宝島のチュー太郎

酒屋なのだが、迷バーテンダーでもある、
燗酒大好きオヤジの妄想的随想録

平場の月

2019年04月18日 13時10分44秒 | 本のこと

 最近朧になりつつある記憶を辿れば、小説を読みながら落涙したのは、かつて、一度きり。それは、高校時代の夏、武者小路実篤の「友情」ではなかったか?

それ以来だとすると、実に45年ぶりくらい?そのくらい、この作品は、私の中でエポックメイキングなものとなった。

 冒頭部分で先に末路が提示されて、久しぶりの再会まで時を遡り、中年になった同級生の男女の恋物語が始まる。その構成のせい(お陰と言うべきか)で、「なんで?なんでそうなった?」という疑問が、先へ先へとその展開を求める気分を助長する。

会話が独特で自然。それを含めた心理描写が巧みで、流れるように二人の物語が展開する。

その上で、面白い比喩。それは、「ああ、こんな風に自分の言葉でいいんだ」と思わせる。

例えば、

11ページ

「野蛮なほど純真な香りがした」→ローズマリーの香りについての表現だが、注意力散漫な私は最初、「野暮な」と読んだ。そりゃあ「野蛮な」の方が適切だけど、「野暮な」としても面白かったんじゃないか?と思う私は、野暮か?

27ページ

「あむりとやる」→稲荷ずしを食うシーン。うん、そんな感じ。イイネ。

 

 

 

 凹と凸がワンセット。「やっぱオレはオマエじゃないとダメなんだ」(こういう表現ではないが)。誰でもいいわけじゃない。だから、そのベターハーフが居なくなると、その喪失感に苛まれる。

私くらい年寄りになれば、「それだって、ずっと一緒に居りゃあ、喧嘩もすれば飽きもするやろ」などと、高を括ってしまいがちだけど、「そういう出会いと別れもあらあな」と、思わないでもない。

 そう思わせるだけの文章力。

そう感じる。

 

 

 ローズマリーの苗を探そう!

そして、「ローズマリーとニンニクと鷹の爪を浸したオリーブオイル」を作ろう。

 

 そして、須藤を思い起こせば、青砥の如く、ずっと昔に鎖を掛けて仕舞い込んだ私の中の須藤も活き活きと復活するかも知れない・・・

 

 

平場の月
朝倉かすみ
光文社
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