを【都合のいい女】として処していた。


全体像


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