宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

例えばこんな【8】

2023年09月03日 09時53分12秒 | つくりバナシ

例えばこんな【8】

 楽しい時間は、あっという間に過ぎる。
そして、どんどん終電の時刻が迫ってくる。

僕は少なからず焦っていた。
このまま別れたら、もう次はないんじゃないか?

ケイは、変な男のペースに巻き込まれておかしなことになったなんて、後悔するんじゃないか?
そもそも、夏の夜の夢のような出来事なんだから、幻のようなもの?
事実、当の本人である僕自身が、まだ夢の中を彷徨ってる気分なんだから。

でも、いずれは帰らなきゃならないし、ずっとこのまま一緒にいる訳にはいかない。
う~ん、どうすりゃいいんだ。

ええい、ままよ。

 サムタイムを出て、吉祥寺駅に向かう途中で、僕はこう切り出した。
「送るよ」
「でも、遠回りになるから」
「いいんだ、だって、元々遠回りの続きなんだから」
「ホントだ。私、送ってもらう途中だったんだ」
ケイはそう言うと、如何にも楽しそうに笑った。

 中央線で新宿まで出て、山手線に乗り換えて一つ目、新大久保駅で降りる。
この区間は日本一距離が短いらしい。

「ありがとう。お陰でとても楽しかった。もう、すぐだから、今日はここで・・・」
ケイの言葉を遮るように僕は言った。
「ケイの部屋が見たい」
「え?」
「このまま別れたくない」
「でも、部屋、散らかってるし・・・」
「いいよ、一緒に片づけてやるよ」
「それは恥ずかしい」
「じゃあ、外で待ってる」
「・・・」
「・・・」

 深夜の新大久保の駅前で、僕たちの延長戦開始だ。
「わかった。じゃあ、そこの喫茶店で待ってて。大急ぎで片づけてくるから」
と、意を決したように告げるケイ。

「うん、慌てなくていいからな、ゆっくり待ってるから」
と、一安心の僕。

僕たちはその喫茶店の前で、一旦別れる。

 終夜営業のその喫茶店は、まるでそれのみがウリだとでもいわんばかりで、オーダーを取りにきたウェイターにも覇気がない。
まあ、いいや、どうせ僕だって、珈琲を飲みたくて来た訳じゃない。
通りがよく見渡せる窓際の席に座った僕は、取り敢えず新聞なんぞを読むフリをしてみるが、全然記事が頭に入ってこない。
そうなんだ、僕の頭の中は、もうケイのことでいっぱいで、他のことは入り込む余地がないくらいなんだ。

 このままケイが来なかったらどうしよう。
アパートがどこにあるか知らないんだから、僕はそこから先へは一歩も進めない。
考えてみれば、ケイは、律儀に迎えにくる必要はない。
このままうっちゃっとけば、僕はトボトボ帰るだろう。
それで、後腐れ無く縁切りが出来る。

僕はこんなにネガティブな男だったんだろうか?
自分で自分が嫌になるくらい、マイナスイメージを思い浮かべてしまう。
恋は人をネガティブにする。
いや、恋は人の本質をレリーフする。

 30分が過ぎた。

もう終電も終わっただろう。
ま、いいや、来なけりゃ来ないで、始発の時刻までここで雑誌でも読んで帰ろう。
ここまででも充分だ。
楽しかったし、滅多に出来ないような経験をさせてもらった。
感謝しこそすれ、恨むなんてことは絶対にやめよう。
『おお、ポジティブ、やるじゃん、それでこそオレ』

なんて、殊勝なことを考えつつ、腹の中では、まだ来ない、なんで?なんて、ヤキモキしている。
小さな男だ、僕は。
切ない恋は人を小心者にさせる。

・・・1時間が経った。

 終電も終わり、通行人もまばらになった通りをずっと眺めていた。
諦めたり、励ましたり、心の中で葛藤しながら。
相も変わらず、ボーっと眺め続けていた。

 そこへ、ケイがふいに現れた!!
正しく、僕の網膜にフレームインしたんだ。

白いポロシャツに、赤いタータンチェックのタイトなパンツ。
着替えたんだ、とてもよく似合ってる。

ケイはガラス窓越しに、少し店内を探して、すぐに僕を見つけると、ニッコリ微笑んで手を振った。

なんて可愛いんだ。

僕は、これまでこれほど可愛い仕草の女性を見たことがない。
ケイの周りが、キラキラ輝いて見えた。

このときの瞬間の光景を、僕は恐らく死ぬまで忘れないだろう。
まるで一葉の写真のごとく。

この先、老いさらばえて、恋なんて遠い昔のことになっても、今宵のこのシーンだけは決して忘れない。
ハッキリ、そう意識した。

 僕は、急いで珈琲の代金を払って店を出る。
現金なもので、さっきのウェイターがいい奴に見えた。

「ごめんね、待たせちゃって」
「いいんだ、新聞を読んでたから」

 ケイ、ゴメン。
もう絶対に君を疑わないから。

 ケイの住んでるアパートは、そこから数百メートル行ったところを右に折れて、百メートルくらい入った左手にあった。
そのまま、その道をまっすぐ20分ほど歩くと、ウィザードだと言う。
なるほど、随分遠回りして帰って来た訳だ。

 そのアパートは、出入り口が一つで、部屋が複数あって、便所が共同になっている。
ケイの部屋は、階段を上がった、二階の取っつきにある。
引き戸になっていて、入るとすぐに狭い台所がある。
その奥が四畳半の部屋で、正面が窓になっている。
お世辞にも綺麗なアパートとは言えないが、部屋の中は、女性らしく快適に整理されている。
結局、僕たちはこの日から、ここと、僕の部屋を頻繁に行き来する関係になる。
 
 この夜は、お互いにかなり疲れていた。
だって、出会ってからようやく24時間が経とうとしているが、その間、二人とも一睡もしてないのだから。
ケイが、僕を自分の部屋に入れてくれたことで、僕たちはもう完全に意志の疎通が出来ていた。
いや、ケイはとっくにそのつもりだったのに、僕だけがそれを疑ったのかも知れない。

 なにはともあれ、僕たちは、その夜、ひとつの布団で一緒に眠った。
確かに僕の隣に、ケイが息づいている。
その実感が何よりの充足感を僕に与えてくれた。

こんなにも好きな女性が今、隣で、寄り添うように眠っている。
これからはずっと一緒だ。
そんな暗黙の了解のようなものをお互いが感じていたんだと思う。

 事実、それからというもの、僕たちは、笑えるくらいお互いを求め合った。
なんでこんなに好きになったんだろうって、不思議に思えるくらい。

愛されている自信も出来た。
愛している確信もある。

僕たちの生活には、二人が逢わない日があるなんて信じられなかった。
馬鹿みたいに寄り添っていた。
そんな、めくるめく毎日が続いた。

 あの日までは・・・


全体像



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